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愛とスパイスの円舞曲(ワルツ)

※生きることは、食べることという物語です。

「マスター、注意を。……。

この男の意識は、すでに個人の領域を超えています。

街中の住人に散布されたスパイス型ナノマシン。……」


そして。


「王は、それらを通じて住人全員の「感覚」を共有し、

一括管理しているのです……。

いわば、街全体がこの男の巨大な胃袋なのです」


セラの冷徹な分析に、シオンは戦慄した。


この男は、支配欲のために街を縛っているのではない。


住人たちの感覚を自分に繋ぎ止めることで、彼らが「お袋」の平坦な管理に

呑み込まれないよう、三〇〇年間、無理やり心拍を上げ続けてきたのだ。


「あんた、こんなことをしてて楽しいのか?

街の奴らは、もう限界だ。あんたの激辛スパイスなしじゃ、

一日も生きていけねえ体になってる」


「楽しさだと? くっくっくっ。笑わせるな。これは『防壁』だ。

……『お袋』の平らな幸福に抗うには、

脳を灼くほどの刺激が必要なのだ」


続ける。


「私が火を消せば、この街の連中は、

明日には自分たちの名前すら忘れた、

ただの家畜に戻るのだぞ!」


王の叫びと共に、巨大な鍋から噴き出した蒸気が、

黄金の騎士の装甲を強化する。


巨大な釜から噴き出す蒸気が、

王の背後で巨大な幻影を描き出す。


それは彼が三〇〇年間、

一人で抱え続けてきた重圧の断片だった。


「あんたのその継ぎ接ぎの体、

全部街のシステムに直結してるんだな」


沈黙。


「自分を削ってまで、どうしてこんな

刺激中毒の街を守ろうとするんだよ!」


シオンの叫びに、

王は自嘲気味な笑いを漏らした。


その瞳の奥には、スパイスの赤黒い輝きとは異なる、

くすんだ灰色の記憶が疼いている。


「守ろうとした……?

違うな。私はただ、これしかなかったのだ。……。

三〇〇年前、私はこのオリエント・セクターの小さな調理兵だった」


一拍。


「『お袋』による管理が始まったあの日、人々は一晩で感情を失い、

家畜のように無機質な栄養剤を啜るだけの存在になった」


王の義手が、激しく櫂を叩きつける。


「私の妻も、娘もだ!

昨日の夕餉で『美味しいね』と笑い合った彼女たちが、

翌朝には私の顔さえ見ず、ただ管理回路の指示に従って口を動かしていた」


王は続ける。


「その絶望が分かるか!?

私が必死に隠し持っていた最後の唐辛子を、

スープに叩き込んだ時、……娘が一度だけ、

辛さに顔を顰めて『痛い』と泣いたのだ」


王の告白に、広間に沈黙が流れる。


「その『痛み』こそが、

彼女が人間である最後の証だった」


王は語る。


「だから私は煮込み続けたのだ。……。

喜びも、悲しみも、お袋に奪われるのなら……、

……せめてこの強烈な『刺激いたみ』だけで、

彼らの意識をこの世界に繋ぎ止めておきたかった」


そして。


「それが私の愛だ!

この三〇〇年の腐心こそが、

彼らへの唯一の献身なのだ!」


「……。マスター、分析が完了しました。……。

王の論理回路は、愛と恐怖が未分化のまま

固定されています」


「どういうことだ?」


「彼は「美味しさ」ではなく「刺激」を、

人々を現実に繋ぎ止めるための「杭」として

打ち込み続けているのです……」


そして。


「ですが、それはあまりにも悲しい、

味のしない自己満足に過ぎません」


セラの言葉は、王の痛みを理解しつつも、

その在り方を真っ向から否定していた。


「愛だぁ? そんなもん愛じゃねえよ、ただの呪いだ!

あんたの娘さんは、痛くて泣いたんじゃねえ」


続ける。


「あんたが作った、味のする料理に驚いたんだ。……。

それを『痛み』だけで固定しちまうなんて、

料理人として失格だぜ、王様!」


シオンはセラフィオンの指先に、

ハバラ・アーキで得た「黒胡椒」の種子を再び装填した。


「あんたが忘れた『美味しい』の続きを、俺が教えてやる。

刺激の先には、もっと広い世界があるんだ! セラ、熱量を反転させろ!

焦がし醤油と黒胡椒の、多重奏アンサンブルだッ!!」


シオンの咆哮と共に、テリヤキの芳醇な香りが、

王の煮えたぎる絶望のスープを真っ向から貫いた。


王の悲痛な独白が広間に響き渡る中、

黄金の騎士がその巨体を震わせてシオンの前に立ち塞がった。


スプーンとフォークの二刀流を構えるその姿は、

狂った主君を守るためだけの、自動人形オートマトンのような殺気に満ちている。


「小僧、貴様の言葉は甘すぎる。

王が三〇〇年かけて煮込んだこの『痛み』こそが、

我ら砂漠の民が家畜に堕ちぬための唯一の誇りだ!

その誇りを踏みにじる者は、一滴のスープも残さず粉砕してくれる!」


黄金の騎士が吠え、地を蹴った。


巨大なスプーンが砂漠の嵐のような旋回を見せ、

セラフィオンの装甲を打つ。


「マスター、この黄金の騎士、

王の「痛み」のデータをダイレクトに受信しています。

自らの神経系を焼き切りながら出力を上げている、

救いようのない、忠実な犬です」


続けて。


「論理的な説得は不可能。

物理的に、その腐った味覚中枢を破壊するしかありません」


セラの言葉通り、

黄金の騎士の動きはもはや機体の限界を超えていた。


装甲の隙間からは、過負荷による黄色い火花と、

濃縮されたスパイスの蒸気が噴き出している。


「誇りだと!? 痛みを強いることが誇りだってんなら、

そんなもん俺がまとめて食い尽くしてやるよ!」

次回へ続きます。

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