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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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第96話

 ルチア・バルファドールが、立ち上がろうとしている。


 人の形は、していない。

 潰れ広がって地面に貼り付き、様々なものをぶちまけた、巨大な肉塊。


 そんなものが、ぐずぐずと蠢いているだけだ。

 立ち上がる事など、出来るわけがなかった。


 四肢の見当たらぬ醜悪な巨体で、しかしルチアは立ち上がろうとしている。


 それが、シェルミーネ・グラークにはわかった。


「ルチア、貴女……」

 言葉を、かけてみる。

「……生きて、おりますわね」


 今のルチアは、黒薔薇党の者たちと同じような状態にある。

 悪しき力を体内に注入され、人間ではいられなくなっているのだ。


 黒薔薇党の人々を異形のものへと変えたのは、ルチアがゲンペスト城より回収した、怨念の塊である。


 これを少量、注入されると、人間はまず死ぬ。

 屍が、怪物へと変わる。


 死せる肉体が、醜悪異形とは言え、生きたものと化すのである。

 死者の復活と、言えなくはないのかも知れない。


 ルチア・バルファドールは違う。


 彼女は、怨念の塊などとは比べ物にならぬほどに悪しき力を注入されながらも死なず、生きたまま変異を遂げたのだ。

 いや、まだ遂げてはいない。変異は、続いている。


 人体の原形を完全に喪失しながら、ルチアは生命を喪失してはおらず、さらなる異形の何かに変わろうとしている。


「とどめを……刺す、べきかも知れませんわね」

「……それは、待って下さい。シェルミーネ様」

 声と共に、優しい光が、シェルミーネの全身を包み込んだ。


 激痛が、走った。

 麻痺していた痛覚が、まずは蘇ったのだ。


 ルチアが生きている一方、自分は死にかけていた事を、シェルミーネは思い出した。


 折れた肋骨が繋がり、体内外の裂傷が塞がってゆく。

 そんな治癒の感覚も、激痛だった。


「み、ミリエラさん……もう少し、優しく……お願い出来ません? かしら……」

「我慢ですシェルミーネ様。痛いという事は、生きるという事……私に唯一神の教義を授け、癒しの白魔法を教えてくれた、祖父の言葉です」


 言いつつミリエラ・コルベムは、可憐な両手で、シェルミーネの全身に治癒の光をまぶしてゆく。


 その間。

 ルチアは、人の形を失った姿で、煮立ったように蠢き続ける。


 そんな有り様を、王国正規軍の兵士たちが取り囲んでいた。

 全員、ルチアにとどめを刺す事が、出来ずにいた。


 そうさせまい、とする者たちが、いるからだ。


「ルチアお嬢様に……手を出す事は、許しませんよ」

 クリスト・ラウディースが、言いつつ連結棍を振るう。

 攻撃、ではなく威嚇だ。

 ブンッ……! と不穏な響きが生じただけだ。


「健気な、お話……ですわね」

 ミリエラを背後に庇いながらシェルミーネは、とりあえず笑顔を見せた。


「このような姿でも……貴方がたにとっては、守るべき主君であると。その忠誠心に見合う存在として、さあ。魔法令嬢ルチア・バルファドールは、立ち上がる事が出来ますかしら」


 クリスト、だけではない。

 獣人クルルグがいる。それに、黒騎士もいる。

 そして。


「ルチア・バルファドールに……忠誠を誓っている者など、ここには一人もおりませんよ」

 イルベリオ・テッドが、シェルミーネの眼前に進み出て来た。


「我ら全員に共通して在るのは……魔王の原材料ルチア・バルファドールに対する、好奇心です。果たして、どれほどの怪物へと成長・進化してくれるのだろうという」


「貴方は……」

 シェルミーネは、まずは礼を述べた。

 恨み言も、述べた。


「崩れゆく玄室から……ミリエラさんと国王陛下を、いち早く連れて脱出をして下さった事。まずは感謝いたしますわ。私一人、地の底へ置き去りにされたのは、あるいは貴方の故意ではないかという気がしておりますけれども」


「さあ……どうでしょうか」

 イルベリオは言った。


「……少なくとも今、この時点におきましてはシェルミーネ嬢。貴女に死んでいただきたいとは思いません。よくぞ、よくぞ生きていて下さいました。貴女は、必要な存在なのですよ」


「ルチア・バルファドールを、さらなる怪物へと進化させるために……と、いうわけか」

 王国正規軍指揮官レオゲルド・ディラン伯爵が、イルベリオに長剣を向ける。


「シェルミーネ嬢。地の底よりの御生還、まずはお祝い申し上げておこう」

「ディラン家の兵員の方々に、発掘していただきましたわ。命の借りが、出来てしまいましたわね」


 言いつつシェルミーネは、ミリエラの頭を撫でた。

 この小さな聖女にも、命の借りが出来た。

 事が落ち着いたら全員に対し、丁寧に礼を言わなければならない。


 まずは、事を落ち着けなければならない。


「ルチアお嬢様……ご自分の有り様を、把握していらっしゃいますか?」

 蠢く肉塊に、イルベリオが言葉をかける。


「貴女は今、シェルミーネ・グラーク嬢の斬撃を受け……屍の如き様を、晒しておられる。敗れた、という事なのですよ。レオゲルド伯爵の言われた通り、敗北者です」

 その口調が、暗い情念を帯びる。


「……敗北は、お嫌ですか? ならば、お立ちなさい。その有り様を、自力で克服してご覧なさい。ヴェノーラ・ゲントリウスの力を、己のものとして使いこなし……そして、アイリ・カナン王太子妃の仇を滅ぼすのです」


