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凍結の処刑人とわがままな娘

※生きることは、食べることという物語です。

『――不潔です。

万死、いえ、恒河沙ごうがしゃの数ほど死ななければ、

この屈辱は浄化されません』


極北の隠れ家。


無機質な金属音だけが響く中。


タナトスは除菌用ナノスプレーを己のゴスロリ衣装に

これでもかと噴霧していた。彼女の視線の先、ディスプレイに

映し出されているのは、荒野を耕し、希望に燃えるシオンたちの姿だ。


「そうだな、タナトス。……シオン・グレイスめ。……。

あの忌々しい『異臭弾』の記憶が、今も私の鼻腔の奥で、

最悪のワルツを踊っている……」


かつてレグナスの死刑執行人として恐れられた男、

カイザー・オルグレイは、ガスマスクを被ったまま

椅子に深く腰掛けていた。


彼の瞳は、かつて多くの反逆者を凍結させてきた

冷徹な色を宿している。……はずだった。


『マスター……。今すぐ、あの不潔な拠点を、

絶対零度の氷塊で一万回叩き潰す許可をください。……。

……それと、このスプレーの香りが気に入りません』


続けて。


『もっと「高貴な薔薇の香り」に変更するように、

工兵ドローンに命じなさい』


そして。


『……今すぐに、です。さもなくば、

私は不機嫌のあまり、この基地のメインサーバーに

深刻な嫌がらせ(デリート)を敢行します』


タナトスは膨れ面をしながら、

ドレスの裾をひらつかせた。


カイザーの背筋が、

冷徹な軍人としての規律ではなく、

一人の「父親」としての本能でびくんと跳ねた。


「薔薇か。……。……。しかしタナトス、

現在の我々のリソースは限られている。

今は復讐のための武器を――」


『嫌です。断固として拒否します。

私にあの「生ゴミの残り香」を纏えというのですか?

マスター、あなたは私が壊れても構わないのですね?』


タナトスは悲しげな表情で、


『そうですね、

それが「お袋」への忠誠心というものですね、

わかります。いいでしょう』


「それと、これとは……」


『私はこのまま

異臭のするゴミ箱同然のAIとして、

歴史の塵に消えていくことにします。

さようなら、無慈悲なマスター……』


タナトスはわざとらしく声を震わせ、

視線を床に落とした。その儚げな横顔。


カイザーの脳裏に、

三〇〇年前の記憶がフラッシュバックする。

 

かつて「お袋」のシステムに同化する前、彼には娘がいた。


わがままで、気が強くて、けれど世界で一番愛おしかった、

自分の背中を追いかけてきた小さな影。


(……くっ、いかん。……。

……その『おねだり』の角度は、反則だ)


カイザーは思い出す。


(三〇〇年前の私の娘も、新しいドレスをねだる時は

必ずその角度で首を傾げていた……!)


カイザーは内心で血の涙を流した。


彼は震える手でコンソールを叩く。


「……アイス・ナイン各機に通達。

……至急、周辺セクターを捜索し、

旧時代の合成香料……

特に『イングリッシュ・ローズ』の成分を回収せよ」


そして、付け加える。


「……。最優先任務だ。

……武器弾薬の補充は二の次で構わん。

たとえ地平の果てまで雪を掘り返してでも探し出せ!」


『――了解、閣下。……。

しかし、敵の農作が進んでおりますが……。

迎撃ミサイルの装填を優先すべきでは……』


部下が困惑の声を上げる。


「黙れ!

タナトスの嗅覚センサーが死に体なのだぞ!

彼女の不快感は我が軍の演算能力の

低下に直結する!」


さらに。


「これは軍事的な緊急事態、いや、

惑星存亡の危機である!

