第9話
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百年ほど前。ここヴェルジア地方の領主は、ライアット家でもグラーク家でもなく、エンドルム家であった。
ある時、グラーク家との間に戦が起こり、エンドルム家は敗れ滅ぼされた。
エンドルム家・最後の当主グスター・エンドルム侯爵は、降服する事なくグラーク家の軍勢と戦い抜き、壮絶な戦死を遂げたという。
グラーク家の当主は、梟雄として名高いガイラム・グラーク侯爵であった。現主オズワードの5代前である。
ガイラム侯爵はヴェルジアを所領に加え、それをヴィスガルド王家に事後承認させた。
それが許される時代であったのだ。
エンドルム家の居城であったゲンペスト城に、ガイラムはそのまま居座ってヴェルジア地方の統治に取り掛かり、だが間もなく死亡した。
怪死、であったらしい。
グスター・エンドルム侯爵の呪いである、と人々は噂した。
ガイラムの次代レゾム・グラークは、その呪いを避けるようにして別の場所に居城を築いた。
ゲンペスト城は、放棄された。
百年あまり、放置された。
ゲンペスト城には、グスター侯爵の怨霊が出現する。エンドルム家の怨念が、渦巻いている。
グラーク家の関係者に、呪いをもたらす。
そんな伝説が生まれるのは、自然の成り行きであった。
およそ百年後の現在。
ゲンペスト城は巨大な廃墟として、その禍々しい威容を晒している。
この村からも、見える。
エンドルム家の怨霊が、いつかゲンペスト城より現れて村を襲う。
村人たちの間では、そんな怪談が語り継がれていたようである。
「エンドルム家の怨霊……今の兵士たちが、そうであると?」
シェルミーネ・グラークは呟いた。
陰影の兵士たち。
出現していたものたちは、とりあえず1体残らず消滅したところである。
「そのような怪談話。私も、一笑に付していたのですがね」
巨大な墓標のようでもあるゲンペスト城を見据えながら、メレス・ライアット侯爵は言った。
「現実問題として、あのような者たちが現れてしまいました。助かりましたよシェルミーネ・グラーク嬢。よもや、貴女においでいただけるとは」
ヴェルジア地方の若き領主。
22歳、赤毛に碧眼の貴公子である。
顔立ちは整っているが、アラム・ヴィスケーノ王子には及ばないとシェルミーネは思った。
身にまとっているのは、豪奢な甲冑。
似合っている。中身が鎧に負けていない。
剣士としての鍛え方が生半可なものではないのは、見ればわかる。
自ら剣を振るい、己の身を危険に晒しながら戦う。
その行いが領主として如何なものであるかはともかく、少なくとも民衆を守るために骨惜しみしない人物ではあるようだった。
立派な貴族である、と言って良いだろう。
そんな立派な人物が、自分に求婚をしている。
光栄に感じるべきなのだろう、とはシェルミーネも思う。承諾するか否かは別問題だが。
「2年前……花嫁選びの祭典で、貴女を見た」
メレス侯爵が言った。
「ひたすら民衆に嫌われるよう嫌われるよう、振る舞っておられましたね」
「私はただ、気に入らない平民娘を虐めていただけですわ」
「貴女を見ていて、私は思いましたよ。この人は、民衆を愉しませるのが大好きな令嬢なのだ、とね」
「世迷い言をおっしゃる方が、ここにもお1人……」
悪役令嬢には、ただ罵詈雑言だけを浴びせていれば良いのである。
「御令嬢方の、武の競い合いもね。楽しく観戦いたしましたよ」
「それは……お目汚し、でしたわね」
花嫁候補者たちによる、武術の競い合い。
シェルミーネは、第2位を取った。
当然と言うべきか、大量にある審査項目の中で、武術の競い合いは点数配分が最低であった。
取って当然。シェルミーネは、そんな意識で臨んだ。
そして、取れたはずの点数を見事に落としたのだ。
「相手が悪かった、と思いますよ。武の競い合い、第1位のあの令嬢は……少しばかり、特別です」
「ええ本当に。あの子に勝てる殿方が、果たしていらっしゃいますかどうか」
あの令嬢は、怪物だった。
ガロム・ザグや、このメレス・ライアット侯爵でも、彼女には勝てないだろうとシェルミーネは思う。
互角以上に戦える者がいるとしたら、兄アルゴ・グラークだけではないか。
「ともかくシェルミーネ嬢。貴女のお腕前は、ですから存じ上げておりました。が……よもや、これほどとは」
メレスが言った。
「ますますもって、貴女に惚れてしまった」
「ねえメレス・ライアット侯爵。私が何故ここを訪れたのか貴方、全くお考えになりませんの?」
シェルミーネは、微笑んで見せた。
