アーサー・ゼノフィスの「最後の一口」
※生きることは、食べることという物語です。
要塞外郭。
漆黒の〈オメガ〉を駆るグリードは、
崩壊を始めた巨塔の残骸を掻き分け、
中枢へと肉薄していた。
だが、その背後では、
さらなる激震が走っていた。
準光速ミサイルの発射を阻止するため、
全エネルギーを「氷」へと変えて放出した
深紅の天使イプシロンが、
過負荷によって空中分解を始めていたのだ。
「カイザー!
何をしている、離脱しろ!」
グリードの叫びに対し、
通信機から返ってきたのは、
ノイズ混じりの静かな笑い声だった。
『……グリード。……。お前が、……あいつに負けた理由が、
……ようやく分かったよ。……。……守るべきものが、
……胃袋にあるというのは、……案外悪くない』
「何を言っている!
貴様には、地表に待っている娘がいるのだろうが!」
『……ああ。……。だからこそ、
……この火種は、……私が、道連れにする……』
カイザーの駆るイプシロンが、
暴走を始めたミサイルの
予備ブースターへと突撃する。
凍てつく氷の翼が、
内側から噴き出すプラズマの炎と混ざり合い、
凄まじい蒸気爆発を引き起こした。漆黒の宇宙に、
一瞬だけ咲いた真っ赤な花火。
「カイザーーー!!」
爆炎の光の中に、
深紅の機体は飲み込まれていった。
爆煙が晴れたあとに残ったのは、
漂う装甲の一片と、
虚空へと消えていく熱源信号のみ。
グリードは唇を噛み切り、血を流しながらも、
その遺志を継ぐべく要塞の心臓部へと
トドメの一撃を放った。
「父上……。これが、
あなたの愛した騎士たちが選んだ……
『不完全な正解』だ!」
◇◇◇
崩壊するコアの最深部。
異形の悪魔へと変貌していた
アーサーのホログラムは、
シオンが放った琥珀色の光に焼かれ、
その虚飾を剥ぎ取られていった。
ノイズの向こうから現れたのは、
ただの一人の、老いた、
孤独な父親の姿だった。
「……ああ、……この匂いは……。
懐かしいな……」
アーサーの震える手が、虚空を彷徨う。
実体を持ったセラ――
三〇〇年前に失ったはずの
娘の肉体を持った彼女が、
シオンの傍らで立ち上がる。
「……お父様」
セラの声は、空気を震わせ、
アーサーの聴覚パケットに直接届いた。
アーサーの脳裏に蘇るのは、
かつての荒廃した戦場ではない。
妻が笑い、
幼いセラフィナが不器用な手つきでおにぎりを握り、
自分がそれを「美味しい、美味しい」と食べていた、
あの何でもない日の夕暮れ。
「……。……セラフィナ……。お前は、
……そんなにも、……温かかったのだな……」
老科学者の瞳から、
初めて本物の涙がこぼれ落ちた。
彼は、娘が「質量」を持って、
生きた人間としてそこに立っているという奇跡に、
自分の三〇〇年間の間違いを悟った。
管理とは死であり、
生とは熱である。
「私は、……ただ。……。お前に、笑っていて欲しかったのだ。
……。あんな、泥と血の匂いがする世界で、
……お前が壊れていくのを、見たくなかった……」
「分かっているわ……。
でも、もういいの。お父様……。
お腹が空くのは、生きている証拠……。
味がするのは、誰かと繋がっている証拠よ……。
見て、私の手。……。こんなに、熱いの」
セラが虚空に手を伸ばし、
消えゆく父の幻影に触れようとする。
その瞬間、
アーサーの姿は穏やかな微笑みを浮かべたまま、
光の粒子となって霧散した。
「……シオン、……。
……グレイスの、せがれよ……」
アーサーは最後に、
シオンを真っ直ぐに見据えた。
「……お前の焼いたその『毒』……最後の一口に、
……ふさわしい、味だった……ぞ……」
管理の王がいなくなったレグナス・コアは、
一つの巨大な「火球」となり、
暗黒の宇宙を昼間のように照らし出した。
「セラ! 掴まってろ!
ここからは、宇宙で一番行儀の悪い『脱出行』だ!」
シオンはセラフィオンを
急加速させ、瓦礫と化していく
要塞から離脱を試みる。
その背後では、
レグナス・コアがテリヤキ色の
爆炎を上げながら、
ゆっくりと惑星レグナスの重力に
引かれて堕ちていく。
「……。シオン……。見て、……世界が、
……焦げた醤油の色に染まってる」
セラの言う通り、
大気圏に突入する要塞の残骸は、
摩擦熱で琥珀色の尾を引き、
まるで巨大なテリヤキが世界中に
配られているような、
奇妙で美しい光景を作り出していた。
「……ああ。……終わったな……。
いや、……始まったんだ」
シオンは、
セラの柔らかくて熱い手を強く握りしめた。
「おい、セラ……。次は、……何を作ろうか」
「……ふふ……。私の『胃袋』によれば……。
もう我慢できないくらい、
……ハンバーグが食べたい気分よ、マスター」
「……ハンバーグか……。最高じゃねえか……。
世界中の腹ペコたちが、
俺たちの料理を待ってるんだからな!」
シオンの叫びに、
セラフィオンが力強い咆哮を上げる。
カイザーという一人の戦士を宇宙の藻屑として失い、
それでも彼らが守り抜いた「生命の灯火」。
三〇〇年の「無味乾燥な夜」は明けた。
惑星レグナスの空を、
琥珀色の流れ星が駆けていく。
それは自由を告げる鐘の音であり、
新たなる「人類の朝食」の始まりを
告げる合図だった。
次回へ続きます。




