チート怪異な八尺様♂は異世界で愛を知るようです【一話目】
彼女アンナ・フォン・アインホルンはシュヴェルト国の公爵令嬢であり第二王子ゲオルクの婚約者という肩書きを持っていた。過去形だ。
というのもたったいまゲオルクに婚約破棄をされたのだ。
場所は国の主だった貴族が集まる王宮の一角。第一王子アドニスの婚約を祝ったパーティが催されていた。辺境伯の一人娘であるという婚約者にベタ惚れらしく。
婚約者に話し掛けられる度にその美貌を輝かせるアドニスを苦笑混じりに微笑ましく眺めながら社交に勤しんでいた貴族たちは突然のゲオルクの暴挙に眉を潜めて。目配せしあうとそれとなく距離を取り始める。
ゲオルクの傍らにはなにかと人々の話題にあがる聖女マリア。聖樹教の信徒にして洗礼式にて神の声を聞き。様々な奇跡を起こして聖女に認定されたマリアを知らぬ者などシュヴェルト国には居ない。
豊かな金髪。空色の瞳が美しいマリアはゲオルクに肩を抱かれて。何故かゲオルクを凄まじい気迫で睨んでいた。若干、目が血走っている。そんなマリアに気付いていないのはゲオルクと取り巻きの青年たちだけだった。
ゲオルクに婚約破棄されたアンナは友人であるマリアから。血走った目で私、無実。私、潔白と必死に訴えられ。うんうんと頷く。そうだね。マリアちゃんは私の超過保護な保護者が視えてるもんね。
私の保護者の逆鱗に触れること。マリアちゃんはしないし。私を裏切るようなことは絶対にしないとなると。ゲオルク様の独断かー。アンナはそっと足下を見詰めた。アンナの影がゆらゆらとさざめいた。
ゲオルク。そしてその取り巻きがアンナの欠点を指摘し。如何にアンナが自分の婚約者として相応しくないのか。マリアこそ己が婚約者に相応しいか声高に語る。
マリアは聖女という肩書きには見合わぬ憤懣を滲ませた顔でゲオルクの腕を叩き落とし。素早くアンナの背後に移動し。ふしゃーっとゲオルクたちに威嚇する。アンナが驚くゲオルクたちに溜め息を吐くと同時にそれは現れた。
アンナの影から這い出る白い夜会服に身を包んだ。異様な程に背丈の高い男。軽く人の四倍はあろうかという巨躯から発せられる威圧感にその場に居合わせた人間は硬直する。
手入れされて。さらりと揺れる艶を湛えた黒髪に顔を隠した男はアンナとゲオルクを見比べて静かに。静かに口を開いた。
「ぽぽ ぽぽ。ぽ 。ぽ 。 ぽ 。 ぽ 。ぽぽ ぽ 。 ぽ。ぽ ぽ。ぽ 。ぽぽ ぽ 。 ぽ 。ぽぽぽぽ。ぽ ぽぽ 。ぽぽぽぽ。 ぽ ぽ。ぽぽぽ ぽ。」
「ダメ。婚約破棄されたぐらいで殺したら。私は別に傷付いてないし。どちらかというと馬鹿王子に嫁がなくて済んで清々してるから絶対に祟ったりしたらダメなんだからね、八尺様───!!」
「 ぽ 。ぽぽぽ 。 。ぽ 。 。ぽ ぽ?」
アインホルン家は召喚術を得意とする魔術の大家だ。アインホルン家勃興の祖は。その姓が表すように一角獣と契約していて。代々、アインホルン家は先祖がそうだったように十歳になると己の守護獣を召喚する。
八歳上のアンナの兄ジグルフはドラゴン。五歳上の姉アリサはマンティコアを召喚していた。
いずれも優れた召喚術師にしか召喚出来ない生き物。兄と姉が召喚術師として優れた才を発揮するなか。アンナは憂鬱な想いを抱いていた。
アンナはアインホルン家の失敗作と言われていたからだ。最強の召喚術師と謳われる父シュヴァルツと王妹にして絶世の美姫と国内外で名を馳せた母アンジェラの間に産まれたのにアンナは魔力はそこそこ。容姿もそこそこのTHE平凡。
曰く東方から嫁いできたという曾祖母譲りのシュヴェルト国では珍しい黒髪黒目だけが唯一アンナが胸を張って誇れるものだった。ただ、まあ。起伏の薄い身体まで曾祖母から遺伝したらしくアンナは小柄で。
豊かな胸と見事なくびれを持つ母アンジェラと姉アリサを見る度に。アンナは顔をしわしわっとさせて己の発育の悪い胸に触れ溜め息をつく。
くちさがないものはアンナをアインホルン家の失敗作。そう冷笑したけれどもアンナの家族はその度に烈火のごとく怒り狂い。己が守護獣を時にけしかけ。アンナを守ってくれたから。
劣等感を抱きながらもひねくれずにアンナは育った。そして暑苦しいほどに愛情深いアインホルン家の人々に愛されまくったアンナは思った。
私、このままだと我が儘で世間知らずな箱入り娘になっちゃうと。なにせ両親も兄姉もアンナを溺愛してくる。大抵、やりたいことは叶えてくれるし。欲しいものはぽんぽん与えてくれる。
