11:無我の境地モード
無我の境地モードを維持しているが、本当は失神直前。
それでも今、ここに推しと私しかいないから、必死に会話をしていた。でも、もはや自分で何を話しているか分からなくなっていたが……。なんだか恋愛の話をしていた気がする。どんなタイプが好きかとか、そんなことを。
そして気づけばこんな話をしていた。
「……亡くなった私の婚約者ナスターシャ姫は、とても可憐で美しく素直な女性でした。3歳で婚約者になり、8歳で我が国に来て、そこからは王太子妃教育に取り組み……。よく頑張ってくれていたと思います。幼い頃から一緒にいたので、私を変に意識することなく、友達のように仲が良く……」
エドワード様は、そこで深いため息をついた。
「彼女とはいつだって本音で話し合えました。私のいいところ、悪いところ含め、全部率直に話してくれて……。隣国の姫君。半ば人質のように婚約者となったと思ったのですが、そんなことはなかった。彼女は心から、私を愛してくれていたと思います」
そう言ってエドワード様が、さっきまでルイズ公爵夫人が座っていた場所を眺めている。そこには誰もいないのに。でもエドワード様には、そこに誰かがいるように、見えているのだろう。
美しい顔には、微笑が浮かんでいる。
その姿を見た瞬間。
理解出来てしまった。エドワード様の心にはまだ亡くなったナスターシャ姫が健在なのだと。1年の喪に服したぐらいでは、その存在が薄れていないのだと。
ゲームをプレイしている時のエドワード様は、ちゃんとプレイヤーが動かすヒロインを好きになってくれた。好感度上げをきちんとして、イベントこなすことで。
この世界でも、ゲームでやったような好感度を上げる行動をすれば、エドワード様はそのお相手の令嬢を好きになるかもしれない。そして実際、今、婚約者のいない彼のハートを射止めるため、多くの令嬢が奮闘しているだろう。
彼女達はでも、エドワード様の心に、ナスターシャ姫がしっかり残っていることに、気が付いているのだろうか?
「すみません。リヴィングストン公爵令嬢。ナスターシャ姫の……他の女性の話をこんな風にしみじみするなんて、失礼なことですね。申し訳ないな。どうして彼女のことを話すことになってしまったのか……。普段なら絶対にこんなこと、打ち明けないのですが」
私の推しは……泣きたくなるほど真面目だ。
1年の喪は明けた。
折しも舞踏会シーズン。
ここで新たな婚約者を見つけろと、側近や父親である国王陛下からも言われているのだろう。
「王太子様。私は構いません。1年の喪が明けました。今から気持ちを切り替え、新しい婚約者を見つけてくださいと言われても、それは……無理な話と思います。それでも王太子様という立場では、『一刻も早くお相手を』というのが周囲の意見でしょう。それならばせめて。今のように自然とお気持ちを話せる相手を見つけてください」
「リヴィングストン公爵令嬢……」
エドワード様の碧い瞳が潤んでいる。
ああ、推しが泣いてしまいそう。
でも涙は我慢しないのが一番なので……。
「涙は流した方が楽になれますから。ご無理はなさらないでください。きっと見つかると思います。ただただ愛して、私のことを!ではなく、王太子様の傷が癒え、心から愛していると言えるようになるのを待ってくださる令嬢が」
ついに推しの瞳から、美しい涙がこぼれ落ちてしまった。
どうもここ最近。
私はイケメンの涙を見る確率が高い。
貴公子クラウスも、綺麗な涙を落としていた。
「婚儀は王族という立場で、待ったなしで挙げる必要があるかもしれません。ただ、婚儀を挙げてもその先に進めない……という心境であることを打ち明けても、『大丈夫ですよ。私は待ちますから』という令嬢は……いると思います。何せこの国の妙齢の令嬢全員が、今は王太子様に夢中なのですから。一人ぐらい、心の広い令嬢もいらっしゃるでしょう」
なるべく最後の方は明るく言うことが出来た。
するとエドワード様は涙をぬぐい、いつものパーフェクトスマイルを見せてくれる。
「その言い方ですと、そんな令嬢にあなた自身がなってくれる可能性は……限りなく低いのですね」
推しの鋭い指摘にドキッとしてしまう。
でも……そうなのだ。
推しのことは大好き。
大好きだけどそれは見ているだけでいい……というタイプもいる。そして私はまさにそのタイプ。推し活をして気分が盛り上がる。仲間ができる。オシャレをする。ワイワイ皆で楽しむ。それで満足なタイプだった。
「私は……王太子様の隠れファンです。ずっと応援しています。幸せになっていただきたいと思っていますから」
「なるほど……。それは……残念。リヴィングストン公爵令嬢。あなたは他の令嬢と違い、とても落ち着いて私と会話をしてくれるから、気持ちが楽でした。もしかしたら……という気持ちが、私の中で生まれていたのですが……」
今の言葉に、脳内では狂喜乱舞。
でもここは無我の境地モードで乗り切るしかない。
これは……通勤電車の中で、どうしても乙女ゲームをプレイしたかった私が身に着けた奥義でもある。自室でなら、ゲームをしながらいくらでもデレ顔になれた。だが電車内でそんなのご法度。やれば変態と思われる。
では乙女ゲームを車内でやらなければいいと思うが……。やりたいのだ、仕方ない。その結果の無我の境地モード。一日や二日で身に着けたものではない。何年もかかり、会得した。だから大丈夫。
この、夢のような推しの言葉でも、私の無我の境地モードは揺るがない!
「そんな風に言っていただけて、光栄です。墓場まで大切に持っていきます」
「それはまた大袈裟な。……ただ、それではどなたなのかな。あなたの心を射止めるのは。……まさか」
「カール、とか言い出さないでください」
するとエドワード様はクスクスと楽しそうに笑う。
「ダメなのですか、カールでは」
「幼馴染みですから。そんな対象には見えません」
カールは……確かにカッコいいが、私からしたら旧攻略対象。そして絵師様だ。キッパリ言い切った私を見てエドワード様は「カールも可哀そうに」と言っているが、カールはむしろ、ホッとするだろう。
たかが幼馴染みの私とそういう関係に見られたら。
「今後も、リヴィングストン公爵令嬢。あなたさえ、嫌でなければ。またお茶をしてください」
「喜んで! いえ、失礼いたしました。はい、ぜひまたお声がけいただけると嬉しいです」
あやうく本性が出るところ……ではなく、出てしまった気がするが、なんとか軌道修正できた。何も気が付いてないエドワード様は「ええ、またお声をかけますから」と写メを撮りたくなるピカイチの笑顔だ。
こうして、推しとの夢のようなお茶会が終わった。
無我の境地モードで乗り切ったが、屋敷に戻ったら推しグッズに囲まれ、思いっきりデレよう。
そう心に誓った。