動き出す凍結の残響
※生きることは、食べることという物語です。
「待てよ!生で食ったら腹を壊す!今、テリヤキにして――」
「うるさい!お前さえ、お前さえ余計なことをしなければ、今頃俺たちは……!」
元配給管理員の男が、石を投げつける。セラフィオンの装甲に当たり、乾いた音を立てて弾けた。
男は顔をゆがめ、涙をにじませながら叫ぶ。
「俺たちは何も悪くなかった!ただ従ってただけだ!なのに、なのにどうしてこんな目にあわないといけないんだ!!」
その声は、群衆の胸に響き、次第に同じ叫びが周囲に広がっていく。
「そうだ、お前らが『お袋』を壊したんだ!」
「自由なんていらなかった!メシをよこせ!元の生活を返せ!」
「人殺し!破壊者!」
シオンはコクピットの中で、言葉を失い立ち尽くした。
命を懸けて戦ったはずだった。偽りの空を打ち破り、本物の味と自由を取り戻したはずだった。
だが、目の前に広がるのは、自由を恐れ、かつての檻を懐かしむ大人たちの悲痛な姿だった。
「……マスター。バイタルサインの低下を確認。……彼らの言葉をまともに演算する必要はありません。恒常性が崩れた有機知性体の生存本能による暴走です」
セラが冷たくも心配そうにシオンを見つめる。
だが、今のシオンには、その毒舌も届かない。
「……俺、何のために戦ったんだろう。こいつら、こんなに俺たちを憎んで……」
肩が落ち、胸が痛むその瞬間。広場全体を震わせる、金属的な咆哮が轟いた。
『――黙れッ!!この、恥知らずな豚どもがッ!!』
漆黒の天使装甲〈オメガ〉が群衆とセラフィオンの間に割り込む。衝撃波で人々は吹き飛ぶが、恐怖の中にも少しずつ目が輝き始める。
「『嘆きは砂に溶け、無知なる民は光を呪う。だが、私の誇りは、この薄汚れた叫びに屈することはない!』」
ハッチが跳ね上がり、立ち上がったのはグリード・ゼノフィス。
銀のスプーンを突きつけ、静かに、しかし圧倒的な存在感で群衆を見下ろす。
「貴様ら!このシオン・グレイスが、どれほどの覚悟で肉を仕入れてきたか理解しているのか!彼は変異した巨獣の群れに飛び込み、熱線に焼かれながらも、貴様らの腹を満たす『味』を守り抜いたのだ!」
声に圧倒され、群衆は思わず息を呑む。大人たちは体を震わせ、涙をこらえながら石を落とす。
「自由が重いだと?空腹が辛いだと?笑わせるな!お仕着せのゼリーに甘んじていた貴様らに、この男を非難する資格など一つもない!文句があるなら、肉を食わずに死ね!他者の善意に石を投げる臆病者が騎士道に照らして万死に値する!」
広場に静寂が訪れ、風の音と荒い呼吸だけが聞こえる。
しかし、恐怖と怒りの中に、少しずつ好奇心と期待の光が差し込んでいた。
グリードは声を落とし、静かに続ける。
「……だが、怖いのも分かる」
その一言に、群衆の大人たちの目が潤む。緊張が少しずつほどけていく。
「ネメシス!マヨネーズの在庫を全開放しろ!……シオン、焼く肉がなければ、私のポエムは未完成だ!この愚民どもを、テリヤキで喜ばせるんだ!」
「……了解、マスター。マヨネーズ射出シークエンス開始。……シオン、立ち上がれ。お姉様が、情けない顔を見て内部回路をショートさせかけている」
シオンはふっと小さく笑った。鼻をすする。胸の奥の痛みも、銀髪の少女の真っ直ぐな視線で少し和らぐ。
「……悪りぃな、ポエム野郎。助かった」
「ふん、礼には及ばん。美味しい肉が食いたいだけだ」
操縦桿を握り直し、セラフィオンの指先が熱を帯びる。
「いいか、レグナスの連中!文句は食ってから言え!……セラ、火加減を頼む。今日一番の特大テリヤキを見舞ってやる!」
「……肯定、マスター。……あなたの単純すぎる脳に感謝します。……さあ、調理開始。私たちの『自由』を、この香りで証明するために」
最初に石を投げた元配給管理員の男に、シオンは焼きたての肉を差し出す。
