プロローグ~無理難題~
「あの、セシルお嬢様」
マリとすっかり打ち解けている、エドワード様が紹介してくれた使用人の一人で、私の専属メイドになったエラが遠慮がちに声をあげた。
エラは、赤みがかった金髪ボブに、グレーがかかった青い瞳の23歳。宮殿勤めが5年あり、控え目だが仕事はきっちりでき、さすがエドワード様が紹介してくれただけあると、信頼しているメイドだ。
そのエラが私の名を呼び、こう尋ねた。
「ドラゴンの樹と呟かれていましたが、もしやご興味ありますか?」
「興味……。私よりクラウス様と植物学者が興味津々なのよね」
「そうなのですね。エドワード様は王宮にご自身専用の植物園をお持ちで、そこにドラゴンの樹があります」
「本当に!?」
もう思わず紅茶の入ったティーカップを、音を立ててソーサーに置きそうになってしまった。
だって!
まさか王都に!
しかも私の推しのエドワード様の専用植物園にドラゴンの樹があるなんて!!
もう本当にビックリだわ。
でもこれはエドワード様に相談するしかない!
休憩時間を使い、早速エドワード様に手紙を書き、ドラゴンの樹を見せていただけないか頼むと……。私の推しは優しい。クラウスと私が日中は忙しいことを踏まえ、夜、植物園に来ることを提案してくれたのだ。
その結果。
クラウスと私は、植物学者以外にも何人かの教師……専門家を連れ、夜の王宮を訪れた。そしてエドワード様は、彼専用の植物園へ、私達を案内してくれたのだ。
月夜に照らされた植物園は、なんだかとても幻想的。クラウスにエスコートされる私は、何のためにここに来たのかを忘れそうになる。一方の植物学者をはじめとした教師達は、ドラゴンの樹をじっくり観察することができた。
クラウスにドラゴンの樹を見たいと言った植物学者は、白髪に長く白い髭を伸ばし、まるで魔法使いみたいであり、まさにおじいちゃんだったが……。
「いやはや、まさか。生きているうちにドラゴンの樹を見ることができるとは思いませんでした。ウッド王国でも辺鄙な場所にあると聞いていたので、図鑑でも渡され、これでご勘弁を!と言われると思っていましたから。セシル様、ありがとうございます」
そう言われると、頑張ったかいがある。俄然、私も嬉しくなってしまう。
そんな私にそのおじいちゃん植物学者……ピーター子爵は、驚きの事実を教えてくれた。
「妃教育を受け持つ教師陣は、セシル様にいろいろ無理難題を言っているでしょう。これもまた、妃教育の一環ですから」
「!? そうなのですか!?」
「ええ。アイス皇国の宮殿にはありとあらゆる人間がおり、いろいろな欲望が渦巻いています。その渦の中心にいるのが皇妃さま……。そのお姿はまあ、お美しく。“氷の華”と謳われていますが……。美しい氷の華に睨まれると、その体は凍り付く。一度睨まれたら最後。あとは指でツンとされた瞬間、凍った体は砕け、ジ・エンド」
氷の華。
美しい言葉だと思う。でもその実態は意に沿わない人間を次々と凍らせるような女性ということ。
「クラウス様はとても優れた皇子ですが、その出生ゆえに皇妃に嫌われていらっしゃる。セシル様に非がなくても、初対面のその瞬間から、皇妃は全力であなたのことを嫌うでしょう」
それは……勿論、想定内。
皇妃の心理としては、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いだろうから、当然、クラウスの妃となる私のことは、問答無用で大嫌いのはずだ。
「かの皇妃は気に入った相手には様々な相談という名の無理難題をふっかけます。それに応えることができるかどうかも……妃になるには必要なこと。ゆえに教師陣があなたにふっかける難題もまた妃教育の一つというわけです」
「皇妃は……表立って相手を嫌うわけではないのですね」
「ええ、そうです。貴族の皆さまもそうでしょう。汚い言葉で相手を罵るなんてことはされない。あくまで毒を砂糖にくるんで差し出す」
それはその通り。
だからこそとても厄介なのだ。
「クラウス様への皇妃の嫌がらせもそうです。皇帝の前では『クラウス様はとてもお優しい方ですから。89歳と17歳という年齢差など気になさらず、きっとその寛大な御心で、女王の傷ついた心を癒すことができると思いますわ』といい、隣国の未亡人女王との縁談話を持ち込んだぐらいですから」
なるほど。
皇帝の前ではしとやかに語り、クラウス本人に対しては毒を吐くわけね。
正直。
そういうタイプ、私は許せない。
しかも私の最愛であるクラウスにそんなことをするなんて。
絶対に、絶対に、絶対に!
負けないから。
それにしてもおじいちゃん植物学者のおかげで、妃教育のため屋敷にやってきた教師陣が、とんでもないことを言い出した理由もよく理解できた。
「もう少し寒くなるのを待ってください」や「図鑑に情報は十分にありますから」なんて対応をしないで良かった。そんな対応をしていたら……皇妃にはやられっぱなしだろう。
そこで気が付く。
今回、アイス皇国から妃教育のためにやってきた教師は十名いた。その全員が、無理難題を口にしている。つまりは全員が、無理難題を出し、私を鍛えようとしているということ。それは教師たちがみんな、皇妃の本性を知っているということだ。
皇妃の本性を知った上で、クラウスの要請に答え、わざわざウッド王国までやってきた。クラウスの要請に応えることは、皇妃に睨まれる可能性だってあるのに。それでも彼らは来てくれた。
間違いない。
クラウスは決して孤立無援ではない。彼の良さを理解し、助けたいと思ってくれる支援者がいるんだ。そしてここにいる支援者は、おそらくそのほんの一部。きっとアイス皇国にはもっと沢山、クラウスを応援したいと思う人がいるはずだ。
そう分かった瞬間。
妃教育が俄然楽しくなってきた。
今、学んでいることはすべて私の血となり肉となる――というのは少し大袈裟かもしれない。でもここで覚えたことはすべて武器になると思った。皇妃から無理難題を振られた時。それに打ち勝つには、まず知識。次に機転、そして柔軟な発想力、何よりめげない精神が必要。
それをこの妃教育で、私は学ぶ。
待っていなさい、氷の華!
完全武装して乗り込んでやるんだから!





























































