第91話
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石棺が、砕け散った。
まるで被葬者が、癇癪を起こしたかのようである。
石の破片が、玄室の床にぶちまけられる。
被葬者の屍も、一緒に砕けてしまったのか。
それらしいものは、見当たらない。
大量の石の破片に、紛れてしまっているのか。
五百年前の死者である。
棺の中で、すでに朽ち果てていたとしても不思議はない。
何にせよ、とイルベリオ・テッドは思う。
死者は今、石棺から解放されたのだ。
目には、見えない。
禍々しい空気の澱み、のようなものを、何となく感じる事は出来る。
広大な玄室の全域で、大気が澱み、渦巻いている。
憤激の念だ、とイルベリオは感じた。
死者が、怒り狂っている。怒り狂って、澱み渦巻いている。
何故か。
新たな肉体を獲得する事に、失敗したからだ。
魔力と生命力に満ち溢れた若々しい肉体が、目の前に二つも在る。
二人とも、しかし拒んだ。抗った。
五百年、存在し続けた死者の想念を、受け入れなかったのだ。
「貴女様が、この陵墓に遺された……復活の手立て」
ミリエラ・コルベムの小さな身体を左腕で抱き寄せたまま、シェルミーネ・グラークは言った。
「それは、このようなもの……でしたの? ねえヴェノーラ・ゲントリウス陛下。生きた人間の肉体を、乗っ取るなどという。まあ、わかりやすいとは思いますわ」
右手には、抜き身の長剣が握られている。
細身の刃が、魔力の輝きを帯びる。
「けれど。そのような復活、私には不要ですわ。そんな手段で、この世に戻って来て欲しい誰かが……いるわけでも、なし」
澱み、渦巻き、荒れ狂っているものが、シェルミーネには見えているのだろう。
鋭く燃え輝く両の瞳で、睨み据えている。
「故に。貴女様との関わりは、ここでお終いとさせていただきますわね」
「それは許さぬ」
イルベリオの隣に立つ人物が、声を発した。
「……と、大皇妃は仰せのようであるが。どうするのだね? 悪役令嬢よ」
「お許しをいただこう、という気はありませんのよ」
シェルミーネは言った。
「どなたのお許しも無く私たちは、ここを出て行くのですわ。私も、ミリエラさんも……貴方も、でしてよ国王陛下」
「ここを出たところで、行く場所など無いのだがな」
ヴィスガルド王国国王エリオール・シオン・ヴィスケーノは、そう言って頭を掻いた。
澱み、渦巻くものが、激しくうねった。
不可視の、うねり。
それは攻撃だった。
シェルミーネを、ミリエラ共々、打ち倒さんとしている。
光り輝く細身の長剣を、シェルミーネは一閃させた。
防御の斬撃。
それが、不可視の攻撃を受け流す。
受け流されたものが、玄室内のどこかに激突した。
震動が起こった。
玄室の壁に、天井に、亀裂が走る。微かに粉塵が舞う。
「国王陛下!」
ミリエラを背後に庇ったまま、シェルミーネは長剣を掲げた。
今度は、振るってすらいない。微かな動き。
それだけで、不可視の攻撃は進行方向を変えられ、またしても壁にぶつかった。亀裂が増えた。
「まずはミリエラさんに、お声をかけて下さいました事。深く深く、感謝を致しますわ」
石壁がひび割れるほどの一撃を、シェルミーネは細身の長剣で受け流している。
容易く折れてしまいそうな刀身には無論、魔力が流し込まれ、強化が施されてはいる。
シェルミーネの魔力など、しかし自分やルチア・バルファドールに比べたら微々たるものである、とイルベリオは見た。
やはり、シェルミーネ・グラークの本質は魔法使いではなく、剣士なのだ。
一見、不可視と思える攻撃を、見極めている。
澱み渦巻くものの、力の進行方向を、肌で感じ取り、読み切っている。
僅かな魔力による最低限の強化を施された刃で、不可視の襲撃を捌いている。
掲げるだけの動きで、刀身を折られる事もなく、いなし受け流している。
その感覚と技量は、ルチア・バルファドールに仕える戦闘者たちの、誰よりも優れているのではないか、とイルベリオは思った。
思いつつ、問いかける。
「シェルミーネ嬢の言われる通り……国王陛下の御言葉によって、ミリエラ嬢は自我を取り戻し、結果として大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウスの復活は成りませんでした。国王陛下、貴方様は確か、大皇妃の復活がお望みだったのでは?」
「……イルベリオ・テッドよ。私は思うのだがな」
ぱらぱらと、小さな瓦礫が降って来るようになった。
このままでは、天井が崩落しかねない。
エリオールの口調は、しかし落ち着いたものだ。
「ヴェノーラ・ゲントリウスが確かに、この陵墓に何かしらの仕掛けを施したのであるとして。それは他人に取り憑いて外へ出る、それで復活を果たした気分になる、といった程度のものなのか?」
