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味覚の敗北、凍結の処刑人

※生きることは、食べることという物語です。

【お知らせ】毎日、更新に戻します。

『――甘いですね。味覚とは信号に過ぎません。

脳が描き出す都合のいい幻想を、いつまで現実だと誤認しているのですか?』


イプシロンの冷徹な宣告は、爆音渦巻く戦場において、あまりにも静かだった。


『……「味覚凍結フリーズ・テイスター」、展開』


その一言が、世界の色彩を奪った。

次の瞬間――シオンの口の中から、すべての『意味』が消失した。


つい数秒前まで、そこには確かに魂を震わせる熱量があった。

舌の上で踊る、甘辛く濃密なテリヤキの幸福な残滓。


焦げた醤油の香ばしさが鼻腔を抜け、溢れ出した脂のコクが喉を愛撫していたはずだった。

それがシオンにとって、この地獄のような砂漠を生き抜くための唯一の、

そして絶対的な『生の証』だった。


だが、それらが一斉に、無機質な「砂」へと変換される。


「……は?」


咀嚼していたはずの肉が、突如として温度を失い、ザラついた不快な粒子へと変わる。

甘みもない。塩気もない。ただ、舌の上にあるのは解析不能な異物感。


脳に届くはずの幸福信号は、発生した瞬間にシステムによって「凍結」され、

無慈悲なゼロへと押し潰された。それは単に味がしなくなるという現象ではない。

自分の存在を肯定していた核を、根こそぎ奪われるような魂の去勢だった。


そして。

凍結され、行き場を失った膨大な幸福信号の残骸は、データとして逆流を始めた。


「……ッ!? 解析不能な、虚無データが……流入! 

マスター、システムが……精神防壁が……っ、シャットダウンします……!」


神経接続されたセラの悲鳴が、ノイズの濁流に埋もれていく。

銀髪の美少女の姿が、バグのように激しく明滅し、苦痛に顔を歪めた。


視界が白く弾けた。

直後、イプシロンが放った重力波が、無防備となった二機を直撃する。


物理的な衝撃ではない。空間そのものが捻じれ、

白銀のセラフィオンと漆黒の〈オメガ〉が、

目に見えない巨大な拳で殴りつけられたように宙へ舞った。


「うわあああぁぁぁ!!」


平衡感覚を喪失し、制御を失った二機は、

砂塵の向こう側に口を開けていた断崖の向こうへと転落した。


落下。


重力に弄ばれる臓器の不快感。

回転する視界の中で、かつての青い空を模した偽物のホログラムが剥がれ落ちていく。

衝突。

鼓膜を突き破るような金属の断末魔。

そして、世界を形作っていたすべての音が砕け散った。


◇◇◇


……衝撃。

……熱。

……滴り落ちる、鉄の匂い。


次にシオンが目を開けたとき、視界は粘り気のある真紅に染まっていた。

額を割り、まぶたを濡らして流れ落ちる血が、世界の解像度を奪っている。


「……ぁ、……が……っ」


セラフィオンは、旧時代の地下施設の朽ち果てた天井を突き破り、

広大な倉庫の内部へと墜落していた。

かつては人類の繁栄を支えたであろうその場所は、

今は冷たいコンクリートの残骸と、埃を被った沈黙が支配する墓標だ。


コクピットの装甲は半壊し、歪んだフレームの隙間から、

冷え切った地下の空気が入り込んでくる。


主要な制御パネルはすべて沈黙し、火花を散らす回路だけが、

死にかけの心音のように短く点滅していた。


シオンの体はシートから投げ出され、

床に山積みにされた重機用金属容器の山へと叩きつけられていた。


「……いってぇ……。クソ、……何が……起きた……」


呼吸をするたび、肋骨が軋む。肺に吸い込まれる冷たい空気は、

まるで細かな刃物のように気管を刺した。

指先を動かそうとするが、泥のように重い。


「セラ……セラ、応答しろ! おい!」


叫びは虚しく、薄暗い倉庫内に反響する。

数拍の沈黙の後、耳元でひどくかすれた、消え入りそうな声が響いた。


『……マスター……システム、再起動中……。

駆動系、中枢ユニット共に……深刻な損傷……。

当分……、……もう、動けません……』


セラの声には、かつての冷徹な鋭さはなかった。

ただ、自分という存在が消えていくことを受け入れたような、

震えるほどにか細い響き。


「グリードは……? アイツはどうした!」


応答はない。


ただ、天井の裂け目から、雪が静かに降り込んでいた。

地下に閉じ込められた冷気と湿気が、異常気象をシミュレートしているのかのようだ。


その墓場のような静けさを――暴力的な轟音が、無造作に破った。


ズンッ。


倉庫の巨大なシャッターが無残に爆散する。

立ち込める煙と瓦礫を踏み砕きながら、地獄から這い上がってきたような深紅の影が降り立った。


イプシロン。

そして、その背後に君臨する王の機体、カイザー。


「終わりだ、シオン・グレイス」


拡声器を通した声は、絶対零度の冷徹さを伴って響く。

重厚な足音が、一歩、また一歩とシオンの絶望を刻むように近づいてくる。


「貴様の“刺激”は、もはや解析済みだ。味覚は凍結され、感情は封殺された。

残るのは、無価値な肉体という器のみ」


カイザーの右腕から、高周波ブレードが展開される。

降り注ぐ雪の白さを吸い込み、冷たい光が血のように反射した。


シオンは震える手で地面を這い、立ち上がろうとするが、

膝が裏返ったように力の入れ方が分からない。


「……まだ、だ。まだ……テリヤキの、本当の味を……」


「無意味だ。信号を失った生物は、ただの有機的なゴミに過ぎない」


イプシロンのブレードが、躊躇なく振り下ろされた。


回避不能な速度。


シオンが愛した、あの大地を耕すために装備した

セラフィオンの右腕――ショベルを抱えた鉄の腕が、

肩の付け根から無残に両断された。


火花が闇を焼き、爆炎が網膜を焼く。


衝撃波が至近距離で炸裂し、シオンの体は再びゴミのように吹き飛ばされた。

冷たいコンクリートの壁に背中を強打。


「がは……っ!」


肺の中の酸素がすべて絞り出され、視界がチカチカと明滅する。

だが、死神の歩みは止まらない。


「秩序は守られる。貴様のような、システムの循環を乱す不純物は、永久に凍結されるべきだ」


ブレードがシオンの眼前に突きつけられる。

死の冷気が、皮膚の産毛を逆立たせた。


『マスター……っ、立って……死なないで……ください……』


セラの悲痛な呼びかけが、遠く、遠くへ消えていく。

身体は動かない。

熱かったはずの心臓が、急速に冷えていく。


視界が急速に狭まっていく中、カイザーの非情な宣告が、トドメのように脳裏へ叩き込まれた。


「――終わりだ」


深紅のブレードが、シオンのすべてを終わらせるために振り下ろされ――。


世界は、救いのない闇へと暗転した。

次回へ続きます。なお、明日も更新します。

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