2、ラスボス劇場オープン
ぽつり、と気まぐれに解け残った氷のような薄い雲が風に流される青い空の下、続々と馬車が連なってローエングリム公爵邸に訪れていた。
本日は『ラスボス劇場』オープンの日である。
劇場はローエングリム公爵家の敷地内に建てられているため、招待状のない者は入ることはできない。なのでローエングリム公爵家からの招待状の価値は天井知らずに上昇して、今や黄金よりも貴重であった。
劇場のオープンイベントを兼ねたローエングリム公爵家のガーデンパーティーでもあるので、庭師が整備した芝生は少しの起伏もない。パーティー用の植栽や花々も華やかで、程よい間隔で並べられた長いテーブルには贅を凝らしたメニューが見栄えよく置かれていた。手づかみが許される一口ほどのフィンガーフードも多い。
どのメニューもオリヴィアのレシピを元に作られているので罪深いほどに美味しく、着飾った貴婦人たちがテーブルの最前列を維持して離れることはなかった。
同時に貴婦人たちは情報交換に余念がない。今日は絶対にスケジュールミスは許されないのだ。
「物販店での品出しの時間は午前と午後の一回ずつ……」
「混雑するから、欲しい品物まで辿り着けるかしら……」
「あたくしと手分けしませんこと……」
「では、獲得した商品を……」
「どうしましょう、第一小劇場の『花と歌の歌劇団』の握手会と第三小劇場の贔屓の歌手の独唱会が微妙にかぶるわ……」
「第三小劇場の歌手は1時間交代で……」
「第二小劇場の魔法投影による高精度な映像も1時間毎に変化……」
「ええ、人気の海中映像は午後の……」
と、貴婦人たちは緻密なスケジュールを真剣に組み立てる。
「でも、美味すぎてテーブルから離れることもできない……」
「喫茶室のメニューはこことは異なるらしく……」
貴婦人たちは扇子を広げて優美に口元を隠して苦悩の溜め息を吐いた。
「大劇場のオリヴィア様の映画は必ず観たいわ……。禁断と理解していても焦がれすぎてオリヴィア様にプロポーズしてしまいそう……」
貴婦人たちのせいでテーブルに近づけない男性貴族たちは、ローエングリム公爵家の使用人に案内されて『ラスボス劇場』内部を満喫していた。
第一から第三までの小劇場で感嘆の声を上げて。
展示室で目を見張ってへばり付き。
閲覧室で椅子に座り込んだ。
「し、新刊が出ている……」
「妖精王シリーズがこんなにも……」
「感動だ、うう、俺の英雄が……」
「屋敷に帰りたくない、ここに住みたい……」
と、数万冊の本に目を輝かせてヒソヒソと語り合う。
閲覧室には昨日から絶賛お籠もり中の王太子ご一行がいるため、大きな声は禁止であった。
物販店の前では次の入荷を狙って貴族たちが行列をつくっていた。入荷とともに貴族たちが群がるので警備兵たちが厳しく入店規制をしており、第二王子一行も列に加わって従順に一列となっている。
そわそわと期待に胸を膨らませて、
「ヴァイオレットたん、ヴァイオレットたん、ヴァイオレットたん……」
と繰り返す第二王子のために、護衛たちは爆走してヴァイオレットたん抱き枕とヴァイオレットたん人形とヴァイオレットたん毛布を獲得する気が満々である。
「よいか、人形はプリティヴァイオレットたんとセクシーヴァイオレットたんの両方だぞ」
「「「イエッサー!」」」
「毛布はピンクとブルーとイエローの三種類だ」
「「「イエッサー!」」」
「本命のヴァイオレットたん抱き枕は高位貴族を蹴散らすことを許可する」
「「「イエッサー!!」」」
隊長にヤル気に満ちた返事をする護衛たちであった。
前方に並ぶ貴族が自分の護衛にヒソリと耳打ちする。
