15:悪役令嬢とは
「そうそう。セシル。君は正妻として大切に扱わせてもらうよ。だから実家からは、たっぷり援助してもらうようにして欲しい。ボニーはさ、愛人にするから。君を貶めてまで、ボニーは僕が欲しいわけだ。だから愛人でも我慢してくれるはずさ。これから行く屋敷を彼女に与えれば、喜んで暮らすだろう」
アンドリューは。
寝ぼけているのだろうか?
こんな風にさらい、私を手に掛けると思ったが、そうではない。
結婚持参金をはずむ?
実家からたっぷり援助してもらえ?
私が正妻で、ボニーは愛人?
それはすべて……私が婚約破棄を撤回し、アンドリューと結婚する前提の話だ。こんな風に私をさらっておいて、どうして婚約破棄を撤回すると、こうも自信満々に断言できるの?
愛人を囲っていたというその屋敷に到着したら、刃物で脅し、婚約破棄を撤回するような書面に、署名でもさせるつもりなのかしら? でもそんなことをしても、私をさらっているのだ。無理矢理、サインさせられたと皆、分かるはず。
視線を感じ、顔を上げると、アンドリューの瞳と目が合った。
「セシル。君は頭がいいと思う。頭の回転も速い。でも今は疑問符でいっぱいなのでは?」
褒め言葉と嫌味の同時攻撃に、イラッとしてしまう。
すると。
「そんな怖い顔もするのか、セシル。それはそれで……そそるかもしれないな」
アンドリューの顔が見たこともない表情になり、悪寒が走る。
「またその顔。大丈夫だよ。君に怪我をさせるつもりはない。何もないよ。そう、何も。ただセシルと僕の二人で、朝までその離れで過ごすだけだよ」
「ひっ」と声を出したが、布をかませているので「ふゅっ」というか細い声が、弱々しく聞こえただけだ。
まさか、まさか、それは!
アンドリューは、公爵家の次期当主だ。
いくらなんでもそんなこと……!
アンドリューと私が二人きりで愛人を囲う屋敷で朝まで過ごす。
男女が二人きりで一晩を過ごすということが、何を意味するか、いくらなんでもそれは分かる。
目的はそれ?
既成事実を作り、婚約を破棄できないようにするということ……?
「セシル。可愛いね。僕との素敵な一夜を想像してくれたのかな? まあ、君が望めば僕は応じても……ね? でも悪いな、セシル。僕の初めてはボニーのためにとっておきたいんだよ」
な……!
あまりの屈辱的な言葉に、怒りを通り越して呆れてしまう。
「そんな残念そうな顔をしないでくれよ、セシル。大丈夫だから。結婚式を挙げたら、ちゃんと君のことも抱いてあげるからさ。安心して」
こんな……こんな人間と婚約していたなんて。
いや、落ち着こう、私。
バクバクする心臓をなんとか元に戻そうと、鼻呼吸を繰り返す。
口の布が……邪魔。
朝までこの最低男と過ごす。
でも手を出すつもりはない。
なんのためにだったら一緒に過ごす必要が?
「男と二人きりで一つ屋根の下で過ごした――となったら、みんな想像することは一つ。それにセシルと僕の婚約はまだ破棄されたわけではない。婚約破棄を一度考えた二人だった。でも寄りが戻り、気持ちが盛り上がってしまった。二人は人知れず一晩を共に過ごし結ばれた――そう思うだろうね」
……!
そういうこと!
ようやく理解できたわ。
それなら……納得。
言われたような想像をして、噂は勝手に広がる。
私とアンドリューが一晩を共に過ごしたと、使用人も家族も、なんなら警察やラングフォードの一族だって、知ることになるだろう。いくら否定しても「本当は何があったか分からない……」と思われる可能性は大だ。
どんなに何もなかったと言っても、信じてもらえない……。
その状況で婚約破棄をしたらどうなるのか。
一度関係を持った相手なのに婚約破棄をするなんて、尻軽女と思われてしまう。両親や兄弟だけではない。リヴィングストン一族の名に泥を塗ることになる。
そんなこと……あってはならない。
そうなると……私は、この卑劣なアンドリューと婚約し、結婚するしかない……ということを理解した。
呆然とした私は、アンドリューから視線をはずし、宙を見て考える。
悪役令嬢とは何なのかと。
断罪は回避できた。
物語は終わったはずだ。
そう思っていたが。
悪役令嬢は不幸にならないといけない存在なの?
どん底の悪役令嬢が誕生してはじめて、ゲームは完結なの?
それとも……。
ヒロインはハッピーエンドに……今はなっていない。
彼女が幸せを掴むまで、私は悪役令嬢であり続けなければならないの?
分からない。でも今のこの流れだと、私はアンドリューと結婚し、正妻。ヒロインは愛人。そんなのハッピーエンドではない。そうなると邪魔な正妻を……消す?
でも私を失えば、リヴィングストン公爵家からの援助は受けられない。
そうか。
借金の片がついたら、私は消され、ヒロインは後妻になる……?
いや、そんなドロドロの昼ドラみたいな展開が、乙女ゲームの世界に必要ですか?
そんな風に私が悶々と考え込んでいると、馬車が止まった。