29:心が喜びで震えている!
「セシル嬢……!」
寝室を抜けた応接室には、クラウスが待っていてくれた。私を見るとソファから立ち上がり、勢いよく私の方へと駆け寄ると……。
未婚の男女の不用意な接触は禁止。
それを全く無視した熱烈な抱擁が、待ち受けていた。
正直。
クラウスは、不用意な接触禁止をきっちり守っていたから、私は自分の左手に嫉妬する事態になっていた。でも今こうやって、ぎゅっと彼のあのマグノリアの香りを存分に感じられるほど抱きしめられると……。
満足だった。
心が喜びで震えている。
もしガヴリールに水をかけられていなかったら、この抱擁はなかっただろう。
そう思うとこれはまさに怪我の功名。
ボニーの時だってそう。
思いっきりの拳を繰り出した結果、手を怪我して、その後は……。
クラウスには食事を食べさせてもらい、お姫様抱っこをしてもらい、たっぷり甘やかしてもらえた。
そして今も……!
え、セシル。冷静になって。
自分ツッコミが入る。
最愛のクラウスの胸の中にいるので、ついそんな風に考えてしまいますが。
婚儀を挙げれば、いくらだって触れ合えるわけで。
怪我の功名に喜んでいる場合ではない。
また何かやらかせば抱きしめてもらえる?なんて考えてはいけない!
「セシル嬢、話はジョセフから聞きました。皇妃に疑われないためとはいえ、あなたに水をかけるなんて……! わたしとしては、ガヴリールを庭園の噴水に突き落としたぐらいなのですが、それはしない方がいいのですよね!?」
クラウスは、とんでもなく怒っている。
浅紫色の瞳が、怒りで濃い紫に変わっているように見えた。庭園の噴水に突き落とすなんて言っているが、本音は滝壺に突き落としたい……ぐらいかもしれない。
「クラウス様、これは私の不注意でもあるのです。水を避け、それなら小麦粉でもかけてください、と言えればよかったのですが、咄嗟にできなくて……」
「そんなこと咄嗟に言える人間、わたしは知りません! セシル嬢に落ち度はありません!」
クラウスはそう言うと、再び私をぎゅっと抱きしめる。
「こんな目にセシル嬢が遭うのなら……。離宮に最初から向かえばよかったです。不便ですが、仕立屋と針子ごと離宮に滞在させ、そこで婚儀の衣装を作らせても良かったのですから。皇宮の離れでの滞在に、こだわる必要はなかったのです」
知性派貴公子のはずなのに。私に関することになると、クラウスは冷静な判断ができなくなってしまうようだ。申し訳ないな。
「クラウス様、大丈夫です。問題ありませんから。皇宮の離れにいた方が、離宮にいるより便利ですし、クラウス様の公務もはかどります。結婚式の準備だってスムーズです。侍従長も皇宮にいるのですしね」
結婚式もあるのだから、皇族とのコミュニケーションは、とっておいた方がいいはず。
「……分かりました。ただ、今後はよほどのことがない限り、わたしと行動を共にしてくださると、約束いただけますか?」
「勿論です。私は片時もクラウス様から離れたくないのですから」
私が即答すると、クラウスの瞳は信じられないほど甘美に煌めいた。その顔は極上の笑顔をとなり「セシル嬢……」と実に雅な声で、私の名前を呼んでくれる。さらにふわりと私を抱き寄せ、耳元で何度も愛の言葉を囁いてくれて……。
途中で気絶した私がようやく意識を取り戻すと、既に夕食の時間。クラウスは「今日、皇族たちはそれぞれの公務で外出しています。ですから夕食は二人きりで取りましょう」と提案する。
クラウスと二人の夕食。それは当然「喜んで!」だ。
その夕食は……珍しくコース料理ではなく、チーズフォンデュ。
寒い冬には実に最適な料理。
体も温まるし、チーズはどんなものにも合う!
さらにこのチーズフォンデュ、さすが皇族が食べるだけある。私が食べたことのあるチーズフォンデュとは、つける食材が違う!
新鮮な沢山の野菜、ウィンナー、自家製パンなどは定番。
でも当たり前のようにテーブルに出されたのは……。
一口サイズの牛フィレ肉!
スモークした鴨肉!
一口サイズの仔羊のカツレツ!
まさかチーズなしでも普通に美味しいお料理を、チーズフォンデュにしてしまうなんて。
そう思ったが、そこはもう鬼に金棒。
美味しさが増し、もう絶品。
何よりも。
チーズフォンデュは、フォンデュフォークという長いフォークを使う。それをパクパク食べるということは。お互いに食べさせ合うのに最適。
つまり。
クラウスが私に……食べさせてくれるの。
「セシル嬢、このスモークした鴨肉とチーズ、合うのですよ。さあ、口を開けていただけますか?」
そう言って上品に微笑むのだから……。
料理の美味しさとクラウスの優しさに、胸は常時ときめきっぱなし。
二人きりの夕食の後は、暖炉の前のソファに座り、食後の紅茶を楽しむことになった。
夕食の時は対面で着席した。
でも暖炉の前のソファでは、隣り合って座ることができる。
おしゃべりをしながら、クラウスに触れることができる……!
その腕に触れ、手にそっと触れる。
腕は服の上から。でも手は素肌。
透明感のあるするとっしたクラウスの肌に触れると……。
心臓が止まりそうになってしまう!
ジョセフとトニーは廊下にいて、部屋には二人きり。
抱き寄せてくれても、なんなら抱きしめてくれてもいいのに……と思うのは、前世の記憶があるからかしら? でも想い合う男女であれば、自然と触れ合いたくなると思うのです……。
でもクラウスはちゃんと「不用意な未婚の男女の接触は禁止」を守り、せっかく隣り合って座っているのに、ほんの一瞬、私の頬や手に触れるぐらいしかしない。
さらにそのちょっとした触れ合いで、クラウスは頬を桜色に染め、瞳を潤ませている……。
私も彼に触れ、ドキドキしているが、クラウスも間違いなく私と同じぐらい、いやそれ以上に胸を高鳴らせていた。この事実に嬉しく、またもどかしく、想いは募り……。
冬のアイス皇国にいるのに。
心は真夏の太陽のように、熱く燃えていた。





























