「おまえの足は速い。できるな?」
「お任せください、ヴァイオレットたんは旦那様のものです」
劇場内にはオセロなどのオリヴィアが発案したゲームも多数あり、ゲーム室として大盛況だった。純粋に遊戯を楽しむ者もいるが、ゲーム室での勝者にはオリヴィアの小釜ちゃんが造った美酒を購入できる権利が与えられた。運よく物販店で美酒を買える者は少数だった。販売数が少ないからである。故にビリビリと空気が緊張するほどに熱気が渦巻き、皆が真剣にゲームに挑むことになるのであった。
勝敗のルールは簡単。
ゲーム室の入り口にあるカウンターで高額な入室券を買い、敗者は勝者にその入室券を渡す。入室券10枚で美酒の小瓶を1本。ズルをして入室券を複数枚も買うことはできない。カウンターの使用人は顔認識機能能力持ちで相手の顔を忘れないから、入室時または敗退時にしか券を買うことができなかった。
「くぅぅ、負けてしまった……」
「まだ諦めぬぞ……」
「あと1勝すれば、酒の権利が……」
「こ、これが購入権利証……、憧れの美酒が……」
と、煮えたぎる坩堝のごとく空気が熱を帯びて冷えることはなかった。
だが、オリヴィアは暇であった。
ローエングリム公爵夫妻から社交を免除されているオリヴィアは、自分の役目の映画まで部屋でダラリとしていた。
公爵夫妻と双子のカイゼクスとカロリーヌは貴族たちを出迎えに出陣しているので、なおさら手持ち無沙汰であった。
なんとなく庭師に貰った木の棒を振ってみる。
ぐるぐると木の棒を回す。
小学男子のようにテンションが上昇した。
「いでよ、ウーパールーパースーパーカスタードクリームソーラービーム」
木の棒をビシッと魔法の杖のように振りかざして呪文を唱える。
なにしろポンコツエッセンスが数滴入っているオリヴィアなので、間違っても「地獄の豪炎よ、我が手に集え! 敵を殲滅せよ!」などとカッコイイ台詞は唱えることはない。
僕の考えた最高にカッコイイ呪文ランクは、「ウーパールーパースーパー」と小学男子レベルしかないオリヴィアなのだ。
記憶力も魔力も突出していてもオリヴィアは、運動神経がイマイチで、パンチは猫パンチだし。
リズム感は悪いし、ダンスは苦手だし。
走るのは遅いし、時々何もない場所でコロンコロンと転ぶし。
そんなオリヴィアに侍女のアンナが目元を和ませる。アンナはオリヴィアに忠誠を誓っているので、知力体力をフル活用して仕えていた。一生お守りしてお支えするのは自分だとオリヴィア専属侍女の席を誰にも譲る気はない。
「オリヴィア様、そろそろお支度を。映画のお時間です」
アンナに促されてオリヴィアが振り向く。あからさまに嫌そうな顔である。
「宝石は重いからつけたくない〜」
頬をふくらませてオリヴィアが駄々をこねた。
「イヤリングは耳が痛くなるし〜、ネックレスは肩がこるし〜」
指をおって訴えるが、にっこりと笑顔のアンナには効果がない。
オリヴィアは肩を落として愚痴をこぼした。
「う〜、王都の野外映画の時は気楽なのに。貴族の社交はドレスとお飾りが面倒〜」
月に一度、王都の夜空に超巨大スクリーンがオリヴィアの魔法によって出現して短編映画が上映されるのだ。夜空を仰ぐだけなので誰でも観れる映画となっており、王都の人々に大人気であった。10分ほどの短い映画だが、この10分間は人々も物流も王都の全部が完全に停止すると言われていた。
「嫌だ〜」
とオリヴィアがしぶしぶ動く。
アンナまでの数メートルの距離が体感で百キロにも感じるだめっ子オリヴィアであった。
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