だけどアンナは自分を客観視出来る少女だった。このまま甘やかされたら曾祖母が遺した物語に出てくる悪役令嬢になってしまうわと。アインホルン家には曾祖母が遺した膨大な書籍があった。
曾祖母は文筆家で。子や孫に読み聞かせる為に様々な物語を書いたのだがそのなかに異世界から召喚された少女を主人公にした物語があった。
その物語のなかで主人公を虐めてなにかと辛く当たる令嬢が居たのだけれども。後に断罪され処刑される。
貴族であることを鼻にかけて主人公を苦しめる姿はまさに悪役。
悪の令嬢。故に悪役令嬢だと曾祖母の走り書きにはそうあった。
私、悪役令嬢にはなりたくないし。物語みたいに断罪されて処刑にされるなんて嫌だわ!!品行方正に。慎ましく。令嬢の見本のような人間になると決意したのはアンナが七歳の時だった。
そんなアンナ。慣例に従い十歳の時に守護獣を召喚することになった。アインホルン家の屋敷の地下。アンナの魔力が最も高まる日を選び。
父母、兄姉。そして立会人として父の知古で宮廷魔術師の老人コルネウスが見守るなか。アンナは床に描かれた陣に魔力を流し込みながら祈る。
守護獣と召喚主は一心同体。故に真の友であるというのがアインホルン家の考えだ。アンナは祈った。父や兄姉のように強い守護獣じゃなくても構わない。心を通わせることが出来れば姿形も気にしないと。
閃光が走る。あまりの眩さに閉じていた目蓋を開いたとき。そこに居たのはアンナの八倍はあろうかという背丈の男だった。白い鐔広の帽子を被り。身に纏う白い丸首のシャツと黒いスラックスは赤黒い血で隙間なく汚れている。
腰までの長さがある黒髪は血で所々が固まっていた。髪の隙間から僅かに覗くその瞳は鮮血のような緋色。異様な風貌。
立会人の宮廷魔術師の老人コルネウスがあまりの異質さに杖を構え。警戒するなかで発せられたアンナの第一声は意外なものだった。少なくとも背丈の高い男にとっては。
「わぁ···!これだけ背が高ければ梯子を使わずに本棚の上にある本がらくらく取れちゃう。とても素敵なことだわ!」
手をパチリと叩き。声も明るく。黒曜石のような瞳を輝かせ。アンナは己が呼び出した異相の男に微笑みかけて。私はアンナ。アンナ・フォン・アインホルン。
貴方の御名前を教えてくださるかしらと目に見えて戸惑う異相の男に歩み寄り。真っ直ぐに。恐れも怯えもなく。その緋色の瞳を覗きこんだ。明らかに異様な。人あらざる男に対してアンナの態度はフランクだった。
というのもアインホルン家は代々召喚術師として様々な生き物を召喚してきた。書物として纏められた記録書によれば召喚された生き物はそれこそ千差万別。美しい姿をしたものもあれば醜い姿のものもいたが。
アインホルン家の人間はどんな容貌であれど。己が召喚した守護獣を唯一無二の相棒と定めてそれを誇りとしてきた。
故に幼き頃より様々な守護獣を見て育ったアンナは。ただ背丈が高く。巨躯であるだけの男を恐れはしなかったが。
もしや私は曾祖母さまの物語のように異世界の方を召喚してしまったのではと胸をどぎまぎさせていた。床に緻密に描かれた召喚陣は人間は除外する文言が刻まれている。
過去に一度だけ人間を召喚してしまったことがあったらしく。同じ悲劇を繰り返さぬように。人間は召喚出来ないように細工されているから背丈の高い男は間違いなく人間ではない筈だけども。アンナは男を見上げながら貴方は人間ではないよねと問うと男は躊躇いがちに口を開く。
「ぽ 。ぽぽ ぽ 。 ぽ。 ぽ 。ぽ ぽ。ぽ ぽぽぽ。」
「八尺?それが貴方の種族の名前なの。」
「 ぽ。 ぽ ぽ 。」
「八尺は個体名で種族は怪異···?あ、妖怪のこと?」
曾祖母さまの書物に妖怪という生き物が出てくる物語があったから妖怪は知ってるわ。貴方は八尺という名前の妖怪なのね。
「え?妖怪と怪異は違う生き物なの?すごくすごーく気になってしまうわ!私に貴方のことをたくさん沢山教えて!」
「ぽぽ ぽぽ。 ぽ 。ぽ 。ぽ ぽ。ぽ 。ぽぽ ぽ 。ぽぽぽぽ。ぽ ぽ。 ぽ。 ぽ 。 ぽ?」
「怖くはないわ。だって貴方は私の呼び掛けに応えてくれた唯一無二の相棒だもん。まあ、服がものすごく汚れてることは気になるというか。良く良く見たら肌にも血がこびりついてる!」
これはもうお風呂に入って貰うしかないわね!!ということで。お母様お父様。八尺さん?八尺様?をお風呂に入れてきます!
