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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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第88話

 絢爛豪華な衣装が、実に似合っている。

 まるで人形だった。


 豪奢な権力者の服を着るため、だけに生まれて来た男。

 衣装が本質であり、その中身は人形でしかない。


 そんな人物の妻となるために自分は、花嫁選びの祭典を勝ち抜いてきたのだ。


 ほぼ平民に等しい、下級貴族の娘として生まれた。


 貧しくとも辛うじて生きてゆける帝国の社会に、それほど不満があったわけではない。


 玉の輿に興味が無かったと言えば嘘になるが、祭典に出場したのは、そんなものを求めての事ではなかった。


 デルニオーム・ゲントリウスという、豪奢な衣装を着せられるためだけに生まれた人形のような若者に、何故だか興味を抱いてしまったからだ。


 祭典を勝ち抜けば、この若者と結婚できる。

 だから、出場した。


 彼が平民・貧民であれば、何も苦労はなかった。押しかけて夫にしてしまえば済む話であった。

 彼は、しかし皇子であったのだ。


 押しかけて行くには、花嫁選びの祭典などという面倒な競い事を勝ち抜くしかなかった。

 名だたる帝国貴族の令嬢たちが、妨害に来た。


 全て、叩きのめした。快感だった。


 自分は優勝し、デルニオーム皇子と初夜を迎えた。


 そして、マルスディーノを産んだ。

 凡庸な息子だった。

 優しさしか取り柄のない父デルニオームが、そのまま小さくなったかのような男の子であった。


 お人好しで気が弱い。

 悪辣な帝国貴族たちに、されるがまま。

 そんな夫と息子が、愛おしくて仕方がなかった。


 守らなければ。

 そのために自分は生まれたのだ、と強く思った。


「君には、苦労ばかりさせてしまうな」

 夫が、申し訳なさそうに微笑んでいる。

「私が……皇帝として、不甲斐ないばかりに……」


 この弱気な笑顔を見ているだけで、政務に疲れた身体の中に、生命力が蘇り満ち満ちる。

 枯渇した魔力が、無限に湧き出してくる。


「お帰りなさいませ、お母様」

 息子マルスディーノが、一礼する。

 他人行儀だった。浮かぶ笑顔は、愛想笑いでしかない。


 母親を、恐れている。


 仕方のない事だ、と思うしかなかった。

 自分のしている事を思えば、恐れられるのは当然だ。


 愛されたい、などと思ってはならない。


 息子が自分を、恐れている。憎んでいる。だが愛してくれている、かも知れない。

 そのような事に関係なく自分は、この息子のために一日も早く、帝国の政情を、治世を、安定させなければならない。


 皇帝家の支配体制を、磐石のものにしなければならないのだ。


 息子に、愛されたい。いつかは、わかってもらいたい。

 それは、見返りを要求する卑しい心だ。

 母親は、夫からも子供からも、見返りなど求めてはならないのだ。


 無償の愛を注ぐ。それだけで、良い。


「私には、君に何かを言う資格が……きっと、ないのだろうな」

 デルニオームが言う。

 何でも言えば良い、と思う。夫なのだから。

 妻に言いたい事など、いくらでもあるだろう。


「だけど言わせてもらう。君は……少し、やり過ぎではないかな。日々、あまりにも大勢……人が、死んでいる」


 それは、そうかも知れなかった。

 自分は確かに日々、殺戮を行っている。


 花嫁選びの祭典において様々に妨害をしてくれた令嬢たちは、各々の一族もろとも殺し尽くした。


 いや、何人かは黒魔法の実験台として今もまだ存命である。

 手足を切断して様々なものを生やさせたり、各種魔界生物と合成したりという状態で、獄に繋いである。

 時折、憂さ晴らしに切り刻んだりもしている。


 夫が心を痛めている以上、そういった行いも多少、慎んだ方が良いのかも知れない。


 その他にも。帝国貴族と呼ばれる者たちを、とにかく大勢、片っ端から罪状を作り上げ、始末してきた。

 どれほど殺したか、人数など把握していない。


 皇帝家を傀儡とするべく、夫デルニオームや息子マルスディーノに様々、不快な働きかけをするような者ばかりであった。

 万死に値する、と言わざるを得ない。


 だから殺処分を繰り返してきたのだが、確かに少し、やり過ぎたかも知れない。

 夫が、悲しい思いをしている。

 息子も、肩身が狭かろう。


 この二人には、幸せになって欲しい。

 そのためには私も、少しは己の行動を制御しなければならない。


 二人を守るために、私は生き続けなければならない。


 何故なら自分は、愛する夫の妻であり、守るべき子の母であり、帝国の実質的権力を握る者であるからだ。


 いや。

 違う。


 自分は、帝国時代の権力者などではない。

 皇帝や皇子の、妻や母親ではない。


 自分は一介の悪役令嬢、シェルミーネ・グラークだ。


「くっ…………!」

 ほんの一瞬、意識を失っていた。


 その一瞬が今、シェルミーネにとっては数年だった。十数年だった。

 自分以外の誰かの十数年を、過ごしていたのだ。


 全身に、絡み付いた炎。

 それはシェルミーネの肉体には火傷ひとつ負わせる事なく、しかし心を焼き尽くしに来た。


 シェルミーネ・グラークという一個人の心は、灰と化した。

 灰を蹴散らして、炎が入って来た。


 それは、別の何者かの、凶暴に燃え盛る心だった。


