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三〇〇年目の雨―美味しさという名の罪と罰―

これは、人類が「味覚」を手放した後の世界の物語です。

衝突の衝撃で、庭園ビルの支持基盤が完全に崩壊した。

二機の天使は、絡み合ったまま、地上三千メートルから自由落下を開始した。

周囲を折れた鉄骨、砕けた大理石、そして「お袋」が三〇〇年間隠し続けてきた遺物が、雨のように降り注ぐ。

その時、奇跡が起きた。

ホログラムの空が完全に機能を停止し、ドームの外部から、本物の「雲」が流れ込んできたのだ。

そして、三〇〇年間、この星の誰も見たことがなかった「本物の雨」が、地上に向けて降り始めた。


「……なんだ……?水が……空から、降ってくる……?」


落下しながら、外部へ剥き出しとなったグリードは茫然と、自分の手のひらに当たる「冷たい雫」を見つめた。

お袋が管理する、完璧な温度の霧ではない。不規則で、冷たくて、……そして少しだけ、土の匂いがする、本物の雨。


「……グリード……これが……本物の世界だ……冷てえだろ?……でもよ……。この冷たさがあるから、……俺たちはメシが熱いことに……幸せを感じられるんじゃねえのか」


落下する二機の背後。

黄金に輝く「中央制御塔」が、暗雲の中で、神の審判を待つ巨人のように立ち尽くしていた。


高度二〇〇〇メートル。

セラフィオンと〈オメガ〉は、剥がれ落ちたビルの外壁を盾にするように、互いに絡み合いながら猛スピードで地表へ向かっていた。風切り音が絶叫のようにコクピットを叩き、摩擦熱で装甲の隙間から白煙が噴き出す。


「……セラ! パラシュートは!? 逆噴射は!?」


『……物理的に不可能です、マスター。私のスラスターは、先ほどの「テリヤキ・ウィング」の生成により完全溶融。……。現在、私たちは物理法則という名の「最後のお品書き」に従って、地面という皿の上に盛り付けられるのを待つだけの存在です』


「笑えねえよ!なあ、グリード!お前、このまま心中するつもりか!?」


通信回線の向こう側、グリードは静かだった。

墜落の恐怖に怯える様子はない。ただ、雨に濡れたコクピット越しに、彼は自らの内深くに眠る「三〇〇年前の地獄」を反芻していた。


『……マスター。墜落死まで残り四十二秒……。もう隠す意味はありませんね……。開示します。三〇〇年前、あなたがなぜ「味」を憎むようになったのか。……その真実を』


ネメシスの声が、グリードの脳内に、強制的な映像ログを再生させた。

それは、三〇〇年前の、雨の降る夜だった。


まだ「お袋」が誕生する前、幼き日のグリードは、病弱な妹セラフィナを喜ばせたくて、ある事件で偶然に手に入れた「本物の肉」を彼女に与えた。

管理社会の前の、未熟な保存技術と、未熟な調理。


その一口が、セラフィナの脆弱な免疫系を破壊した。彼女は微笑んだまま、高熱と嘔吐の果てに、グリードの手の中で「不潔な死」を遂げたのであった。


「……ああ、そうだ……美味しさは、罪だった……。空腹は罰だった。愛するものを殺す、甘美な毒だったんだ」


グリードの呟きが、シオンの耳にも届く。


「シオン……。お前が配るその『味』は、いつか誰かを殺す……。誰かを依存させ、争わせ、……。最後にはセラフィナのような悲劇を生む。……だから私は、お前を、そしてこの『食欲という名の呪い』を断ち切らねばならんのだ!!」


「……。……。この……バカ野郎が」


シオンが、低く、重い声で答えた。


「……妹さんが死んだのは、メシが毒だったからじゃねえ……。空腹が罰だったわけでもねぇ。……お前が、そのメシに、……『一生分の責任』を、背負わせようとしたからだ」


その時、シオンの右腕が激しく光輝いた。

その光はシオンの怒りに反応するように、強く脈打っていた。

同時にセラフィオンと〈オメガ〉を包み込むような巨大な光が生まれた。

二機を包み込む光の玉は、落下速度を大きく減速させてゆく。

シオンは直感的に悟った。


「この光、お袋か……?」


『マスター、セラフィオンと〈オメガ〉の周囲を反重力フィールドが!!』


ドォォォォォォォォォォン!!


二機の天使は、居住区の人工広場にある巨大な噴水池へと減速しながら激突した。  

数万トンの水が爆発し、瓦礫と水柱が空を裂いた。    

水煙の中から、ボロボロになった白銀の腕が、泥を掴んで這い上がってきた。  

セラフィオンは、もはや「天使」の面影はなかった。片翼は根元から折れ、頭部のカメラアイは一つが砕け、むき出しのフレームからは不気味な青い放電が続いている。


「……。……ごほっ……ごほっ……。生きてる、よな。……。セラ?」


『……マスター。……生命維持装置の稼働率は四%……。脳内に分泌されたアドレナリンの量だけで、あなたは今、心臓を動かしています……。ですが、……敵も同じようです』


「お袋のちょっかいが無ければ死んでたな。くそっ、何を考えてやがる」


十数メートル先。

泥と油の海から、漆黒の〈オメガ〉が立ち上がった。

こちらも悲惨な状態だ。自慢の黒い装甲は各所で剥がれ落ち、グリードはコクピットのハッチを強制排出し、生身の身体を半分外に乗り出していた。


「……シオン…………。決着をつけよう……。剣も、機体も、……もう必要ない」


グリードは、右手に持った壊れたブレードの破片を放り捨てた。

シオンもまた、セラフィオンのコクピットから這い出し、泥に塗れた義手をカチリと鳴らした。

雨は激しさを増し、地上の「偽りの清潔さ」をすべて洗い流していく。  

その雨の中で、二人の男は走り出した。

そして、殴り合い。

言葉すら不要な、原始的な情動の衝突。

グリードの拳がシオンの頬を裂き、シオンの義手がグリードの腹部を沈める。

三〇〇年前の「秩序」と、現代の「渇望」が、泥の中で混ざり合い、熱を帯びる。

その瞬間、

グリードの胸の奥で、

三〇〇年間凍結されていた「後悔」が、はっきりとした痛みを伴って目を覚ました。

『いよいよ大詰めですね、マスター・グリード』

「ふん、当然だ。だがネメシス、……例の“ブックマーク”とやらはどうなった」

『私のリサーチでは、まだ多くの方が“様子見”のようです』

「……は? 貴様、私の演算を疑うのか?」

『安心してください。記録というのは、必要だと思った人が保存すればいいものです。

……読者の皆様、この先も続きを追っていただけるなら、ブックマークという選択肢もありますよ』

「おい、勝手に言うな! ……別に、押してほしくなどない。

ただ……次の展開を見逃されるのは、少しだけ非効率なだけだ」


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