第84話
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火葬中の屍、を思わせる怪物であった。
首から上は、内側から燃え盛る頭蓋骨。眼窩から、口から、炎が噴出している。
その炎が、轟音を立てて放射され、レオゲルド・ディランの全身を包み込んだ。
火傷の痛みは、一瞬だった。
炎を浴びた全身が、焼けただれると同時に治癒してゆく。
淡く白い光が、炎を蹴散らすように、レオゲルドの身体をうっすらと包んでいた。
うっすらと頼りなく見える、だが防御と治療を同時にもたらす、護りの光。
唯一神の加護が、可視化を遂げたものである。
「なるほど……これが本当の、神頼みというものか」
光に護られつつ、レオゲルドは長剣を一閃させた。
黒い岩塊の如く筋骨たくましい巨体から、有角の頭蓋骨である生首が転げ落ちる。
炎を内包する、頭蓋骨。
レオゲルドの足元で崩れ落ち、燃え尽きる。
同種の怪物たちが、山林のあちこちから大量に出現し、猛襲を仕掛けて来ているところであった。
黒い豪腕で、まるで松明のような、燃え盛る棍棒を振るう。
眼窩と口から、炎を噴く。
その襲撃を、レオゲルド配下の兵士たちが迎え撃っていた。
指揮官と同じく、唯一神の加護の光を身にまとい、護りと癒しを獲得したまま、怪物一体に最低でも三名で激突してゆく。
どれほど乱戦になっても、一対複数の連携は崩さない。
その戦闘訓練は、日頃から徹底している。
中には、一対一で敵を討ち取る戦闘を高速で繰り返す事の出来る、ダルバルグ・レーンのような人材もいる。
巨体を縦横無尽に跳躍させながら、左右二本の大斧を振るい、怪物たちをことごとく叩き斬る。
そんな剛勇無双そのものの戦いぶりを見せながらもダルバルグは、無謀な深追いはしない。
可視化した唯一神の加護が及ぶ範囲内からは、決して飛び出しては行かない。
その加護をもたらしているのは、一人の小さな少女だ。
レオゲルドの近くで可憐な両手を握り合わせ、祈りを捧げている。
唯一神の加護を発現させ、レオゲルドの部隊を白き光で護ってくれている。
「心苦しい、とは思う」
言いつつレオゲルドは長剣を振るい、閃光を切り払った。
破壊力そのものが閃光と化し、飛来していた。
「だが今は、貴女を……一つの戦力として、頼らねばならんのだ」
山林のあちこちに潜む、巨大眼球。
視神経を柱の形に束ねて直立しながら、破壊の眼光を立て続けに発射している。
祈りを捧げる少女に、向かってだ。
その眼光を、レオゲルドはひたすら切り砕いた。
長剣の一閃が、光の飛沫を散らせ続ける。
「……頼みますぞ、ミリエラ嬢」
「はい」
短く、静かに、力強く、ミリエラ・コルベムは応えた。
その近くで兵士数名が弓を引き、矢を放ち、巨大眼球たちを射ち砕いている。
人ならざる異形のものたちで構成された、防衛部隊。
何を防衛しているのか。
この山林そのものと言うべき、アドランの帝国陵墓をだ。
正確には、陵墓の内部に潜む叛乱勢力を、である。
その首魁ルチア・バルファドールの側近、とおぼしき一人の若者が、先程からシェルミーネ・グラークと交戦中だ。
クリスト・ラウディースと名乗った、恐らくは唯一神教会関係者。
今はシェルミーネに背後を取られ、細身の長剣を首筋に突き付けられている。
その近くに、ダルバルグが着地していた。
まるで大型肉食獣の如く、しなやかに軽やかに。
「手強い敵を単身、相手取り、足止めをして下さいましたなシェルミーネ嬢。お見事です……が、これはよろしくない」
クリストの背中を睨み、ダルバルグは言う。
「感心いたしかねますな。背後を取ったところで、刃を止めてしまうなど」
「こちらのクリスト殿からは、情報を……」
シェルミーネが言いかけ、青ざめた。
「……いけない! ダルバルグ殿、お逃げになって!」
黒い暴風が吹いた。レオゲルドには、そう見えた。
二つの斬撃が、シェルミーネを、ダルバルグを、同時に襲っていた。
両者、それぞれ別方向に跳躍し、それをかわす。
「何者……!」
着地したダルバルグが、左右二本の大斧を構える。
同じく、左右それぞれの手に得物を握った一人の男が、クリストを背後に庇っていた。
二本の、長剣。
虚仮威しの二刀流ではない事は、シェルミーネとダルバルグを追い散らした今の斬撃からも明らかである。
素顔は見えない。が、男であろう。
闇そのものを鋳造したかのような、黒い全身甲冑。
その上からでも、鍛え込まれた力強い体格が見て取れる。