 その何者かを追い出すためにシェルミーネは、灰を掻き集めなければならなかった。


「……さすがです、シェルミーネ・グラーク嬢」

 賞讃の声を、かけられた。


「掻き集められた灰の中から、貴女の燃え盛る心が蘇る。まるで、伝説の不死鳥の如く……私には、その様が確かに見えましたよ」


 重苦しい、石造りの大広間。

 一人、初老の男が佇んでいる。

 枯れ木にも似た細身を、白いローブに包んだ男。


 深く皺の刻まれた顔は、疲れきっている、ようではある。

 両眼には、しかし得体の知れぬ力がある。生命力か、精力と言うべきか。


 その眼差しを受けたままシェルミーネは、石畳の上に降り立ち、片膝をついていた。

 一人の少女の、小さな身体を、両腕で抱いたままだ。


「ミリエラさん……」

 シェルミーネの呼びかけに、ミリエラ・コルベムは応えない。


 抱擁の中で、眠っているのか、気絶しているのか。

 可憐な唇で、聞き取れぬ呟きを紡いでいる。

 両目を閉ざしているのは、現実を見つめる事を拒絶しているから、とも思えた。


 初老の男が、恭しく一礼する。

「お初にお目にかかる、わけではないのですが……」


「……ええ、覚えておりますわよ私。貴方の事を」

 暗い情念に満ちた眼差しを、シェルミーネは正面から受け止め、睨み返した。

「レグナー地方にて、御領主デニール・オルトロン侯に、いささか悪趣味な仕掛けを施して下さった方」


「イルベリオ・テッドと申します」

「……ルチア・バルファドールの?」

「あの方は私ごときを、師と仰いで下さいます」


「貴方、先日レオゲルド卿のお屋敷にもいらっしゃいましたわよね」

「魔像越しに、この聞き苦しき声をお聞かせしただけです」


 ルチア・バルファドールの、魔法の師。

 それは嘘ではないだろう、とシェルミーネは感じた。


 魔力が、読めない。計れない。

 少なくとも、自分などとは比べ物にならない。


 会話の最中、隙を見て斬りかかる。

 倒す機会があるとすれば、それが成功した場合のみだ。


「ミリエラさんが……目を覚まして、下さいませんわ」

 シェルミーネは言った。


「その原因を、お作りになったのが……イルベリオ殿、貴方であるのなら。私、あまり健康そうではない年長者の方に対しても、お優しくしてあげられる自信ありませんわ」


「私など、素手の貴女にも勝てないでしょうね」

 魔法を使わぬ戦いならば、とはイルベリオは言わない。


「かわいそうなミリエラ・コルベムはな、家族というものに幻想を抱き過ぎていたのだよ」

 もう一人、男がいた。


 初老のイルベリオよりも、いくらか若いか。

 小太りの身体は、痩せたイルベリオよりも不健康に見える。


「まあ子供であるから、それは仕方がない。父と母が、いずれ仲直りをしてくれる。自分が、させて見せる。それを心の支えにしてしまっていたのだが……あの母親ではなあ」


 この人物とも、シェルミーネは面識がある。

 ミリエラの母と共に一度、レオゲルド・ディラン伯爵の私邸に現れたのだ。


「私ほどになれば、な。家族の繋がりなど、どの程度のものでしかないか……骨身に、しみている。その哀れな少女に、教えて聞かせてやるべきであった」


「家族の絆が、脆弱であるから……御子息を、お見捨てになりましたの? ねえ国王陛下」

 シェルミーネは、問いかけてみた。

「アラム王子は……南方の叛乱討伐に征かれたまま行方知れず、でしてよ?」


「貴女が何を言っているのか、わからんな。シェルミーネ・グラーク嬢」

 国王エリオール・シオン・ヴィスケーノが、暗く笑った。

「王太子アラム・ヴィスケーノは、王宮にいる。健在であるよ。父エリオールと共に、な」


「ここは……」

 ちらりと、シェルミーネは振り返った。

 豪壮な石棺が、そこにあった。

「……陵墓の中、ですのね」


「貴女がたは喚ばれたのです。その棺の中におわした御方によって……選ばれ、認められてしまったのですよ。御迷惑でありましょうが」

 イルベリオが言う。


 シェルミーネは、ミリエラを抱き締めた。

「その御方が、今……ミリエラさんの中に? 依り代、というわけですの?」


「彼女は、受け入れてしまったのです。国王陛下のおっしゃる通り、心の支えを失い……己の為すべき事を、この世に見いだせなくなってしまった。何も為せぬ自分を、為せる事なき世界を、他者に委ねてしまったのです。己の意思で」


 石棺から噴き出た炎によって心を灰にされ、そこから蘇る事が出来ずにいる少女を、イルベリオは見据えた。

「彼女と……代わって差し上げますか? シェルミーネ嬢」


「私が……」

「今、ミリエラ嬢の中にいらっしゃる御方を……シェルミーネ嬢、貴女が御自身の中へとお迎えするのです」


「…………私、今……炎の中で、その御方の生き様を……垣間見ましたわ」

 垣間見たものを、シェルミーネは思い返した。


「花嫁選びの祭典を勝ち抜き、愛しの君と結ばれながら位人臣を極め……ただ大切な人を守るために一国を、帝国を、私物化……それは私に、出来なかった事……」


 声が、震えた。

 心も、震えていた。


「…………私に、それが出来ていたら……アイリさんを、守ってあげられましたものを……」


 表情が、ねじ曲がる。

 自分は笑っているのか、とシェルミーネは思った。

 泣き顔を作っているのかも知れないが、涙は出ない。


「……悪役令嬢の、完成形……ヴェノーラ・ゲントリウス……私、成れますの? あの方に……」

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