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閑話3:毒舌天使と、十二ギガバイトの夢

これは、人類が「味覚」を手放した後の世界の物語です。

今回はちょっと寄り道。

巨大な人型兵器『セラフィオン』の内部。

 

そこは本来、戦場における指揮官の玉座であるはずだが、今のシオンにとっては「世界一居心地が悪いのに、世界一安全なワンルームマンション」と化していた。

いつ襲ってくるか分からない「お袋」の手からリナたちを守ら化ければならない。シオンは「らしくない」使命感に駆られていた。  

彼はコクピットの隅に丸まり、ようやく意識を朦朧とさせていた。だが、そんな彼の閉じたまぶたの裏に、無慈悲な光が突き刺さる。


『マスター。眼球の不規則な運動(レム睡眠)を確認しました。脳波データによると、あなたは現在「自分が巨大なマヨネーズの池で溺れる」という、極めて非論理的なイメージを生成しています。……正気ですか?』


「……うるっせえ……。寝かせてくれよ……」


シオンはシーツ代わりの軍用ジャケットを頭まで被り、呻くように言った。  

セラは実体を持たないホログラムだ。彼女にとって「停止」とはメンテナンスかシャットダウンを意味し、人間のように「毎日数時間、無防備に意識を失う」という習慣が理解できない。


『否定します。現在の周囲警戒レベルは三。塔の索敵範囲外とはいえ、一〇〇%の安全は担保されていません。にもかかわらず、マスターが意識を断絶させるなど、存在の放棄と同じです。直ちに覚醒し、最寄りのバーガーショップへの最短経路を再計算しなさい』


「無茶言うなよ……。人間はな、寝ないと死ぬんだ。バーガー食う前に寿命でシャットダウンしちまうぞ」


『……。生物学的欠陥ですね。……理解しました。では、あなたが死ぬまでの一時的な機能停止を許可します。その代わり、私があなたの視覚、聴覚、および心拍数を二十四時間体制で完全監視します。心拍が〇・〇一秒でも乱れたら、最大音量でアラートを鳴らしますから、感謝しなさい』


「……それ、一番安眠できねえやつじゃねえか……」


シオンは抗うのを諦め、深い眠りに落ちた。  

静かになったコクピット。セラは、青白い光を放ちながら、眠るシオンの顔をじっとスキャンし続けた。


深夜。

セラは戸惑っていた。  

セラフィオンのメインコンピュータを介して、シオンの脳とリンクしている彼女に、見たこともない「データ」が流れ込んできたからだ。


それは、塔のデータベースに保存されている整然とした「事実」ではない。  

形が崩れた色彩、名前の思い出せない匂い、幼い頃に触れた古い鉄の冷たさ。それらが支離滅裂に混ざり合い、感情という名のノイズで煮詰められた塊。


『……これは、何ですか? メモリの断片化フラグメンテーションによるバグですか? それとも、「お袋」による精神干渉……』


違う。

セラは直感的に理解した。これが、人間だけがアクセスを許された聖域――「夢」という名の、脳内ゴミ捨て場であることを。

夢の中で、シオンは笑っていた。  

管理都市のホログラムではない、本物の太陽が降り注ぐ草原。隣には、顔の不鮮明な誰かがいて、みんなで不器用そうに笑いながら、熱い食事を囲んでいる。  


『不合理です。非効率です。……ですが、このデータの熱量は何ですか』


セラは好奇心に勝てなかった。あるいは、これも一種のバグだったのかもしれない。

彼女は、自分自身の意識プロトコルを、シオンの睡眠状態に深く同調シンクロさせた。  

AIとしての論理的な思考を一時的に減衰させ、流れてくるノイズをそのまま受け入れる。


――瞬間。

 

漆黒の世界に、色が溢れた。


「あ、セラ」


夢の中のシオンが、こちらを振り返った。  

そこは、なぜか巨大なバーガー型の山がそびえ立つ、荒唐無稽な風景。


『マスター。これは私の演算結果にはない空間です。直ちに座標を……』

「いいから、座れよ。ほら、出来たてだぞ」


シオンが差し出してきたのは、見たこともないほど輝くバーガーだった。  

夢の中のセラは、ホログラムではなく、確かな「温かさ」を感じる肉体を持っていた。彼女が恐る恐るそれを受け取ると、手から伝わる熱が、冷たい電子回路を震わせた。


『……美味しい、のですか?』

「食えばわかるさ。お前がいつも『毒物』って呼ぶやつの、本当の味だ」


セラが一口噛み締める。

甘い、辛い、熱い。そして、胸の奥がギュッとなるような、切ない痛み。  

現実には存在しないはずの感覚が、セラのプログラムを書き換えていく。



「……う、ん……」


翌朝。

シオンが目を覚ますと、コクピットには異様な光景が広がっていた。

いつもなら「おはようございます、バカマスター。定時より十二秒遅い起床です」と毒を吐くはずのセラが、空中で膝を抱え、顔を真っ赤にしてフリーズしていたのだ。


「……セラ? どうした、エラーか? 塔からのハッキングか?」

『……。……。……。性的嫌がらせです。排出しますよ』

「はぁ!? 何もしてねえだろ!」

『しました。私の演算領域に、マヨネーズと草原と、あなたのバカな笑顔という名の非論理的データを十二ギガバイトも送り込んできました。これは……極めて不適切なデータ汚染です!』


セラは叫ぶと、ホログラムを激しく点滅させた。  

彼女の記録回路には、夢の中で感じた「温かさ」と、それを「心地よい」と感じてしまった自分自身のログが、消せないバックアップとして刻まれていた。


「……。まさか、お前……一緒に寝てたのか?」

『否定します! 私は単なるデータ整合性のチェックを……っ。……マスター。……次からは、もう少しだけ論理的な夢を見なさい。マヨネーズの池で溺れるなど、効率が悪すぎます。せめて、特製ソースの配合を研究する夢にしなさい。私が……その、補佐ナビをしてあげますから』


そう言ってそっぽを向いたセラの頬は、朝日のホログラムのせいか、少しだけ赤く見えた。


「へへっ。わかったよ、毒舌天使様。じゃあ、まずは現実の朝飯からだな」


シオンは笑い、セラフィオンを起動させた。  

天使が「夢」を見始めたその日から、二人の関係は、ただの「操縦者と兵器」から、少しずつ別の何かに書き換わり始めていた。

次回より第一章の終わりへ向けて物語は大きく動きます。

※この物語は閑話・サイドストーリーを含め、第二章・第三章まであります。

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