2:婚約破棄の件
舞踏会から屋敷に戻ると、使用人はいるが、両親、兄、弟はいない。
皆、それぞれ思い思いの舞踏会なり、晩餐会に参加している。
ふふ。
思わずほくそ笑んで自室に戻ると、早々に入浴をすませ、ネグリジェに着替えた。そして私の専属メイドであるマリには、しばらく私の部屋には近づかないようにとお願いする。
部屋で一人きりになった私は。
おもむろにクローゼットの奥から自家製の推しグッズを取り出す。
あ~、やっぱりエドワード様は素敵。
姿絵を見ながらしみじみ思う。
でもその瞬間。
あの浅紫色の瞳の美貌の貴公子のことを、思い出してしまった。
彼は本当に美しかった。
あそこまでいくと、鑑賞用決定だろう。
ヒロインの攻略対象でもないし、そうなるとただのモブだと思うのだけど、力入れ過ぎだと思うわ。あのレベルなら攻略対象に入れていいと思う。
思うけれど……そうなるとエドワード様の人気が……。
いや、推しは一人に限定する必要はない。
無論、推しが増えるとそれだけお金は必要になるけれど。
そんなこと思いながら、エドワード様の手製の人形を抱きしめ、考える。明日からはエドワード様が出席する舞踏会と晩餐会に顔を出そう。
1時間ぐらい自分なりのこの世界での推し活を終え、片づけをしていると、マリが慌てた様子でドアをノックして部屋に入ってきた。
「セシルお嬢様、よろしいですか」
ダークブロンドを三つ編みにして、メイド服を着ているマリは、私より5歳年上。でも童顔なので、同い年ぐらいに思え、姉妹のように私達は仲がいい。
「あら、どうしたのかしら?」
「旦那さまがお呼びです。なんでもラングフォード公爵家との婚約の件で」
「……!」
忘れていた……わけではない。
両親が帰宅したら報告する必要はあると思っていた。でも不在だったので、ちょっと推し活を楽しんでいたけれど……。
とりあえずすぐに、リビングルームへと向かった。
◇
「え、それはどういうことですか?」
「どうもこうも、確かに浮気をしたことは認める。でも心を入れ替えるから、婚約破棄は撤回して欲しいと連絡がきた。まったくお前は、親の知らないところで勝手に婚約破棄など宣言しおって。事前に、父さんに相談すればよかったのに」
「そ、それはそうですわよね、お父様」
正直、父親は私に対してとても甘い。
兄と弟はいるが、女子は私のみ。
つまりは一人娘の私のことを、父親はとても可愛がってくれている。
アンドリューが浮気していた。それを知った私から婚約破棄を宣告したこと自体については、別に怒っていない。むしろ浮気していたなんて、けしからん。そんな理由があったなら、父親自身がラングフォード家に乗り込み、「お前のバカ息子との婚約は破棄だ!」と言いたかったようなのである。
「それでセシル、お前の気持ちはどうなんだ?」
「私の気持ち、ですか?」
推しはエドワード様である。
そして、アンドリューについては……。
ゲームをプレイしていた時は、攻略していたこともあったわけで、嫌いというわけではない。
だが。
ヒロインと浮気したのだ。
一度、浮気した人間は繰り返すと思う。
浮気がもたらすスリリング、禁断の果実の味を知ってしまった。後戻りはできないと思ってしまう。
「気持ちとしては嫌いではないです、アンドリュー様のことを。でも一度浮気されているのですから。また繰り返すと思うので、婚約破棄の撤回はしなくてもいいと思います」
「父さんも同じ男として思うよ。浮気を一度したら、まあ、またするだろうなと。では撤回には応じないでいいのだな?」
私はこくりと頷いた。
5歳から婚約している。
勿論、断罪回避のことを考え、アンドリューとは距離を置いていたが、それでも婚約者。お互いの誕生日や卒業式、社交界デビューと、共に過ごす時間はどうしても沢山あった。
情はある。
それに私が話した事情を理解してくれた。しかも私から婚約破棄を宣告し、あの場では恥もかいている。それでもなお、私と婚約したいと言ってくれるのは……。
乙女心は揺れてしまうが、浮気はダメだ、絶対に。
「よし。セシルの気持ちはよく分かった。明日にでも奴を呼び出し、浮気について問いただした上で、婚約破棄を撤回するつもりはないと言ってやろう。お前も同席するか?」
「……同席しないことを許していただけるなら、私は明日、いずれかの舞踏会に顔を出し、気分転換をしたいです」
男性は失恋を引きずるらしいが、女性は違う。
まあ、私自身、この婚約破棄で失恋した気持ちになっていないし、むしろ断罪回避万歳。推し活に邁進し、断罪回避で胃を痛くした日々を忘れ、前に進みたいのが本音。
「婚約破棄撤回に同意するなら、同席する必要もあるだろう。だがそうではないのだからな。お前は同席する必要はない。……そうだ。明日は宮殿で国王陛下主催の舞踏会がある。それに行ったらどうかね? 実はここだけの話、アイス皇国の皇子が来ているらしいぞ。王太子の亡くなった婚約者。彼女はアイス皇国の姫君だった。非公式にその皇子は、ウッド王国を訪問し、亡くなった妹の霊廟に足を運んだそうだ」