「おっしゃる意味が……」
言いつつイルベリオは、自身の魔力を周囲に展開した。
防御。
解き放たれた魔力が、イルベリオとエリオール王を包み込み、光の防護膜と化す。
シェルミーネを猛襲し、細身の長剣によって受け流されたものが、こちらに向かって来たのである。
そして、防護膜を直撃。
以前。ヴェノーラ・ゲントリウスの石棺にイルベリオは手を触れ、死せる大皇妃の意思に接触した。
あの時と同じ衝撃が、防護膜の上から叩き付けられて来る。
あの時。石棺に封じられていた被葬者の残留想念は、イルベリオに何を伝えたか。
魔力を有する乙女が、依り代として必要であると。
イルベリオは確かに、そのような意思を感じ取った。だが。
澱み渦巻くものの塊が、跳ね返されていった。
防護膜は砕け散り、光の破片が激しく飛散する。
そのキラキラとした光景の中、エリオールはなおも言う。
「確かにな、途方もない力であるのは間違いない。だが……今、暴れているものは本当に、ヴェノーラ・ゲントリウスなのであろうか?」
あの時、自分が接触したもの。石棺の中に、在ったもの。
それは本当に、五百年前の死せる大皇妃、本人の意思であったのか。
およそ五百年を経た、死者の残留想念であったのか。
その疑念が、ずっと自分の中でわだかまっていた事に、イルベリオは今、国王の言葉によって気付いた。
澱み渦巻くものの塊が、シェルミーネを襲う。幾度目かの襲撃。
「く……っ……!」
端正な歯を食いしばり、シェルミーネは震え硬直した。
一見たおやかな全身で、衝撃を受け止めていた。
細身の長剣を両手で構え、光り輝く刀身を眼前に立てている。
その刀身に、不可視の攻撃が激突したところであった。
「こっ……これは…………ッッ!」
澱み渦巻くものが、細身の刀身に入り込んで行く様を、イルベリオは確かに見た。
シェルミーネは、全身で感じ取った事であろう。
刀身から柄へ、両手へ、体内へ、不可視の何かが流れ込んで来るのを、だ。
取り憑かれた、乗っ取られた……わけではない、とイルベリオは見た。
澱み渦巻くものを、シェルミーネの方が吸収したのだ。
この令嬢、恐らくは魔法による攻撃を武器で受け止め、吸収する技能を身に付けている。
先程のように、否応なしに乗っ取られかけた、わけではない。
魔法術式の形でシェルミーネは、ぶつかって来たものを吸収したのだ。
それを、己の体内で解析している。
「これは…………魔力……あまりにも絶大な…………」
呻くシェルミーネを、ミリエラが支えている。
可憐な両手が、白く光り輝いている。
唯一神の加護。聖なる魔力。
その白い光が、ミリエラの両手からシェルミーネの身体へと流し込まれていた。
石棺の中に在るものとイルベリオが接触した、あの時。クリスト・ラウディースが、支え助けてくれたように。
「…………魔力……でしか、ありませんわ……ただ、あまりにも絶大……」
小さな聖職者に支えられたまま、シェルミーネが呟く。
「……ヴェノーラ・ゲントリウス陛下の……魔力……」
先程、砕け散った石棺は、空っぽに等しい状態であった。
収められていた屍は、すでに朽ち果てて跡形もなかった。
イルベリオは、そう思っていた。
違う。
大皇妃の屍など、最初から入っていなかったのだ。
「何故……」
呆然と、イルベリオは呟いた。
「ヴェノーラ・ゲントリウスは、自身の……ある程度の、魔力を……石の棺に、注入した。棺に触れた者が、私の如く……大皇妃の残留想念が封じられている、などと勘違いする程度には……絶大な、魔力を……」
何故、そのような事をしたのか。
それは、考えるまでもなかった。
「…………自身の死を、偽装……するために……」
「ふむ。それは、つまり」
いくらか興味深げに、エリオールが言った。
「ヴェノーラ・ゲントリウスという化け物じみた女は……今この時代、まだ生きているかも知れん、という事か?」
「……駄目…………!」
シェルミーネは痙攣し、一度のけぞった身体をすぐさま屈め、左手を床に叩き付けた。
体内に在ったものを、床へと流し逃がしていた。
「大皇妃陛下の、ある程度の魔力……! 私では、受け止められない…………っ!」
澱み渦巻くものが、シェルミーネの左掌から床にぶちまけられ、石畳を粉砕した。
石の破片と粉塵が、大量に噴出した。
床一面、だけではない。
壁も、天井も、砕け散った。
玄室が、崩壊を始めていた。
エリオール王の口調は、しかし暢気なものである。
「だとするならば……今頃は一体、何をしているのであろうな。古の悪役令嬢殿は、己の死を偽装してまで」
「五百年もの間。正体を隠し、何事かをなさっていた」
ミリエラを抱き寄せ、シェルミーネは言った。
「そのような方……約お一人、心当たりが無くもありませんわ」