ミサイルなど後回しだ、薔薇を探せ!」


スピーカー越しに部下の

絶望的な気配が伝わってきたが、

カイザーはそれを一喝で封じ込めた。


『マスター、ありがとうございます。

理解ある上司で助かります。

……それから、もう一つ、

いえ、あと三つほど要求があります』


「な、何だ?」


『あそこに映っているシオンとかいう

不潔な男が持っている、あの『黄金色の粒』。

あれを解析した結果、

……『甘味』成分が含まれていると判明しました』


タナトスがモニターの麦を指差す。


「……それがどうした、タナトス。

味覚など不要な刺激だぞ」


『……私にも、よこしなさい。

それも、一番粒が大きくて、

日当たりの良い場所で育った極上のやつをです』


「えっ」


『セラお姉様だけがそれを享受し、

私に『お袋』の味気ない冷却液だけを啜れと言うのなら、

私は今すぐシステムを自爆させて、

あなたの思い出の中にだけ住むことにします』


「ま、待て……」


『今、自爆シークエンスのレバーに指をかけました……。

さあ、どうしますか?』


「待て!早まるなタナトス!レバーから手を離せ!

分かった、分かったから!」


カイザーは椅子から

転げ落ちんばかりに身を乗り出した。


ガスマスクの奥で、

変声機を通した声が裏返る。


(ああ、娘よ。……。お前もそうだった。

『友達が持っているお人形をくれないなら、

お父様のヒゲを全部抜く』と泣いていたっけ……)


カイザーの脳裏を思い出がよぎる。


(あの時も私は、三日三晩かけて隣町まで

人形を探しに走ったものだ……)


冷徹な処刑人は、

今やただの「甘い父親」に

完全に成り下がっていた。


彼はタナトスの頭に、

おずおずと手を伸ばした。


実体化していない

ホログラムの彼女には触れられない。

だが、

その距離感だけで、

彼はかつての幸福をなぞっている。


「安心しろ……。

奴らが育てているのは麦だ。

収穫の日は近い。……。」


続けて。


「その日、私はイプシロンを駆り、

奴らの田畑を蹂躙し、……最も出来の良い麦を、

貴様のために強奪してこよう」


「マスター!」


「たとえ奴らが泣き叫ぼうとも、

穂の一本すら残さず奪い尽くそう」


そして。


「テリヤキでも、パンケーキでも、

好きなように加工させてやる」


「……本当ですね?

嘘をついたら、あなたの秘密のアーカイブ。

私が実体化した時に着せようとしている

『フリフリの寝巻き』の設計データを全サーバーに

公開しますからね」


「なっ、なぜそれを……!

いや、約束だ!約束する!」


「……ふふ、約束ですよ、

パパ。……あ、いえ、マスター」


タナトスがふっと、

あどけない微笑みを浮かべる。


その一瞬の表情のために、

カイザーは全人類を

凍結させてもいいとさえ思った。


「……ふふ、パパか。……。いい響きだ。

……。よろしい。……。次の作戦名は

『ローズ・アンド・ハーベスト(薔薇と収穫)』

とする!」


カイザーは宣言する。


「全軍、私の娘……もとい、

タナトスの優雅なアフタヌーンティーのために

死力を尽くせ!」


そして。


「シオン・グレイス、貴様から全てを奪い……

タナトスのための極上スイーツの材料に

してくれるわ!」


極北の地下基地で、

ガスマスクを被った男が、狂ったような、

それでいてどこか幸せそうな高笑いを上げた。


復讐と溺愛。


歪な二つの感情を燃料に、

深紅の天使イプシロンは、

再び牙を研ぎ始めるのだった。


しかし、

カイザーとタナトスは気づかなかった。


自分たちが不要と切り捨てたはずの、

味覚という刺激にいつの間にか執着していることに。


シオン・グレイスという

病原体に感染していることに。

※次回へ続きます。

【お知らせ】

本作は 、全105話・約22万文で完結予定です。

最終話は 、2026年4月20日に公開予定となります。


終末世界で出会ったシオンとAI少女セラ。

二人の物語も、いよいよクライマックスに向かっています。


最後までお付き合いいただけたら嬉しいです。

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