全ての想いを一本の缶コーヒーに託して
夫が体調を崩して入院することになった。
最初は一週間程度だと聞いていたが、それが一か月、二か月と伸び、なかなか退院のめどが立たない。
この先どうなるのか全く分からず、不安しかない。
彼がいないことで、家にはぽっかりと穴が開いたよう。
寂しさを感じているのは娘も同じようで――
「パパのところにいく!」
毎日のように訴えてくるので仕方なく、許可を取って会いに行く。
手ぶらで行くのもなんなので、自販機で缶コーヒーを購入。
病室まで娘に運んでもらう。
「今日も来てくれたんだね、ありがとう」
精一杯の笑みを浮かべて私たちを迎え入れる夫。
「あのね……あのね……」
「なんだい?」
「ううん、なんでもない」
首をぶんぶんと振って答える娘。
本当はもっと甘えたいはずだ。
早く帰って来てね。
一緒に遊んでね。
もうすぐお誕生日なんだよ。
「これ、どーじょ」
「ありがとう」
いったいどれほどの言葉を飲み込んだのだろう。
娘は全ての想いを一本の缶コーヒーに託し、夫へと手渡す。
「ちょっとずつ大切に飲むよ、ありがとう」
「えへへ」
娘の頭を優しく撫でる夫。
早くよくなって欲しいと心から願う。
◆
月日がたって、娘は中学生になった。
『お父さんの病気を治すために勉強して医者になる』
まだまだ幼かった娘はそう宣言し、真面目に勉強を続けている。
根を詰めすぎないように気を使っているが、下手に何か言うのも逆効果。
だからそんな時はそっと缶コーヒーを差し入れる。
「お疲れさま、頑張ってるね」
「あっ、ありがとう」
缶コーヒーを受け取る娘。
「お母さん、今日もお仕事?」
「うん、これから夜勤」
「あんまり無理しないでね……」
「そっちこそ」
簡単な言葉を交わして部屋を出る。
扉を閉めてリビングへ。
窓の外をぼんやりと眺めると、キラキラした星々が空に輝いていた。
時に人は、自分の気持ちを伝えることをためらう。
さみしい、つらい、くるしい、かなしい、こわい。
飲み込んだ言葉はグルグルと駆け巡り、心を曇らせてしまう。
だから……言葉を形に変えて。
自分の気持ちを伝えるのだ。
私たちにとってそれは一本の缶コーヒーだった。
「ただいま」
夫の声が聞こえる。
彼は自分の身体と相談しながら仕事を続けている。
毎日、無理が出ない範囲で、少しずつ。
「おかえり」
「これ、買ってきたよ」
夫の手には缶コーヒーが二つ。
仄かに暖かい。
ありふれた日常を家族と共に過ごせる奇跡に、感謝を。