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第八話

さて、時を戻し、希林がドナドナ部屋で編集長から映画化の話を受け、絶叫していた時、ここ英国では夜も更けた深夜二時頃であった――……。


「……『姉さん』に会いたいな……」


ルキアの屋敷より更に何倍も広い本場の貴族の館で、一人の男性が物憂げに呟く。彼の名は『ルシウス・アルフォード』。この館の主人だ。彼の美しさもまた筆舌に尽く類い稀な容姿をしている。肩下まで伸びた白金プラチナブロンドの髪の毛は、さらさらと音がしそうな絹の糸。それと同じ色のまつ毛に彩られた瞳は、灰色がかった緑。白く滑らかな肌は陶磁のよう。少し華奢にも見えるが、スッと伸びたスタイルの良い身体。男性と呼ぶのがもったいないような、それ程までの美貌だ。まるで完璧に造られた彫刻像のようだった。


そんな彼が、窓の外の暗闇に包まれた空をぼんやりと眺めながら、カウチソファーで優雅に紅茶を飲んでいる。そのソファーもテーブルも他の調度品も、文字通りの“アンティーク”だ。きっと値が付けられないくらいだろうそれらの物に囲まれている彼も、しっくりとその景色に馴染んでいた。ゆっくりと息をつき、また呟く。


「今ごろ日本で何してるんだろう……『小説家になる!』って言ってたけど……」


イギリスと日本は近くはない。時差が九時間ある。ただでさえ国境を越えるとなると、気軽には行けないのだが……。


「変な人間に絡まれたりしていないか心配だな……」


輝く美貌を持つ美しい姉のことを思い出して、想いが募ってゆく。しばらく物思いに耽っていたルシウスだが、ふう、と長い溜め息をつくと、誰かの名を呼んだ。


「『バラム』」


「はい、“我が君”」


ルシウスのことを主人と呼んだ一人の男が、音もなく彼の部屋に入ってくる。彼もまた整った身なりと顔立ちをしていた。灰色めいた黒茶の髪と瞳に知性を感じさせる。黒よりも少し薄い色の、執事服を連想させるスーツを纏って、ルシウスの後ろで指示を待つ。


ルシウスは立って、近くにあった花瓶の中から一本花を引き抜く。その真紅の薔薇を弄びながら、バラムに用件を伝える。


「明日中に姉さんとこに行く準備をしておいて」


「かしこまりました。移動手段はいつもと同じでよろしいですか?」


「うん」


「ではそのように。すぐに手配致しますね」


そう言ってバラムは一礼して下がった。彼のいなくなった部屋で、ルシウスは薔薇を弄って眺めていたが、やがてスッと瞳を細めると、ぐしゃ、と茎ごと花を握りつぶしてしまった……。鋭いとげが皮膚を傷つけ、彼の白く細長い指を花より紅い筋が彩っていく。彼は痛みに顔を歪めることもなく、流れ出た自身の血液を小さく口を開け舌で掬い取った……。


「……姉さんには晴れた日の空の色のような青い薔薇がよく似合う……」


零れる紅が染め上げる純白の花ではなく。また、自分の中に流れている血液のように鮮やかな紅い花でもない。不可能を可能にする奇跡の華。海の碧も空の蒼も閉じ込めたような美しく輝く瞳。金糸のような髪は鮮やかに陽光を弾く。彼女の笑顔は、真昼の太陽のように温かく、それでいて闇夜に輝く満月のように煌めく。


「……早く姉さんに会いたいな……」


ルシウスは、手の傷から流れた血を舐め終わると、口の周りについた血液もペロ、と舌を伸ばして舐め取った。唇から零れる八重歯が一瞬鋭く光る。


「はあ……やっぱり彼女のじゃないとダメだ……」


こんなものでは満たされない。自分の血なんかでは――……。早く彼女に会いたい。彼女の碧い瞳に自分を映して欲しい。その髪を梳いて抱擁し、彼女の温もりを感じたい。あの笑顔で笑いかけて欲しい。そして、その白く透き通る肌に唇を寄せ、その下にある、むせかえるような甘い香りのする彼女の紅を味わいたい――……。


「……愛してる……姉さん……」


ルシウスの瞳が熱を帯びる。ルシウスは知っていた。最近自身の愛する姉の周りをうろちょろする人間の男がいるということを。その男は事もあろうに、彼女の屋敷にしょっちゅう出入りした上に泊まっていくこともあるという。


許されない、そんなことは。あってはならない。自分の知らない間にどこの誰とも分からない人間の男に、愛する姉を奪われていいはずがない。自分と姉の間を阻む存在は絶対に許さない。例え神であっても。


ルシウスは、ぐちゃぐちゃになった赤薔薇を興味無さげに手離す。その灰緑の瞳を窓の外に広がる森の向こうに遣りながら、女性が見たら卒倒しそうな蕩けるような笑みを浮かべた。そして最愛の姉の名前を呼ぶ。


「待っててね……『ルキア』……」


森の中では蝙蝠こうもりが、その声に呼応するかのように羽ばたいていくのが見えた……。



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