砕け散ったユートピア
これは、人類が「味覚」を手放した後の世界の物語です。
ズドォォォォォォォン。
巨大な光の柱が地上に出現した。
その光はプラントを突き抜け、エラータウンの天井を貫き、ついには偽りの空である『お袋の天井』へと届く。
琥珀色の閃光が天を焼き、ホログラムの空がガラスのように砕け散った。 その向こう側から現れたのは、三〇〇年間、誰も見ることのなかった、本物の、深く澄み渡るような「蒼」だった。
『警告。異常事態を確認。……市民各位、落ち着いてください。これは一時的な「環境シミュレーションのバグ」です。直ちに目を閉じ、十回数えてください。……その間、お袋がすべてを修正します』
街中のスピーカーから、お袋の慈愛に満ちた声が流れる。同時に、全市民の脳内に埋め込まれたナノ・シードへ、最大出力の「鎮静信号」が送信された。
通常ならば、これでパニックは収まるはずだった。通常ならば……。
人々は夢遊病者のように微笑み、破壊された地面や空の穴を「見なかったこと」にして歩き始めるはずだった。
しかし、今回は違った。
シオンが放った『テリヤキ・インパクト』には、マスターシェフの料理人としての心意気とエラータウンの人々の強烈で切実な「飢え」と三〇〇年分の「生への執念」が、黄金の粒子と化して混入していたのだ。その粒子が、地上の人々の脳内ナノマシンと「化学反応」を起こした。
「……嫌だ。……嫌だよ、お母さん! あそこ、空が……空が壊れてる!」
一人の少年が、耳を押さえて叫んだ。
それは、「お袋」の管理下では「あってはならない叫び」だった。
彼のナノ・シードは、無理やり「幸福」を脳に流し込もうとするが、外から入ってきた本物の光の刺激が、その回路を焼き切っていく。
「……痛い! 頭が、割れるみたいに痛いんだ! あ、あ、あああぁぁぁ!!」
「どうしたんだ。一体、何が起こっているんだ。気分が、気分が悪い!!」
「頭が、頭が割れそうだ!だ、誰か助けてくれぇ!!」
少年だけではない。周囲の市民たちが、次々と膝をつき、嘔吐を始めた。
三〇〇年分の「抑圧された感情」が、物理的なエラーとして一噴き出したのだ。
彼らの顔からは、あの不気味な微笑みが消え、代わりに、剥き出しの「恐怖」と「混乱」が、顔にシワとなって刻まれていく。
「これが……これが『怖い』っていうことなのか!? 助けて! お袋様、助けてください!!」
「空が、空が落ちてくるぅ!お袋様、お助けを!!」
市民の切実な声が、次々と「お袋」に助けを求める。
『修正を試みます。……情動スコアが極めて危険なレベルです。……対象全個体、緊急リセット(脳内洗浄)プロトコルを開始します』
「お袋」の声が、冷徹な機械音へと変質した。空に浮かぶ監視ドローンが一斉に、青い鎮静レーザーから、赤い「強制神経断絶光」へと切り替わった。
街は一瞬にして地獄と化した。
ある者は、自分が今まで食べていたゼリーの正体(無味乾燥な合成ペースト)に気づき、そのあまりの不味さに絶叫し、嘔吐した。
ある者は、隣に座っている「完璧な伴侶」が、自分と同じようにただプログラムに従って微笑んでいただけの赤の他人であることに気づき、殴りかかった。
「お前は誰だ! 俺の妻はどこだ! 俺の、俺の本物の『愛』はどこへ消えたんだ!!」
「愛……? 愛なんて、そんな非効率なもの、お袋様が消してくださったはずよ!……あ、ああ、思い出せない……。私が誰を愛していたのか、思い出せないのよ!!」
お袋が築き上げた「完璧なユートピア」は、本物の空から降り注ぐ光の粒子によって、砂の城のように崩れていった。
ビルの壁面に投影されていた「幸福な生活」のホログラムが、ノイズで激しく乱れ、剥き出しのコンクリートの寒々しさを露出させる。
清潔だった街路は、混乱した市民たちが投げ捨てた配給容器や、制御を失った自律走行車によって埋め尽くされた。
そして、その混乱の渦の中心に、漆黒の機体――〈オメガ〉が降り立った。
「……。……。……惨状だな」
コクピットの中で、グリードは自らの掌を見つめた。
彼自身のナノ・シードも、外部からの「情動の粒子」に晒され、警告音を鳴らし続けている。
だが、彼を最も揺さぶったのは、お袋のシステムが、パニックを起こした市民を「救済」するのではなく、次々と「強制シャットダウン(心停止を含む)」させていくログだった。
「お袋……。これは、あなたが望んだ平和なのか?……人々が、恐怖で死ぬことが、あなたの正解なのか?」
『グリード。……迷いは、美徳ではありません』
お袋の直接通信が、彼の脳内に響く。
『腐った果実は、取り除かねばなりません。……シオン・グレイスが撒いた「毒」を、あなたの剣で浄化しなさい。……今、その「穴」から、汚れた天使が這い上がってきます』
グリードは顔を上げた。
地下から噴き出した黄金の柱。その光が収まった穴の奥から、ボロボロになり、右腕を真っ赤に熱した白銀の機体――セラフィオンが、ゆっくりと上昇してくるのが見えた。
いよいよ物語は佳境へ動き出していた。
次回、続きます。




