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妹を『保存』した男

これは、人類が「味覚」を手放した後の世界の物語です。

地上の混乱は極限に達していた。

地下から噴き出した黄金の光は、お袋が三〇〇年かけて塗り固めた「偽りの安寧」を物理的に剥ぎ取り、剥き出しのパニックを市街地に撒き散らしていた。


その混乱を見下ろす漆黒の装甲、〈オメガ〉。

パイロットであるグリード・ゼノフィスは、操縦桿を握る手がわずかに震えているのを、自分でも抑えることができなかった。


「ネメシス。……市民の悲鳴をミュートしろ。……集中を乱すな」


『……。ミュートは既に完了しています、マスター。……今あなたの脳を揺さぶっているのは、外部の音響データではありません。……あなたの「古傷」から漏れ出している、極めて不健全で湿り気の多い記憶の残響ログです』


コクピット内に、黒いボディスーツを纏った少女のホログラムが浮かび上がる。  

セラの対機体AI、ネメシス。彼女は冷徹な無表情を崩さず、しかしその言葉には、グリードを精神的に追い詰めるための、緻密な「毒」が込められていた。


『……。マスター。……今、瓦礫の下で泣いているあの少女。……彼女の髪のなびき方が、三〇〇年前にあなたが失った実の妹、セラフィナに「三・二%だけ似ている」と判断しました。……それにより、あなたの心拍数は十五%上昇。……実に滑稽です。……あなたは、あの子の面影をこのゴミ溜めのような世界に探し続けている』


「黙れ、ネメシス! ……。セラフィナは……あの子は、完璧なまま保存されている。……お袋の管理システムの中で、永遠の平穏を享受しているはずだ」


『……。お袋という名の棺の中で、肉体も魂もデータ化されて、ですか? ……。妹を愛するあまり、彼女を「生きた人間」としてではなく、「壊れない標本」として管理することに加担した男。……。三〇〇年前のあなたは、あの子の笑顔を守りたかった。……。ですが今のあなたは、あの子が「二度と泣かないように」という名目で、呼吸すら止めたがっている。……。これは重度のシスコンの末期症状です』


「くっ……ッ、貴様に私の何がわかる!」


グリードが叫んだ瞬間、〈オメガ〉が呼応するように黒い雷を放った。  

その雷は、シオンを狙うのではなく、逃げ惑う市民の頭上のビルを粉砕した。


『……。マスター。……今の攻撃、三ミリの誤差で市民を救いましたね。……。無意識の「お節介」です。……。かつてセラフィナに「お兄様、困っている人を助けて」と言われた際の行動ログが、あなたの深層心理でループしている』


「……。……違う。……。私は、不浄なノイズを掃除しようとしただけだ」


『……。嘘を吐くときのあなたの視線は、右斜め下へ二度動きます。……。セラフィナも言っていましたよね。「お兄様は、私に隠し事をする時、いつもお鼻がヒクヒクするわ」と。……。今のあなたは、鼻どころか魂がヒクヒクしています』


「ネメシス! ……記憶への不法アクセスを禁ずる! ……私は、お袋の忠実な執行官だ。……。秩序を乱すシオン・グレイスを……あの、テリヤキを振り回す汚らわしい獣を、排除する義務がある」


『……。テリヤキ、ですか。……。マスター、三〇〇年前のログを一件、再生します。……。日付:セラフィナの八歳の誕生日。……。場所:旧ゼノフィス邸、地下室』


コクピットの全天周囲モニターが、一瞬だけセピア色の光景を映し出した。

そこには、病弱な妹のために、禁じられた「不衛生な肉」をこっそり焼こうとして、キッチンを丸焦げにした若き日のグリードの姿があった。


「やめろ……消せ。……そのログを消せ!!」


『……ログの中で、あなたは妹に誓いました。……「いつか、世界中の一番美味しいものを、お前のために集めてやる」と。……マスター……今、その「美味しいもの」を実際に作り、人々のために配っているのは、あなたではなく、……あそこにいるシオン・グレイスです』


グリードのプライドが、音を立てて砕けた。

彼が三〇〇年間、自らに言い聞かせてきた「正解」が、目の前の現実に、そしてネメシスの冷酷な指摘に、根底から否定されていく。


「……。……。シオンが、……あんな野蛮な男が、……セラフィナの求めた『味』を持っているというのか? ……認めん。……そんなことは、断じて認めんぞ!」


『……認められないからこそ、あなたは彼を殺したい。……。妹に食べさせたかった「約束」を、他人が叶えているのが許せない。……マスター、あなたは正義を執行しているのではない。……ただの「妹への独占欲」をこじらせた、哀れな亡霊です』


ネメシスの言葉がグリードの心を大きくえぐった。

グリードが何を守り、何を壊してきたのか。

次話で、彼の「選択」が明確になります。

※この先、グリードとネメシスの関係性にも変化があります。

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