8:もう……失神しそう
顔も、名前も、性別も、年齢も。
一切分からない相手との樹洞にいれたブリキ缶での文通は、私がいとこの屋敷に滞在している間、ずっと続いた。
お互いが何者であるか、それを聞き出さない。
それは暗黙のルールのように思えた。そんなことを知らなくても、文通は成立している。私はその日、どこへ行き、どんなものを見たか。そんなことを伝えているだけなのに、相手はとても喜んでくれた。
そんな文のやりとりが続いたが、遂に自分の屋敷へ戻る日が迫った。そこで私はこんな提案をしていた。
『来年もまた、こうやって手紙の交換をできますか? できると……嬉しいです。今年の夏は沢山、宝物が手に入りました。もし、良ければ。この缶の中のもの、一つプレゼントします。あなたにとってのこの夏の思い出になるように』
すると……。
『来年の夏がどうなるのか、それは分かりません。でもとても楽しかった。また来年、文の交換ができたら、いいですね。宝物なのに、プレゼントしていただけるのはとても嬉しいです。こちらからも鉱石を贈ります。気に入ったら、ペンダントや髪飾りに加工して身に着けてください』
ブリキ缶からは、あのクレヨンで描いた森と河の絵が消えていた。代わりに見つけたのは……。
そう、紫色の渦巻きを描くようなマーブル模様をした鉱石。鉱石と書かれていたが、私からすると、宝石にしか見えなかった。とても感動し、すぐに返事を書いた。必ず髪留めかペンダントに加工してもらい、舞踏会へつけていくと。
翌日の朝。
屋敷へ戻るため、馬車に乗る直前、こっそり大木を訪れた。ドキドキしながらブリキ缶を開けると『ありがとう。また会えるといいね。さようなら』のメッセージカード。これまでの羊皮紙ではなく、光沢のある淡いラベンダー色のカードは、とても美しかった。ほのかに甘くエレガントな香りがして、気持ちが和んだ。
急いでそのカードを白いワンピースのポケットにしまい、馬車へ戻った。
「へえー、なんだかメルヘンだね。謎の文通相手。実は、大木の妖精だったりするのでは?」
私の話を聞いたカールの、ロマンティックな発想に思わず笑みがこぼれてしまう。
「まさか! カールのその推理は、絵のモチーフにはいいかもしれないけど、現実は違うと思うわ」
「まあ、確かにいい絵が描けそうだ。それで結局、文通相手が誰であるか、突き止めなかったのか? 屋敷の中の庭だろう? 部外者のわけがない。いとこの伯爵家の誰かだろう、その相手は」
それは私もそうだと思っていた。さすがに伯爵夫妻ではないし、いとこでもないだろう。使用人の誰か……ぐらいは子供でも想像はつく。ただ、誰であるか知るためには、あの庭に足を運んでいたことを話さなければならない。
なんとなくサンルームが目と鼻の大木のところまで、連日のように足を運んでいたとバレるのはよくないと、子供心ながら思い、口をつぐんだわけだ。
「でも、どう考えてもイコールだよね? さっきの高貴な男と、その文通相手」
そうなの。そうなのよ!
カールの言う通りだと思う。
「私、明日にでもいとこを訪ねてみようと思うわ」
「そうか……。僕も同行したいところだけど、明日は王太子殿下の姿絵を描かないといけないからな」
「! エドワード様の新しい姿絵を描くの!?」
聞くとエドワード様の来月の21歳の誕生日に合わせ、新しい肖像画を王宮内に飾ることにしたらしく、絶賛仕上げの最中なのだという。現在飾られている肖像画は、成人した16歳の時のもの。そこからさらに素敵に成長したエドワード様の姿を残そうと、今回新たに描き下ろすことになったという。
「エドワード様の姿絵が完成したら、その模写が欲しいわ……」
「おや、こんなところに私の熱烈なファンがいたのかな?」
「んっつあ……!」
驚き過ぎて奇声(?)を発生した上に、うっかり口にいれたレモネードを吹き出してしまった。
カールは慌てて立ち上がり、動揺しまくりの私を背で庇うと、エドワード様にお辞儀をした。
「王太子殿下、こんばんは。テラスには休憩ですか?」
「うん。あまりにも素敵なご令嬢達とダンスをし過ぎて、さすがに目が回りそうでね。外の空気を吸ってリフレッシュさせてもらうことにしたよ……ところでそちらのご令嬢は?」
エドワード様がカールの背中越しに私を見下ろした。私の推しは高身長だから、カールの背をもってしても、私を隠し切れない。だが、大丈夫。もう体勢は立て直していた。
「王太子様、リヴィングストン公爵の長女のセシルでございます」
「……! 今、話題のリヴィングストン公爵令嬢! 噂は耳に入っていますよ。君は……婚約破棄を宣告したと聞いています。勇気があるし、よくこれまで我慢したね。その浮気相手の女性は、君の悪口を流していたのでしょう?」
ま、まさか、推しにまでその情報が……!
猛烈な恥ずかしさに、推しがいても、無我の境地モードが解除されそうになる。
無我の境地モード。
それは絶対にデレないために、自身の精神を悟り状態にするもの。数年かけて、前世の私が身につけた。このモードは転生後も修行(?)で会得している。
その無我の境地モードで推しと向き合っているのだが。
維持するのが非常に厳しい!
それでも必死に歯を食いしばって答える。
「そのようなこともありましたが、それも過去のこと。今さら振り返るつもりはございません。もうお互い、別々の道を歩んでいますから」
「……リヴィングストン公爵令嬢は、冷静ですね」
推しの碧眼の瞳に自分が映っていると思うと、もう……失神しそう。でも耐えるのよ、私。無我の境地モードで乗り切るの!
「それよりも王太子様。私がここにいると新たな誤解を生んでしまいそうです。婚約破棄をしたリヴィングストン公爵令嬢は、婚約者がいない王太子様と宮廷画家の二人を手玉にとっていると、困った噂が立ってしまいそうです」
「なるほど。……カール、彼女と噂になると困るかい?」
エドワード様のとんでもない質問に、カールと私は二人して慌ててしまう。
「王太子殿下、セシル……嬢は幼馴染みです。そんな噂は立ちません」
「おや、その反応。幼馴染みとは建前で、本音は……」
「王太子様、おたわむれを。カールは真面目ですから、そのような冗談になれておらず、反応ができていないだけと思います。……ともかく、私はこれで失礼させていただこうかと」
するとエドワード様は碧眼の瞳を細め、推し至上最高の笑顔を私に向けた。もう鼻血を吹き出し、失神してもおかしくないレベル。それに耐えていると……。
「リヴィングストン公爵令嬢。あなたの存在は知っていましたが、挨拶はもちろん、会話もほとんどしたことがないですよね。ぜひ、お時間を作っていただけないでしょうか。私のために。一緒にお茶でもして話しませんか?」