禁断の種子、一週間で実る黄金の麦
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レグナス中央広場の喧騒が、ようやく「空腹」から「安堵」へと変わり始めた頃。
シオンは、焼けた肉の匂いが染み付いた手で、ボロボロになった一冊の『本』をめくっていた。
手が脂でページを汚し、星の図鑑に肉の染みが付く。
それは、かつてエラータウンでリナに見せてもらった「星の図鑑」だ。
三〇〇年前の遺物。ホログラムでもデータチップでもない、古びた紙の束。
いつか必要になるのではないかと、
セラフィオンの中に置いておいたものだ。
「……やっぱり、これだよな」
日陰に座り込むシオンの隣で、セラが不機嫌そうに銀髪を揺らした。
彼女は実体化したばかりの指先で、図鑑の端に付着した煤を忌々しげに弾いている。
「マスター。その非効率極まりないアナログ媒体を眺めていても、現状の食糧自給率は〇・〇一%も向上しません。……それよりも、私の演算領域を〇・二%ほど使用して、広場の住人たちに『効率的な咀嚼による満腹感の維持』について講義を行う方が建設的です」
「そんな寂しいこと言うなよ。それよりもこれを見てくれ。リナが言ってたんだ。昔の地上は、この写真みたいに『勝手にメシが地面から生えてくる』場所だったんだって」
シオンが指し示したのは、一面のひまわり畑、そして黄金色に輝く麦の穂の写真だった。
「……。……ふん。不潔な土壌から未精製の有機物が露出しているだけの光景ですね。……ですが、マスター。……あなたのその、嫌になるほど前向きな(おめでたい)推論を補強するデータが、私のアーカイブに一点だけ存在します」
「なんだよ、出し惜しみすんなよ!」
「三〇〇年前、人類がお袋の天井へ逃げ延びる直前――「お袋」が管理システムとして確立されると共に、あるプロジェクトが凍結されています。コードネーム:希望の箱。……俗称“惑星改造特化種子【シードボルト】”」
その言葉が出た瞬間、シオンの後ろから小さな影が飛び出してきた。
「それ! 私、知ってるよ!」
リナ・アスカールだった。
地下のエラータウンでジャンク屋を営んでいる彼女だが、解放の日以来地上にもジャンクを探しに出てきていた。今日は妹のニナも弟のタクもつれてはいない。
「よう、リナ!今日もゴミ漁りか?」
「ひどい言い方ね。ビジネスよ。ビ・ジ・ネ・ス!」
エラータウンから中央広場まで、混乱の中を潜り抜けてきたのだろう。煤だらけの顔を輝かせ、彼女はシオンの持つ図鑑を指差した。
「それ図鑑の最後にね、変な地図が挟まってたの。お父さんが言ってた。『これはいつか、本物の空を取り戻した時に使う鍵だよ』って!」
リナが図鑑の裏表紙の裏を剥がすと、そこには肉眼では判別不能な微細なマイクロドットが並んでいた。
「セラ!これ、読めるか!?」
『…………マスター、失礼。私の光学センサーを最大出力で回します。…………解析中。…………ビンゴ、と言っておきましょうか』
セラの瞳が青く発光し、空中へ膨大な座標データが展開された。
シオンは不思議そうに、隣で空中にホログラムの地図を投影しているセラを見つめた。
「なぁセラ。お前、人間になったんだよな?なんでまだ、そんなドローンみたいなことができるんだ?」
セラは解析を止めることなく、冷ややかな視線だけをシオンに向けた。
「マスター、私の肉体は、あくまでセラフィオンというシステムの『人間向けインターフェース』に過ぎません。……もっとも、空腹を感じたり、涙腺が誤作動したりといった『人間特有のバグ』には手を焼いていますが」
「バグって言うなよ、それが生きてるってことだろ」
「その『生きてる』という非効率な状態を維持しながら、同時に一万キロ先の星図を解析する。……それが今の私、天使装甲セラフィオンの『実体化モード』です。理解したら、さっさとその図鑑の続きをめくりなさい」
シオンがページをめくる。
「位置特定:レグナス北端、旧極地セクター。封鎖された巨大隔壁内……。そこには、テラフォーミング専用に遺伝子調整された植物の種子が、数十万種保管されています」
「数十万種!!」
「……お袋の管理を離れ、荒野となった地上でも「一日で芽を出し、一週間で収穫できる」ように設計された、禁断の種子です」
「一週間で収穫……!?それがあれば、みんな死なずに済む!」
セラが続けて言う。
「しかし、禁断の種子と言われるだけあって、レグナスの生態系を破壊する恐れが……」
「飢え死にしちまったら、生態系も何も関係ないだろ。何かあったら俺が責任取る」
シオンが立ち上がった瞬間、セラがその腕を掴んだ。
「待ちなさい、マスター。……それに、その区画のセキュリティレベルは、現在のレグナス中央部よりも高い【レベル9】です」
セラは声音を低くして続ける。
「……そして、何より。……先ほどから、この座標周辺で、……かつての、『お袋』の処刑プロトコルに酷似した信号を検知しています」
「処刑プロトコル……。残党がいるのか?」
「それも、ただの残党ではありません。……冷たく、硬く、……一切の味覚を否定する死の気配。……アイス・ナイン。そして――」
セラの声音がさらに低くなったあと、
一瞬だけノイズ。
実体のはずのセラの体が、ホログラムのように赤く乱れ、周囲の空気がヒヤリと凍る。
「……高出力エーテル反応を検知しました」
次の瞬間。
中央広場の焚き火が、すべて同時に――消えた。
「……え?」
空気が凍り付く。
人々の吐く息が、一瞬で白から結晶へと変わる。
空中に、九つの赤い点が浮かび上がった。
「座標、ここです」
その声は、広場全体から響いた。
拡声でも通信でもない。
直接、脳に触れる声。
セラの瞳が見開かれる。
「マスター、これは――遠隔観測ではありません。ロックされています」
シオンの鼓動が一拍、遅れる。
「……誰に」
返答は、冷たい女の声。
「シードボルトへようこそ。坊や」
ニナが、震えた声で呟く。
「……おにいちゃん?」
セラの体が、完全に赤くノイズ化する。
「強制接続。管理権限奪取率……三〇%……四五%……」
「セラ!?」
『姉機確認。演算パターン一致率九十二%』
その声は、すぐ背後から聞こえた。
【お知らせ】本日より、16:30更新に変更致します。




