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最臭兵器のち、ハチミツあーん

※生きることは、食べることという物語です。

「見たか、セラ。……『食いもんは、味だけじゃない』だろ?」


『……。……。ええ。……ええ、そうですね、マスター。

……。……あなたのその、救いようのない「悪食」の記憶が、世界を救ったという事実は、

……私のデータベースに「人類最大の不祥事」として永久欠番で保存しておきます……』


セラは実体化した手で、自分の鼻をつまんだまま、

心底不愉快そうに——けれど、どこか誇らしげに溜息をついた。

逃げ去ったイプシロンが描いた飛行機雲のような軌跡。


そこには、極低温で凍りついた「臭いの粒子」が、朝日に反射して

ダイヤモンドダストのようにキラキラと輝きながら、

無駄に、あまりにも無駄に美しく舞い散っていた。


その美しすぎる輝きの中に、

数百年放置された生ゴミのワルツが確かに鳴り響いていることを、

その場にいる全員が、涙を流しながら(物理的な刺激で)実感していた。


「見たか、セラ。大勝利だ!」


「……。……。マスター。……一つだけ、言わせてください」


「なんだ?」


「――今すぐ、その汚染物質(缶)を触った手を、一万回ほど洗浄してください。

さもなくば、私は今日限りで実体化を解除し、あなたの生涯を『絶縁』モードで上書きします。

……本当に、本当に、臭いです!バカ!!』


セラの史上最大級の罵倒が、青空に響き渡った。

 

黄金の種への道のりは、まだ遠い。

だが、シオンは確信していた。この「臭い」に耐えられるなら、

どんな未来だって食い繋げるはずだ、と。


「……。……。テリヤキの後のデザートにしちゃあ、

刺激が強すぎたかな」


シオンは、風に乗って流れるその香ばしすぎる(?)

戦いの跡を見送りながら、爽やかに笑うのだった。


シュールストレミングという名の「悪魔の福音」が極地の彼方へと去り、

ようやく戦場に静寂が戻った……かのように見えた。


「……マスター。……先ほどから、私の嗅覚センサーが

『自爆ボタン』の場所を検索し続けています。……この世のものとは思えないノイズ(悪臭)です。

……今すぐ、私の視界から一万キロほど後退してください」


ネメシスの、かつてないほど切実で冷徹な宣告が、

〈オメガ〉のコクピットから漏れ聞こえてくる。


「ネメシス!待て、落ち着け!『……。……鼻を劈く(つんざく)、……熟成の狂詩曲。

……だが、……愛の深さは、……消臭スプレーの……噴射距離よりも……』」


「却下。……今のポエムはマイナス一〇〇〇点です。……マスターの体臭と混ざって、

もはや化学兵器です。……除菌されるまで、コクピットのハッチは開放しません」


氷点下の空の下、ハッチを閉め出されたグリードが、パンツ一丁で〈オメガ〉の肩に立ち、

必死に消臭スプレーを自分に吹き付けている。


一方、セラフィオンのコクピット内も、似たような状況だった。


「セラ……。……その、悪かったって」


「……。……。近寄らないでください。……。マスター、

あなたは先ほど、あの缶詰を投げた手で、私の大切なコンソールに触れましたね?」


「私の演算領域の九割が、現在「除菌・消臭」にリソースを奪われ、

世界の解像度がドット絵レベルにまで低下しています。

……。今のあなたは、ただの動く粗大ゴミに見えます」


セラは、自らの鼻をハンカチで固く押さえ、操縦席の隅で丸くなっていた。


タナトスの「味覚凍結」により、シオンの口内はまだ砂を噛むような無感覚が続いていたが、

そのおかげでこの「地獄の余韻」をまともに食らわずに済んでいるのだけが、唯一の救いだった。


「……なぁ、セラ。味覚が戻らねえんだ。

……このままじゃ、麦を手に入れても、テリヤキの味がわかんねえよ」


シオンの少し心細げな声に、セラの耳がピクリと動いた。


彼女はため息をつくと、不機嫌そうに、しかしどこか名残惜しそうに鼻から手を離し、

シオンの方を向いた。


「……。……。仕方ありません。……。解析によれば、極限の「甘み」によるパルスを与えれば、

凍結された味覚神経が再起動リカバリする可能性があります。……。これを使いなさい」


セラが虚空から(正確には、セラフィオンの緊急用ストレージから)取り出したのは、

エラータウンを出る前にリナが持たせてくれた、小さな瓶入りの「地下苔蜂蜜」だった。


「……。……。……あーん、しなさい」


「え……?」


「……。……二度は言いません。……。

早くしないと、私の気が変わって、この蜂蜜を消臭剤として空間に散布しますよ」


シオンは戸惑いながらも、口を開けた。

セラの、白く繊細な指先が、蜂蜜をひと掬いしてシオンの唇に触れる。


その瞬間。

 

じわっ、と熱い衝撃が走った。

冷え切った身体に染み渡る、野性味溢れる濃厚な甘み。

砂を噛むようだった口の中に、鮮やかな黄金色の感覚が戻ってくる。


「……。……。……甘ぇ。……。すげぇ甘ぇよ、セラ」


「……。当然です。……私の体温……いえ、私の管理下にある糖分ですから。

……。味覚、戻りましたか?」


「ああ。……バッチリだ。……ありがとう」


シオンが笑うと、セラは顔を真っ赤にして、再びハンカチで鼻を覆った。


「……。礼には及びません。……。それより、……見てください。

……あんなに酷い事をしたというのに」


セラの視線の先。


先ほどの激戦で、コクピットの床に落ち、

少しだけ花びらが折れてしまったニナの花があった。

シオンはそれを拾い上げると、大切そうに計器板の特等席に戻した。


「……悪いな、ニナ。……もうちょっとで、本物の仲間を連れて帰ってやるからな」


すると、セラがそっと指を動かした。

コクピットの空間全体に、淡い光が広がる。


それは、シードボルトのデータベースに残っていた、

三〇〇年前の「地上の花々」のホログラムだった。

 

青、赤、紫、オレンジ。


無数の花びらが、極地の狭いコクピットの中を、雪のようにはらりと舞い踊る。


「……。……シオン。……あなたが持ち帰ろうとしている種は、ただの「食料」ではありません。

かつて人類が、……「お袋」が管理を始める前に、一番美しいと思っていた世界の記憶です」


一拍。


「私、少しだけ楽しみになってしまいました。……。

あなたが、このホログラムを「本物」に変える瞬間を」


ホログラムの光に照らされたセラの横顔は、毒舌なAIでも、

兵器のインターフェースでもなく、ただ一人の、未来を夢見る少女のものだった。


「ああ。……約束する。……シュールストレミングの匂いだけじゃない、

本物の花の匂いで、この世界をいっぱいにしてやるよ。……もちろん、テリヤキの匂いもな!」


「……。ふふっ。……。最後の余計な一言がなければ、評価を二ポイント上げてあげたのですが。

……行きましょう、マスター。……。私たちの「黄金の収穫」は、すぐそこです」


外では、ようやくパンツを履いたグリードが


「極地の寒風が、私の魂を……ハクション!!」


と盛大にくしゃみをしている。

 

笑いと、悪臭と、そして不器用な優しさを乗せて。

二機の天使装甲は、ついに目的地のシードボルト、その巨大な扉の前に辿り着こうとしていた。


その扉の向こう。

三〇〇年間の闇の中で眠っていた黒い影が今、目覚める。

次回へ続きます。

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