39:名誉の負傷
クラウスにお姫様抱っこされた私は、手の痛みより、彼に抱き上げられている事態にもうドキドキが止まらなくなっている。
何せクラウスは貴公子であり、その姿は私が子供の頃に読んだ童話に登場する王子様そのもの。そんな彼にお姫様抱っこされているのだ。
間違いない。
これはまさに物語の中のプリンスとプリンセス……と言いたいところだが……。肝心のプリンセスである私は、拳でパンチを繰り出し、手を負傷しており、お姫様には程遠い。
私は……どうも決定的なピンチに陥ると、とんでもない行動ができる人間らしい。断罪の場においても、まさか自分から婚約破棄を宣告するとは思わなかった。
さっきだって、私が動かなくても、クラウスもいたし、ジョセフやトニーも駆け付けてくれていた。ボニーは彼らが取り押さえてくれただろう。それなのにパンチを繰り出すなんて。
まったく。
自分の行動だけど、驚き呆れてしまう。
「すみません! 怪我人がいます。診ていただけませんか?」
救護室のテントの中に入ると、クラウスが医師に声をかける。すぐに40代ぐらいのベテランに見える医師と看護師が、私達の方へと駆け寄る。医師は何事かという顔をしながら私を見て、すぐに手に怪我をしていると把握した。
「水、消毒薬、包帯を」
医師は看護師に指示を出し、簡易ベッドに私を下ろすよう、クラウスに伝える。クラウスが私を下ろすと、医師は跪き、手を確認しながら、何が起きたのかと尋ねた。クラウスは手短に状況を説明し、医師は「なるほど」と頷き、まずは手を水で綺麗に洗い流し、傷口の消毒を行ってくれた。
「この感じだと骨折はしていないようだね。拳を繰り出した時、手を正しく握ることができていたのだろう。握りが甘いと中手骨や母指を骨折することもあるから。どうやらお嬢さんはパンチが得意のようだ」
その言葉にはもう消え入る思いだ。
私は公爵令嬢なのだ。パンチが上手だなんて、人に自慢できることではない。
恐縮して身を縮こまらせていることに気づいた医師は、こんなことを言ってくれた。
「お嬢さん、恥じる必要はないですよ。どう見てもあなたは貴族のご令嬢だ。それが短剣を向けられてひるむことはなかった。その勇気はなかなかのもの」
そ、そうなのかしら……。
「自分は普段、王宮の騎士訓練所の医務室に交代勤務しています。でもね、騎士見習いの男子は、剣が怖いと尻もちついて怪我をして自分のところへやってくる。それを思えばお嬢さんは立派ですよ」
するとクラウスまでこんなことを言ってくれた。
「彼女はまず、自身の鞄を相手に向けて低い位置で投げ、突進してくる速度を落とそうとしました。低い位置に突然、カバンが飛んできたのです。相手は目論見通り、驚き、速度を落としました。機転を利かせた上で、拳を繰り出してくるとは想像していない相手への不意打ち。ここまでのこと、騎士であっても、瞬時にできる者は少ないと思います」
「ほう。それは見事だ。令嬢にしておくのは惜しいですね」
「でも彼女は、わたしの大切な婚約者になる身ですから」
あれれれれ……?
公爵令嬢なのにパンチを繰り出すなんてはしたない……とはならず、なんだか褒められている? しかもクラウスからは「大切な婚約者」と言ってもらうことができ、思わず頬が緩みそうになる。
「よし。これで大丈夫でしょう。鎮痛効果がある塗り薬もつけましたから。血が出ていましたが、恐らく、あなたのパンチは相手の鼻と口あたりを直撃した。その結果、あなたの手は相手の歯に当たり、皮膚が裂けたと。いわゆる名誉の負傷だね。すぐに治りますよ」
そう言われると、確かに当たったという手応えがあったが、そうか。歯に当たったのか。
「多分、相手の鼻の骨は折れたでしょうね。歯は……まあ、手の方が骨折していないから。折れていないでしょう」
医師の言葉に目を丸くすることになる。
「え、は、鼻の骨が!? わ、私、やり過ぎてしまいました」
青ざめる私に、医師は「自分の立場からすると、怪我をするような行動はしないでください、ということになります。でも個人的な意見を言わせていただければ……。短剣で刺そうとした相手ですよ? 向こうは殺す気だった。それで鼻の骨を折られても……。まあ、自業自得に思えてしまいますけどね」と言ってくれた。するとクラウスも……。
「もしあの時、私が動いていたら、あの女性の腕を確実に折っていました。騎士の訓練では剣と槍の扱いを習うのが基本です。でも丸腰のところを剣で襲われた際の対処法も練習しています。その成果をあの場で示していたら、腕一本折るのは妥当。セシル嬢と私、どちらが対応しても、あの女性は骨折していたので問題ありません」
な、なるほど。
でも……確かにボニーは短剣を持ち、突進してきていたのだ。こうなっても仕方ない……と思える。
そうしている間にも、医師は鎮痛効果があるという塗り薬と飲み薬を用意してくれた。塗り薬は持ち帰ることにして、薬の方は用意された水で飲み、ようやく一息つくと……。
「先生、鼻血を止めてください」
男性の声がして、救護室のテントの入口付近が騒然としている様子が伝わってきた。
「どうやら短剣であなた方を狙った、その恐ろしい女性が連れてこられたようだ。顔をあわせたくはないでしょう。そこの裏口から外へ出るといいですよ」
医師は、スタッフが出入りに使う裏口から出ることを提案してくれた。
「先生、ありがとうございました」
「いえいえ。お大事に」
クラウスに続き、私も医師に挨拶していると……。
私の体は先程と同じ。
クラウスに抱き上げられている。
「ク、クラウス様!? 私、歩けますよ」
「セシル嬢。わたしがあなたを抱き上げる口実を奪わないでください」
甘い声と優しい微笑でそんなことを言われては、もう何も言えなくなってしまう。ただただ、胸をときめかせ、抱き上げられたまま、救護室のテントを出ることになった。





























