「ジグルフにいさま、アリサねえさまも洗うのを手伝ってくださるかしら!!」
「ぽぽ ぽぽ。 。 ぽ。!? ぽ 。 ぽぽぽ 。 !!」
「問答無用デス!!頭から爪先まで綺麗に丸洗いしちゃうんだから!!」
「ぽ ぽぽぽ~ッ!?」
軽やかに異相の男の手を引いて。アインホルン自慢の大風呂に連行するアンナを見送り。アンナの父、シュヴァルツは息子ジグルフと娘アリサに目配せし。静かになった地下室で召喚陣を改め。膝を屈め。
どうやら召喚陣の一部が汚れてたせいで可笑しなモノが召喚されてしまったらしいと床に刻まれた紋様の汚れを指で払う。祖父の代から付き合いである王宮魔術師コルネウスは長く生きてきたがアレがなんなのか儂にはまったくわからぬと詰めていた息を吐き。微かに震える指で髭を撫で付ける。
異相の男が召喚陣から顕れたとき。本能的にアンナを除く全員が恐れを抱いた。異相の男が発する威圧感。不吉な相貌。人と一線を引く巨躯。
召喚術師として数多の生き物を喚び出し。それを手繰ってきたアインホルン家当主であるシュヴァルツですら。あれほどに悍ましい気配を纏う生き物を初めて見た。
己を怪異と呼称する異相の男。
コルネウスはシュヴァルツに御息女の側に置いておくのは危険ではないかと訊ねる。
シュヴァルツは静かに頭を振る。アレが呼び掛けに応えて召喚された時点でアンナと強硬な繋がりが生じている。魂に紐づく盟約をアンナとアレは結んでしまったんだと。
故にアレを従え。制御出来るのはアンナだけ。我々にはどうにも出来ないとシュヴァルツは嘆息する。
どうしたものだろうねと遠くを眺める夫にアンナの母にしてアインホルンの女傑アンジェラは朗らかに心配しなくても大丈夫よ。アンナは生粋の召喚術師で。守護獣タラシですものと笑う。
アンナに心を開かなかった守護獣が居ましてと問うアンジェラにシュヴァルツは頬を掻き。居なかったねと答えた。
基本的に己の召喚主にしか懐かない守護獣たちがアンナにだけは召喚主と同等の態度を取る。
それはアンナが守護獣と言葉を交わせるからだ。シュヴァルツたちにはただの鳴き声に聞こえるがアンナにはそれを言葉として認識し。守護獣と話が出来る。
それはアインホルン家勃興の祖が有した特別な力だった。アンナは自分には召喚術師としての才はないと思い込んでいるが。その実、召喚術師として優れた才を持ち合わせている。
アンナに自覚はないけれども。そんなアンナならば怪異だという男とすら心を通わせられる筈だとアンナの母であるアンジェラは断言した。
「お痒いところはありませんかー。」
「 ぽ 。ぽ ぽぽ。 ぽ ぽ。 ぽ 。 ぽ。」
「うふふ。お湯をかけるから目を閉じて。石鹸が目に染みると痛いわ。」
「 ぽ。 ぽ ぽ 。」
身体を洗うのは兄のジグルフに任せ。アンナは八尺の髪を洗う。八尺は基本。ぽぽぽと鳴き声しかあげないけれどもアンナにはなにを言っているか分かるので穏やかに八尺と会話を重ねていた。
八尺は大風呂に連行されて。服をひん剥かれたかと思えば。抵抗する暇なく身体を隅々まで洗われて。背丈が八尺ある自分でもゆったり入れる浴槽に案内されたところで頭に疑問符を浮かべつつ温かい湯にふにゃりと溶ける。
その横で大仕事を終わらせ。ふぃーと額に滲む汗を拭うアンナ。八尺の血でガビガビに固まっていた黒髪は光沢を取り戻し艶々していた。八尺は浴槽のへりに両手をつき。アンナをまじまじと眺める。
自分を怖がらない。どころか。細々と世話を焼くアンナを不思議そうに見詰めているとアンナはそろそろあがりましょうかと一旦大風呂を出ると腕にタオルを抱えて戻ってくる。
アンナの仕草を真似て。タオルで八尺が身体を拭っているとアンナの姉であるアリサが渾身の出来よと何時寸法を測ったのか。八尺仕様の新品の服を持ってくる。
最初に着ていた服に似せた。けれども肌触りは格段に上の服に八尺はおろりとして。アンナと洋服に視線を行き来させるので。アリサねえさまは服を自分で仕立てるのが趣味なのよ。
八尺様が嫌でないならねえさまの仕立てた服を着て欲しいなとアンナは笑う。
戸惑いがちに八尺は袖に腕を通した。肌に吸い付くような着心地に八尺は薄く口元に弧を描いた。
《二話目に続く》