「ほら、食ってみろ」
男はおずおずと、しかし力強く肉を口に運ぶ。
咀嚼、沈黙、そして震える声でつぶやく。
「……あ、……あったけぇ……俺は、肉の焼き方も知らない……」
「だから、今から教えるんだよ」
その光景を見た大人たちの目に涙が光る。
「お、俺にも肉を!」
「うちの子にも食べさせて」
「わしにも……」
自然と列ができ、シオンとセラが手分けして肉を配る。
口々に「うまい」「懐かしい」と笑い声が広がる。群衆の表情が次第に柔らかくなり、恐怖の影は消え去った。
「落ち着け!肉はまだあるぞ!」
レグナス中央広場は、怒号と笑い声、テリヤキの香りで奇跡的な静寂を取り戻していた。
彼らの笑顔と涙は、もう誰にも奪えない――それが、この街の「自由」の証だった。
遠く凍結区画――かつて「お袋」が死刑囚をコールドスリープさせた『静かなる墓場』で、一つの棺が内側から弾け飛ぶ。
プシューッ、と排気された冷却ガスの中から男が這い出す。
カイザー・オルグレイ。
かつて「お袋」の右腕で、秩序を守る処刑部隊の長。
「……三か月か。再調整とはいえ、ずいぶん長く眠ったな、シオン・グレイス」
背後には特戦隊『アイス・ナイン』が整列するが、地上では、新たな温もりと希望が確実に芽吹きつつあった。しかし、ここでは絶望と冷たさが空気を支配していた。
「カイザー閣下。状況を確認しました。お袋は沈黙。レグナスは現在、無知なる反逆者たちによる『自由』という名の無秩序に晒されています」
九人の黒衣の一人、仮面の女、ヘルバイラがカイザーに報告する。
地下の施設でシオンたちを監視していた女だ。
カイザーは、ヘルバイラのその言葉を鼻で笑った。
「自由だと?笑わせるな。彼らがやっているのは、神聖なる管理システムへの冒涜に過ぎん。人類に味覚などという過剰な刺激は不要だ。必要なのは、揺らぐことのない凍てついた秩序のみ」
その声には、かつて味を知った時の感動は微塵も感じられない。
再調整とは、洗脳のやり直しの事だった。
「私は知っている。肉は美味い。甘い。温かい。……だからこそ危険だ」
彼は三〇〇年前の世界の真実を知っていた。
「私はあの混乱を二度と繰り返させない」
そう吐き捨てると、カイザーが壁のパネルの紋章に触れる。
凍結区画の奥深く、分厚い隔壁が重低音を立てて開いた。
そこに鎮座していたのは、セラフィオンの白銀とも、オメガの漆黒とも異なる、禍々しいまでの『深紅』に染まった天使装甲だった。
「――起動せよ、イプシロン。そして、タナトス」
深紅の機体の瞳に、血のような光が灯る。
同時に、コクピットからホログラムが展開された。そこに現れたのは、セラやネメシスと酷似した容姿を持ちながら、その瞳に一切の光を宿さない、死を司る天使の姿。
『……個体識別:タナトス。状況を把握しました。お姉様たちが、下劣な有機知性体と共謀し、世界の解像度を下げているようですね。……不愉快です。即刻、デリートすべきだと判断します』
タナトスの声は、セラの毒舌とは違い、感情の起伏が完全に削ぎ落とされた「処刑宣告」だった。
「そうだ、タナトス。だが、まずはセラフィオンを破壊する前に、やるべきことがある。……お袋様を再起動するためには、オリジナル・セラフィナの純正コピーである『セラ』の演算核が必要だ」
カイザーの口元が、歪に吊り上がる。
シオンたちが地上の太陽の下、泥にまみれて「開拓」という名の夢を見ている間に、影は着実に伸びていた。
「シオン・グレイス。貴様が守ったつもりになっているその『味』ごと、再び永久凍土の底へ沈めてやろう。……セラフィナの欠片は、我々が回収する」
深紅の天使イプシロンが、暗闇の中で静かに駆動音を鳴らす。
それは、新生レグナスに訪れる、二度目の、そして最も冷酷な冬の兆しだった。
2月25日より更新時間を16時30分に戻します。