「それが……貴方のやり方なのですよね、イルベリオ先生」

 クリストが言った。

 脇に挟んだ連結棍を、イルベリオの細い身体に、今にも叩き込んでしまいそうな口調である。


「バレリア夫人を地上へ出した事と言い……他人を利用するやり方が、身に染み着いてしまっているのですね。貴方は」

「この歳では、もう直りませんよ」


「貴方は、最低の人間です……」

 連結棍が、動きかけた。

 クリストは、しかし辛うじて思いとどまったようだ。


「……いえ。私の妹よりは……少しだけ、ましです。ルチアお嬢様、このままでは貴女は確かに敗北者ですよ。そう、リアンナ・ラウディースの如く」


 この禿頭の若者は、自分の妹に対し、恐ろしく屈折した感情を抱いているようであった。

「あのように、なってはいけません……立ち上がりましょう、さあ自力で」


 そんな言葉が、聞こえたわけではないだろう。


 山林の地面で、ぐずぐずと弱々しく蠢いていた肉塊が、雷鳴を発しながら激しく隆起した。


 隆起したものが、多数の方向に枝分かれしながら、電光を帯びている。

 帯電する、無数の触手であった。


 それらが一斉に、無差別に、暴れ出す。


 木々が、地面が、砕けて散った。

 アドランの山林地帯が、広範囲に渡って粉砕されていた。


 電光まとう触手の群れが、大地を殴打したのである。


 ミリエラの小さな身体を両腕で抱えたまま、シェルミーネは跳躍していた。

 帯電する触手が、足下をかすめて荒れ狂う。


 ミリエラ以外の者たちが、どうなったのか。それを確認している余裕はない。

 レオゲルド伯爵も、彼の兵士たちも、自力で身を守る事が出来る。

 そう信じるしか、なかった。


 樹木の破片が、大量の土と一緒に飛散する、その光景の真っただ中に着地しながらシェルミーネは、

「ミリエラさん、お逃げになって!」

 抱いていた少女を解放し、細身の長剣を構えた。


 優美で脆弱な刀身が、魔力の光を帯びて弱々しく輝いている。

 ルチアの振り回す電光の触手と比べ、実に弱々しく頼りない発光。


 その刃をシェルミーネは、防御の形に構えかざした。


 雷鳴を発する触手たちが、電光を放射したのだ。

 空中にぶちまけられた放電の光が、まっすぐにシェルミーネを襲う。


 横向きの、落雷。

 それをシェルミーネは、細身の剣で受けていた。


「ぐっ! う…………ッッ!」

 刀身に激しく絡み付いた電光が、そのまま柄へ、両手へ、体内へと流れ込む。

 歯を食いしばりながらシェルミーネは、流れ込んで来る電光を、純粋な魔力へと戻していった。


 ヴェノーラ・ゲントリウスの魔力。

 ルチアを、人外の肉塊へと変異させた力。


 それを体外へと放出する事が、シェルミーネは出来なかった。


 身体が、動かない。

 刀身から体内に入り込んで来た力が、シェルミーネの全身を支配しつつある。


 変異。

 シェルミーネの肉体も今、ルチアと同種の異形へと、変わり始めていた。


 防御の構えのまま固まった身体が、メキッ……と禍々しい響きを起こして痙攣する。


(これを……そうっ、この力を……)

 シェルミーネは、声を発する事も出来なくなっていた。

(……制御せん、と……ねじ伏せよう、と……ルチア、貴女は悪戦苦闘をしている最中……ですのね……っ!)


 ミリエラの悲鳴が聞こえた、ような気がした。


 シェルミーネの細い身体が、二度、三度と痙攣する。

 おぞましい変異の響きを、発しながらだ。


「…………お聞きなさい……魔法令嬢……」

 無理矢理に、シェルミーネは声を発した。

 血の味がした。


「……この力……古の悪役令嬢ヴェノーラ・ゲントリウスの、荒ぶる力……とっても魅力的、ですわよね? ふふっ……この力、思うさま振るって破壊と殺戮を実行する……何もかも滅ぼし、誰も彼もを殺し尽くす…………そうすれば確かに、アイリさんの仇を殺す事も出来るでしょうね。安直な、あまりにも安易な復讐……」


 体内が、激しくうねる。

 血反吐が、こみ上げて来る。

 それを、シェルミーネは噛み潰した。


「…………私も、ね……ミリエラさんが、いらして下さらなかったら…………安易な道を、選んでいたところ……偉そうな事を言う資格、ありませんわね……」


 自分が涙を流している事に、シェルミーネは気付いた。

 否、涙ではない。


 シェルミーネの両眼からは、鮮血が流れ出していた。


「ルチア・バルファドール……貴女も、私も…………アイリさんを、守れなかった…………安易な道に逃げる事など、許されませんのよ……」

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