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焦土のレシピ~泥にまみれた晩餐~

これは、人類が「味覚」を手放した後の世界の物語です。

始まりは、レグナス北半球の工業都市で起きた「パン・デモ」だった。


配給システムのバグにより、数百万人の市民に届くはずの

ライセンスコードが消滅。


数日間にわたって、目の前に食料があるのに「法的ロック」がかかって

開封できないという、滑稽で残酷な事態が発生したのだ。


「コードをよこせ! 子供たちが腹を空かせている!」


暴徒化した市民は配給センターを襲撃した。彼らが求めたのは金銭ではなく、

ロックされていない「本物のパン」だった。


しかし、企業の警備ドローンは容赦なく火を放った。

焼けたパンの匂いと、抗議する人々の焼ける匂いが混ざり合う。


この事件をきっかけに、世界各地で「食糧主権」を求める反乱が連鎖した。

反乱軍がまず行ったのは、企業の種子貯蔵庫への攻撃だった。


だが、企業側も黙ってはいない。彼らは自社の利益を守るため、

民間軍事会社を雇い、最新鋭の兵器を投入した。


皮肉にも、後の『セラフィオン』の原型となる

「高機動調理支援外骨格(H.M.C.E)」が開発されたのはこの時期だ。

当初、この機体は前線兵士のメンタルヘルスを保つためのものだった。


極限の戦場において、合成食糧ではなく「焼きたての食事」を提供することで、

士気を維持する。セラフィオンの美しい白銀の装甲は、

当初、清潔なキッチンの象徴だったのだ。


しかし、戦況が悪化するにつれ、この「調理機」の用途は変質していく。

戦略爆撃により、広大な小麦地帯や畜産農場が灰に帰した。


ミサイルが着弾するたびに、地平線の彼方から

「巨大なステーキを焼くような匂い」が漂ってくる。


それは死の予兆でありながら、極限状態の人間を狂わせる甘美な誘惑でもあった。

ある部隊では、味方の死体を「有機資源」として再利用しようとした記録さえ残っている。


調理機セラフィオンに、ナイフがついている理由は、

食材を切るためだけじゃない。……邪魔な奴をバラして、肉を奪うためだ」


白銀の装甲は、返り血と焦げた油で見る影もなく汚れ、

かつての「天使の厨房」は「死神の屠殺場」へと変貌した。


戦争は、かつてないほど「不潔」で、かつてないほど

「香ばしい」ものとなり、人類を文明の底へと引きずり込んでいった。


◇◇◇


戦争が泥沼化し、

空がミサイルの航跡と灰色の雲に覆われていた時代――。


天才科学者アーサー・ゼノフィスの研究所は、

人里離れた高地にひっそりと佇んでいた。


そこは、世界中が血と脂の匂いに塗れる中で、

唯一「理性的」な空気が残された聖域だった。


まだ十代だったグリードは、

父の助手としての日々を送りながら、

幼い妹セラフィナの面倒を見ていた。


セラフィナは、当時の殺伐とした世界には不釣り合いなほど、

純粋で、そして「食」に対して旺盛な好奇心を持つ少女だった。


「お兄様、今日のスープは少しだけ、昨日のより甘い気がするわ!」


そう言って笑う妹の笑顔を守ること。それがグリードのすべてだった。


父アーサーは、そんな二人を慈しみながらも、

窓の外に広がる地獄に心を痛めていた。

彼は「食」という欲望が

人類を破滅させると確信し、全人類の味覚をデジタル的に制御し、

争いを根絶するシステム『レグナス・ピース』の理論を

完成させようとしていた。


「いいかい、グリード。人は『もっと美味いもの』を求めるから争う。

ならば、すべての人に『等しく、十分な満足』を与えればいい。

そうすれば、セラフィナが戦場に行く必要のない、穏やかな世界が来る」


父の語る理想は、少年の目には神の救済のように見えた。

だが、平和を願う祈りは、最も残酷な形で踏みにじられることになる。


◇◇◇


その夜、空は燃えていた。


補給路を断たれ、数週間の飢餓に発狂した反乱軍の残党が、

研究所を包囲した。彼らはもはや「兵士」ではなかった。

眼窩は落ち窪み、ただの「飢えた獣」へと退化した

異形の一群だった。


防壁が破られ、略奪が始まった。

彼らが求めたのはアーサーの高度な研究データでも、

金目の備品でもなかった。彼らは食糧庫の扉を銃で破壊し、

中にあるものを狂ったように貪った。


騒乱が去った後、研究所は静まり返っていた。

隠しシェルターから這い出してきたグリードが見たのは、

床に散乱したガラス片と、略奪者たちが争って落とした、

たった一つの「牛肉の塊」だった。


それは、もはや「食材」と呼べるようなものではなかった。

不衛生な床に転がり、泥と油にまみれ、

数時間の放置によって腐敗の兆候を見せている。

だが、三日間の絶食を強いられた妹、

セラフィナの限界はとうに過ぎていた。


「……お腹が、空いたの。お兄様……。

あのお肉、……焼いて……?」


セラフィナの虚ろな瞳に映るその肉は、死の誘惑だった。

グリードは躊躇した。これが危険であることは、

父の助手としての知識が告げていた。


しかし、目の前で今にも消え入りそうな妹の命を繋ぎ止めたいという、

痛烈な「愛」が理性を上回った。


何かあってもセラフィナの脳内のプロトタイプ・ナノ・シードが、

うまく作動するだろう。


グリードは震える手でフライパンを握った。

愛用していたスパイスはない。まともな油もない。

彼はただ、妹を喜ばせたい一心で、

泥を拭ったその肉を焼き上げたのだった。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます!

おかげさまで累計読者数(UA)が550人を突破しました。一億度の感謝を。


今日の一皿、少しでも「熱い」と感じてもらえたなら、

下の【☆☆☆☆☆】を直感でポチッとしてもらえると嬉しいです。


あなたのひと押しが、このディストピアに火を灯し続ける唯一の燃料です。


明日も16時30分、厨房は開いています。

※ちなみに、H.M.C.E=

ハイ-モビリティ・モービル・クッキング・エクス-スケルトンです。

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