第七話
「……今日はこんなところにしておきましょうか……」
「おわ、終わっ……た……」
ふう、と希林が溜め息をついて、プロットに更に肉付けした、あらすじと細かい設定集の書かれた紙をトントン、と手の中で直した。最初にルキアから渡された紙の倍以上はある。リビングのソファーでは、くたっとしたルキアが伸びている。その紙をルキアに返して告げる。
「このプロットを元に、明日と言わず今晩からでも書き出してください。また二、三日後に進捗を確認しに来ますから。今月の掲載を目指しましょう」
「わかった〜頑張るよ〜」
ソファーでぐったりともたれかかったままのルキアが答える。彼女が身体を伸ばすと、すらりとした白く細長い手脚が視界に入る。希林は思わずどきりとした。そして急に今の状況に気づいてしまう。
(森の奥深くの大きな屋敷で金髪美女と二人きり……何だか小説みたいなシチュエーションですね……)
希林とて男だ、邪でなくても、異性に対する正常な感情や欲求はもちろん持っている。まして誰もが手に入れたいと思うであろう美貌の持ち主なら、ドキドキするなと言うほうが無理な話だ。
(はあ……本人はこの状況と自分の美しさに気づいているんですかね……)
あまりよく知らない男と二人きり、しかも周りは叫んでも誰も来ない深い森に囲まれている。そんな状況でソファーに伸びている絶世の美女。男ならもはや、“据え膳”の文字しか頭に思い浮かばないであろう。
「希林(キリン)くん、どうしたの〜?」
ソファーで固まってしまった希林に、ルキアがひょこっと顔を持ち上げ、下から上目遣いで尋ねる。その碧い瞳に吸い込まれそうになりながらも、希林はしっかり理性を保った。耳が何か聞き慣れない単語を拾ったからだ。
「……“キリン”……?」
確かにそう呼ばれた気がした。発音がちょっと違うが、あの首の長い黄色い生き物が頭に思い浮かぶ。クエスチョンマークも上に浮かんだ希林に、ルキアは身体を起こして楽しそうに言った。
「そうそう!『希林(キバヤシ)』が言いにくいから音読みで『希林(キリン)』くんだよ〜!!」
「勝手に人の名前を変えないでください!!」
「え〜」
『え〜じゃない!!』と希林は叫んだが、ルキアにはこたえてなさそうであった。先ほどのドキドキした空気も何もかも消し飛んだ。
(……何かドッと疲れが……)
今度は希林のほうがぐったりしている。今日はもう帰ろう、そうしよう。希林はふらふらと立ち上がる。
「では、これで失礼します。棠月先生も無理なさらず、休み休みやってください。またお伺いします」
「りょうかい〜!またね〜希林(キリン)くん〜!」
「希林(キバヤシ)です!!」
最後の力を振り絞った一言を放つ。
しかし、希林はこの時忘れていた。帰るには、まだこれから三時間森の中をドライブしなければならないということを――……。
森の奥にたたずむ洋館の真上の夜空に浮かぶ満月が、二人の出会いを祝福するように見守っていた……。