「先日、ジルバレスト城まで、わざわざおいでいただいたようですけれど」
「貴女は御不在でしたね。もう1度、そろそろ伺おうかと思っていました」
「必要ありませんわ。私はね、お断りするために参りましたのよ。このような悪役令嬢ではなく、御立派な方にふさわしい女性をお探しなさいな」
「わかりました。諦めません」
間髪入れず、メレスが言った。
シェルミーネは、軽く睨んだ。
「……実はね、もうひとつ目的がありますの」
「このメレス・ライアットを、どうか役立てていただきたい」
「嬉しいお話。ではメレス侯爵、ここヴェルジアの支配権をグラーク家に返して下さいませ」
にっこりと、シェルミーネは笑った。
「グラーク家が愚かな令嬢のせいで失ってしまった領地を私、取り戻している真っ最中ですの。まずは、このヴェルジア地方から……なんてお話になったら貴方、御領主として私と戦わなければいけませんのよ。理解しておられますの?」
「むむむ、それは心苦しい。もしも本当に、そのような事になってしまったなら」
メレス侯爵は、本気で思い悩んでいるように見える。
その表情が、ぱっと輝いた。
「良い考えがある! 貴女と私が、当初の予定通り夫婦となれば万事解決。ここヴェルジアは、ライアット家の支配地であると同時にグラーク家のものともなる。誰も不幸にならない」
「……貴方のようなお馬鹿さんを領主に戴く、ヴェルジアの民こそが不幸と言えますわね」
自分が言えた事ではないか、とシェルミーネは思った。
2年前まで、この地はグラーク家の所領であった。
当主オズワードの有能な嫡子ネリオ・グラークが、しっかりと治めていたのだ。民政も税収も安定し、民は平穏に暮らしていた。
そこに、本来であれば起こるはずのない混乱が起こったのだ。
グラーク家の、愚かな令嬢のせいで。
ヴェルジア地方の民は、百年に渡り扱い慣れてきた、グラーク家という支配者を失った。
ライアット家という新たな領主と、付き合い方を最初から構築しなければならなくなったのだ。
「……民を不幸にしているのは、私ですわね」
「シェルミーネ・グラーク。貴女にお会いして私は今、確信した」
メレスの口調が、強くなった。
「リアンナ・ラウディースは、貴女に殺されたのではない……強情張りの悪役令嬢が、やはり誰かを庇っておられるのだな」
「……ですから、それを世迷い言と申しますのよ」
シェルミーネは顔をそらせ、ゲンペスト城に見入った。
百年前のグラーク家が、ヴェルジアの旧領主エンドルム家から奪い取った城。
先程の兵士たちがエンドルム家の怨霊で、ゲンペスト城から現れて民に害をなしている、のであるならば。
「……グラーク家が蒔いた種、ですわね。私が刈り取らなければ」
「あの」
声を、かけられた。
村人が数名、ガロム・ザグに連れられて来たところである。
声を発したのは、1人の年配の男であった。
村長である。
「……やはり、シェルミーネお嬢様であらせられましたな。お久しゅうございます」
「いけませんわよ。今この地の領主はグラーク家ではなくライアット家。私に声をかけるよりも、まずはこちらのメレス侯爵にお礼を申し上げなさいな」
「村長よ、怪我人は出なかっただろうか」
メレスが言うと、村人たちは跪いた。
「……何故か、シェルミーネお嬢様がいらっしゃる。それはしかし、この地にグラーク家の方々がお戻り下さる、というわけではないのですな?」
「私は、この地の支配者はグラーク家こそがふさわしい、と思っているのだがね」
兄ネリオは、しっかりと民の心を掴んでいた。
メレス侯爵としては、さぞ厄介な事であろうとシェルミーネは思う。
「私は私なりに……グラーク家の方々には及ばぬまでも、領主として出来る事をしてみたつもりなのだが。如何なものであろうか」
「……貴方様は確かに、我らを守るため戦って下さいました。我らも我らで、身勝手ばかりはしておれませぬ。税の支払いに関しましては、メレス・ライアット侯爵閣下の仰せのままに」
「ありがたい! 至らぬ領主ではあるが今後とも、よろしく頼む」
メレスが、村長の手を取っている。
村人の1人が、声を上げた。
「シェルミーネお嬢様……我々は、信じておりませんぞ。あのような話」
シェルミーネは応えず、ただゲンペスト城を見つめた。
「グスター・エンドルム侯爵……百年の間、一体何をしていらっしゃいましたの? グラーク家への復讐の機会、いくらでもあったと思いますわよ」
古城に渦巻く怨念の主、とされている人物に、シェルミーネは語りかけていた。
「それとも、グラーク家には勝てないので民衆に八つ当たり? それはちょっと……無様過ぎて、許しておけませんわね」