首から上は兜と面頬で、露わになっているのは、禍々しく燃え盛る左右の眼光だけだ。
見覚えのある眼差しだ、とレオゲルドは思った。
「……ありがとうございます、黒騎士殿。そちらのシェルミーネ・グラーク嬢が想定外に手強く、不覚を取ってしまうところでした」
クリストが言う。
黒騎士と呼ばれた二刀流の剣士は、何も応えない。
左右の、双剣の構え。
やはり、とレオゲルドは思う。
この構えを、自分は見た事がある。
黒い面頬の下には、見知った素顔があるのかも知れない。
素顔を隠さなければならないような者が、友人知己の中にいたか。
声を聞けば、思い出せるか。何か話しかけて返事をさせてみるべきか。
そんな思案をしている場合でもなく、レオゲルドは長剣を振るい、襲撃を跳ね返し、受け流した。
何本もの、槍。
複数の方向から、突き込まれてきたところである。
兵士の一団が、黒騎士に率いられ、出現していた。
人間の兵士、ではなかった。
材質のわからぬ甲冑が、陰影の塊を内包している。
そんな兵士たちが、まさしく影のような動きで槍を突き込んで来る。
レオゲルドは、かわしながら踏み込んだ。
唯一神の加護をまとう長剣で、陰影の兵士たちを撫で斬ってゆく。
材質不明の鎧が、中身の陰影もろとも両断され、消滅する。
その間。
ダルバルグが猛然と、黒騎士に斬りかかって行く。
二本の大斧と二本の長剣が、ぶつかり交わって火花を咲かせる。
「駄目…………!」
シェルミーネが叫び、ダルバルグに加勢すべく踏み込もうとする。
そこへ、横合いから、重い風が襲いかかった。
クリストの振るう、連結棍の一撃だった。
それをシェルミーネが、危うく回避している間。
黒騎士の双剣が、ダルバルグの巨体を通過していた。
右肩から、左脇腹へ。
左肩から、右脇腹へ。
黒騎士の全身甲冑が、返り血にまみれた。
ダルバルグの大きな身体は、四つに分割されていた。
そして倒れる、と言うよりも滑り落ち、崩れ落ちてゆく。
「ダルバルグ殿…………!」
声を発したのは、ミリエラである。
レオゲルドは、それすら出来ずにいた。
「…………な……りません…………ミリエラ嬢……」
生首に、胴体の一部が付着している。
そんな状態で、ダルバルグは最後の言葉を絞り出していた。
「見ての通り……私は、もはや助からない…………私を、治そうとしてはいけません。力を……無駄遣い、してはいけない……」
「ダルバルグ……どの……」
戦闘部隊全員を包む癒しの力を、ミリエラは、ダルバルグ一人に集中させようとしたようである。
四つに切り分けられた人体が、それで繋がるものではない。確かに、適切な行動ではないのだろう。
しかし。
人間が四分割される様を目の当たりにしながら、この幼い令嬢は、怯えて固まる事もなく、次の行動に出ようとしたのだ。
レオゲルドは、驚嘆するしかなかった。
(私ですら一瞬……思考も行動も、麻痺してしまったと言うのに……この少女、何という精神力か)
「…………後は、頼みます……ミリエラ嬢……レオゲルド閣下……」
ダルバルグは、事切れた。
四つに分かたれた屍に向かって、黒騎士が恭しく長剣を掲げ、礼を示す。
その動きも、レオゲルドは確かに知っていた。
およそ二年前、花嫁選びの祭典が終了して間もない頃。
王宮の庭園で、腐乱死体が発見された。
何者であるのか、外見からは判別不可能なほど腐敗が進んでいた屍であったが、着用していた衣服は立派で、ほとんど劣化が見られなかったのだ。
その衣服から、身元を判断するしかなかった。
検分を行ったのは、レオゲルド自身である。
遺体には、毒矢が撃ち込まれていた。
腐敗の急激な進行が、その毒によるものであるのは明らかだった。
遺体の近くからは、抜き身の長剣が二本、発見された。
現場には、激しい戦闘の痕跡もあった。
全てをレオゲルドは検分し、被害者が何者であるのかを、自身の責任のもとに特定そして公表したのだ。
それが、誤りであったとしたら。
「私個人が、大衆の面前で土下座をする……程度で済めば良いがな。下手をすればディラン家が終わる、か」
苦笑しつつ、レオゲルドは長剣を構えた。
黒騎士が、ゆらりと歩み迫って来る。
双剣を携えながらの、その歩調。
やはり、あまりにも似ている。
レオゲルドによって死亡を認定された、とある人物に。
「よもや貴公……まさか……」
黒騎士に、レオゲルドは問いかけてみる。
声を発してくれれば、わかる。
「…………シグルム・ライアット侯爵、か?」
返答は、なかった。




