17:その時、何が
「丁度、あなたの屋敷に向かっているところでした。先触れがセシル嬢、あなたの屋敷に到着すると、エントランスでは使用人の方々が大騒ぎになっていたそうです。事情を聞くと、あなたがさらわれたと分かりました。そこで先触れに出ていた私の騎士、その名はトニー。彼はそのままあなたを乗せた馬車を追ったのです」
右手を結わき終えると、今度は私の左手をとる。
「先触れを出したものの、時間をあけて訪問をするつもりはありませんでした。あなたの屋敷の門に、私とジョセフが到着したところで、トニーと合流する。その予定でしたが、トニーの姿が見えない。おかしいと思ったところで、門から人が出てきたのです」
門から出てきたのはバトラーで、トニーから指示を受けていた。つまりはこの後、自身の主がくるから、彼に声をかけ、事情を話すようにと。
そこでクラウスは、私がアンドリューの馬車で連れさられたことを知り、トニーがその馬車を追ったことを理解した。
門を出たところは、幸いなことに一本道。
さらに大通りに出るまで、横道は馬車が通れない道しかない。
クラウスはジョセフと共に、トニー、そして私を乗せた馬車を追うことにした。
この時、クラウスとジョセフは、馬車ではなかった。馬に乗っていたので、小回りはきくし、追跡はしやすかった。さらに彼の騎士であるトニーは優秀で、街の中で見かけたニュースペーパー売りの少年たちに、こう伝言していた。
「白馬に乗ったアイスシルバーの髪、明るいラベンダー色のマントを着た男、黒鹿毛に乗った黒ずくめの黒騎士、この二人組を見たら『馬車は、東南の靴屋の前の通りに向かった』と伝えるんだ。正しい相手あれば、追加で金貨が手に入る。ただし、それは最初の一人だけだ」
ニュースペーパー売りの少年たちは、街へやって来たクラウスとジョセフを見つけるなり、我先にと馬車の行き先を告げる。
この方法を、街中の道でトニーは何度か行った。その結果、クラウスとジョセフは迷うことなく、トニーと私を乗せた馬車の追跡が可能になる。
街を抜けるとそこはもう一本道。途中の分かれ道には、進むべき方向をトニーが痕跡として残してくれている。石を並べ、進むべき道を教えてくれていたのだ。
やがてクラウスとジョセフは、トニーとも合流できた。
そもそも私を乗せた馬車は、怪しまれないようにと速度を上げずに進んでいた。一方、クラウスとジョセフ、そしてトニーが乗っていた馬は、耐久力もある俊足の名馬。
この二つの要因により、クラウスは私の居場所を掴むことができた。
つまり、クラウス達は馬車に追いついたのだ。
「トニーは街へ戻り、今頃、警察に事情を話し、こちらへ向かわせていると思います。このまま馬車の中で、警察の到着を待ちましょう」
クラウスから話を聞いている間にも、ジョセフは御者とアンドリューを背中合わせにし、互いの手を背後で結わきあげていた。さらに愛人を囲っていたという屋敷に併設されていた物置から見つけたロープで、二人の足首も結わき、完全に動きを封じている。
その上でお腹の周りで結わいたロープを、すぐそばの屋敷のドアの取っ手に結わきつけている。ジョセフのこの抜かりない拘束であれば、アンドリュー達の逃亡は無理だろう。それに今は二人とも、完全に意識を失っている。
何よりジョセフ自身も見張るのだから、警察が到着するまでの間を使い、逃亡するのは無理だ。
一方、馬車の中で待つことを提案したクラウスは、車内のランプを灯し、さらに私と席を交代した。
それが紳士的な理由で、私は思わず感動してしまう。
馬車と言えど、扉を閉めれば密室空間。私は未婚であり、しかもお互いのことをよく分かっていない状況。だからこそ、密室にならないよう、私が座る左側の扉を開けた。
その扉を開けておくと、右奥に座るクラウスは、私の方を向いて会話することになり、自然と屋敷の前でのびているアンドリューの姿が視界に入る。
それでいて私は、クラウスの方を向くことで、気絶している二人に背を向けることができた。あの卑劣なアンドリューを見ないで済む。
そこで改めて私は、クラウスに御礼を伝えることになった。
「本当に、助かりました。お二人がいなかったら、今頃、私はとんでもない事態に陥るところでした」
まさに人生が詰んで終わるところを、助けられたと思う。
「……偶然だったと思うのです。あの場に居合わせたのは。でも……わたしからすると、これは運命だった……そうとしか思えません。間に合ってよかったと心から思います」
さっきからずっと。
この涼やかな声を聞くことで、かなり気持ちが落ち着いている。初めて会った時から感じていたが、容姿だけでなく、声も美しいと再度思う。
「あなたをさらったのは、婚約を破棄する予定のアンドリュー・ラングフォードという公爵家の次期当主であることは、バトラーから聞いています。ただ、詳しい事情を聞くことなく、ここまで来ることになりました。なぜ、彼はあなたをさらったのですか?」
優しく問われ、自然と私は答えていた。彼が何を目的に私をさらったのかを。それを聞いたクラウスは驚き、ため息をついた。
そのため息をつく姿さえ、上品で、つい「ほうっ」と息を漏らしてしまう。
「それは……随分とヒドイ話ですね。まるであなたのことを道具としか考えていないように思えます。でも彼も彼の父親も。これで終わりでしょう。もうあなたに無理強いすることはできないはずです」
そう言った後、クラウスは心配そうな顔で私を見つめる。