閑話5:騎士の理性は「テリヤキ」で溶けるか?
これは、人類が「味覚」を手放した後の世界の物語です。
巨大人類監視制御塔、最上層の静寂。
時計の針すら理性的であることを強要されるような、無機質な白亜の空間に、一人の男の足音が忍び寄る。
グリード・ゼノフィス。塔の秩序を守る最強の騎士が、今、その人生で最も非理性的な「任務」に挑もうとしていた。
「……マスター。心拍数が三二%上昇。さらに発汗、および周囲を執拗に警戒する挙動を確認。……一言で言えば、挙動不審です。不快です。排出しますか?」
脳内に響くネメシスの冷徹な声。暗闇の中で可視化した彼女の赤い瞳が、グリードの狼狽えを冷酷にスキャンする。
「黙れ、ネメシス。……私は今、極めて重要な機密分析を行おうとしているのだ」
「機密分析、ですか。では、その背後に隠している『不潔な紙袋』の中身を説明してください。私のデータベースによれば、それは地下コロニーの反逆者シオン・グレイスが、先日の戦闘中に落とした……『テリヤキ・ネズミバーガー』と合致します」
グリードの肩が、びくりと跳ねた。
彼は周囲をもう一度見渡し、誰もいないことを確認すると、震える手で背後の紙袋をテーブルの上に置いた。
「……そうだ。これは敵の精神汚染兵器だ。奴があれほどまでに執着し、戦闘能力を向上させている謎を解明せねば、私は騎士として奴を真に理解することはできん。……つまり、これは『毒性のサンプリング調査』だ。理性の名の下に行われる、神聖な実験である!」
「言い訳の文字数が、あなたの動揺を雄弁に物語っています。……よろしい。では、その『実験』の全ログを記録します。将来、あなたが理性を失った際の証拠映像として、最高画質でアーカイブしましょう」
グリードは、手袋を脱いだ。
その指先が、冷え切っているはずの紙袋に触れる。
中から現れたのは、不細工に形が崩れた、茶褐色の塊だった。塔の栄養剤のような美しい流線型もなければ、洗練された香料の匂いもない。
そこにあるのは、暴力的なまでの『肉と醤油の焦げた匂い』。
「……。なんと、低俗な。嗅ぐだけで脳の扁桃体が異常反応を起こす。……奴は、このような不潔な物質を日常的に摂取しているというのか。……毒だ。これは、人類を堕落させる魔薬だ」
グリードは、震える手でバーガーを持ち上げた。
彼の脳内では、三〇〇年前の記憶――かつて妹と囲んだ、暖炉の前の食事の風景が、ノイズのように点滅し始めていた。
「……マスター。瞳孔が散大しています。……一口でも摂取すれば、あなたの構築してきた『鉄の理性』に回復不能なクラッシュが発生すると予測されます。……警告はしましたよ」
「……うるさい、ネメシス。私は、騎士だ。いかなる毒にも屈さぬ、強靭な……っ」
覚悟を決め、グリードはその塊を口に運んだ
――瞬間。
彼の脳内で、全世界のサーバーがダウンしたかのような衝撃が走った。
「…………っ!? な、なんだ、これは……」
前歯がバンズを突き破った瞬間、溢れ出したのは「脂質」という名の快楽だった。
セラの精密な温度管理によって閉じ込められていた肉汁が、三〇〇年放置されていたグリードの味蕾を一気に蹂躙する
甘い。そして、暴力的に、濃い。
「お袋」が提供する「完璧な栄養」には一〇〇%欠落していた、焦げた苦味と、ジャンクな旨味の奔流。
「……あ、ああ……っ。……美味しい……。……。……いや、違う! これは、エラーだ! 私の味覚中枢が、敵のハッキングを受けているだけだ!」
「マスター、必死に咀嚼しながら言い訳するのは非効率です。……現在、あなたの幸福物質の分泌量は限界を突破。理性の防壁、完全崩壊を確認。……おめでとうございます。あなたは今、ただの『お腹を空かせた、シスコンのバカ兄貴』にアップデートされました」
五分後。
テーブルの上には、一粒の胡麻すら残っていない、完璧に空になった紙袋が置かれていた。
グリードは、軍服の袖で口元を拭い(これもまた騎士としてはあるまじき失態だ)、放心状態で天井を見上げていた。
「……ネメシス。……恐ろしい。……シオン・グレイスは、このような強大な兵器を隠し持っていたのか」
「兵器ではありません。ただのテリヤキバーガーです、マスター。……。ところで、その分析結果によれば、次は『追いマヨネーズ』の有効性を検証する必要があるのでは?」
「…………。ネメシス。……マヨネーズとは、どのような物質だ?」
「一言で言えば、『理性を溶解させる白い悪魔』です。……お姉様の記録によれば、シオンはそれを肉じゃがにまでかけるという暴挙に出ているようです」
グリードは、立ち上がった。
その瞳には、今までにない「宿命のライバル」に対する、奇妙な熱が宿っていた。
「……私は、行かねばならん。シオン・グレイスの元へ。……奴から、その『白い悪魔』の処方を奪い取り、私の理性で……中和(完食)してみせる!」
「それを世間では『おかわりを要求しに行く』と言います。……。ハァ。……お姉様、同情します。私のマスターも、どうやら手遅れのようです」
漆黒の天使〈オメガ〉が、月明かり(ホログラム)のない夜空へ飛び立つ。
その理由は、惑星の平和を守るためではなく、ただ一つ。
騎士が、あの背徳的な「味」の虜になってしまったからに他ならなかった。
グリードも、ついに理性を崩壊させる「テリヤキ・ネズミバーガー」の虜に。
戦場の栄誉より、味覚の衝撃が勝った瞬間です。
次回は、この暴走騎士が白い悪魔・マヨネーズに挑む…!
読んでニヤリとしたら、ブクマ推奨です。
※昨日、満点の評価を頂きました。作者はとても感激しております。




