第81話
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雷鳴が一際、激烈に轟き渡った。
魔像の掌から迸る電光が、巨大化を遂げていた。
まさに、横向きの落雷である。
それが、肉の柱を直撃していた。
無数の人面で構成された、柱状の肉塊。
王都の一角に鎮座する巨大生物と化したゴルディアック邸の、中核部分……長老ゼビエル・ゴルディアックの、成れの果てである。
それが、雷に灼き砕かれていた。
無数の顔面が全て、断末魔の絶叫を張り上げながら破裂し、再生しかけ、しかし砕け散る。
人ならざるものの再生能力を、上回る破壊力であった。
『あんたなんかに、言われるまでもないわ……』
勇壮なる男の闘士、の形に彫られた石像が、若い女の声を発している。
左手から電光を放ち、雷鳴を轟かせ、人面の塊を粉砕しながらだ。
『この人たちからもね、ちゃんとお話は聞くわよ。それはそれとして! あんたにも喋ってもらわないといけないワケよ、ねえわかってんの!? 他人に矛先向けさせて助かろうとしてんじゃないっつぅうううううの!』
肉の柱は、灼かれ砕かれて跡形も無くなった。
ゼビエル・ゴルディアックは、死んだ。
否。やはり噂通り、二十年前に死んでいたのだ、とドルフェッド・ゲーベルは思う。
およそ二十年間、人ならざるものとして存在し続けていた。
邸内を徘徊していた、ゴルディアック家の主だった血縁者たちのように。
「ジュラード……全て、あやつの手によるものか」
ドルフェッドは、呟いた。
「魔法使いなど飼うから、このような事になる……ゴルディアック家、哀れな者どもよ」
『魔法使いを……少しは、知ってるみたいね。ハゲおじさま』
「魔法使いという連中とは、幾度か戦った事がある。その全員に共通していたのはな、呆れるほどの傲慢さよ。あやつら、魔法が使えない者たちを人間と思っておらぬ。何かの実験材料としか見ておらぬ」
ジュラードは、ゴルディアック家そのものを用いて、巨大な実験を執り行っていたに違いなかった。
「貴様も、そうか。魔像使いよ」
『否定はしないわ、うん。否定は出来ない……けどねえ、あんた方に言われたくないってのは思うわよ』
どこか遠くにいて魔像を操作している女が、ニヤリと笑ったようである。
『知ってるのよ私、あんたたちの事。王弟ベレオヌス公爵に仕えて色々、汚れ仕事やってる人たちでしょ? 権力者じゃない奴は人間じゃない、そう思ってないと出来ない仕事よね』
「ふん、確かに……否定は、出来んな」
王都の裏通りで暮らしていた頃の自分は、確かに人間ではなかった。獣であった。
それは今も同じか、とドルフェッドは思う。
『あんたらみたいな連中がねえ、アイリを……殺したんじゃないか、ともね。私、思ってる』
「貴様が何を言っているのか、わからんな。アイリとは? よもやアイリ・カナン・ヴィスケーノ王太子妃殿下の事ではあるまいな。身の程をわきまえた方が良いぞ、無礼者が」
ドルフェッドは言い放った。
「あの御方は、王宮にて御健在であられる。妄言、万死に値するぞ」
『あんたら権力の犬どもの方こそ万死に値するけど、まあ殺さないでおいてあげる。私の質問に、答えてくれたらの話だけどね』
魔像の巨体が、ゆらりと迫り寄って来る。
『……ベレオヌス公爵殿下にも、いずれお話を聞きに行かなきゃいけないんだけど。転移魔法って実は結構めんどくて。細かく座標指定したり逃げ道確保したり、イルベリオ先生と一緒に時間かけて術式組まないといけないわけ。そうやって今回はゴルディアックさんちにお邪魔して、一番偉い長老様にお話聞こうと思って、あんたたちに殺されちゃう前にね。だけど私が殺しちゃった。どうしてくれんのよ』
「……拷問のやり方が、なっていないな」
言いつつドルフェッドは、槌矛と盾を構えた。
兵士たちも、戦闘態勢を整えている。
「責める方が、頭に血を昇らせては駄目なのだよ」
『ありがとう。じゃ今から、あんたたちを冷静に拷問します。アイリについて知ってる事、全部話しなさい』
魔像が、さらに一歩、こちらに向かって踏み出そうとする。
その足が、止まった。
『……と、思ったけど駄目ね。こっちに、お客さんが来ちゃった。おもてなし、しないと』
こっち。
それが、ここに魔像を送り込んできた魔法使いの居場所なのであろう。
そこに、招かれざる客が攻め入ったのか。
ともかく。魔像の足下に、光の紋様が出現していた。
『ひとつだけ忠告。ゼビエル長老が死んじゃったから、ここ保たないと思うわ。さっさと脱出しなさいね……生きてたら、また会いましょう』
魔像の巨体が、紋様に吸い込まれ、消えてゆく。
追えるか、などと考えている場合ではなかった。
ドルフェッド及び兵士たちの、足下。
先程までは触手状に隆起したりと柔軟にうねり狂っていた床が、今は硬く脆く干涸らび、ひび割れ始めている。
巨大な生命体と化していたゴルディアック邸が今、生体化の中核を失い、死亡したのだ。
そして、崩壊を始めつつある。
「総員、退却」
ドルフェッドは命じた。
「ゴルディアック家は勝手に自壊し、滅び去った。我らは見届けた。以上、これをもって任務完了とする。さあ逃げるぞ」
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ヴィスガルド王国初代国王アルス・レイドック・ヴィスケーノは、享年ちょうど五十歳であったという。
透明な柱の中で、永遠の眠りに就いている男は、確かにそのくらいの年齢に見えない事もなかった。
一見すると、三十代。
筋骨たくましい身体は若々しく力に溢れ、屍とは思えない。
死に顔も、まるで猛獣が眠っているかのようだ。
閉ざされた両眼が、もしも開かれたら、とてつもなく猛々しい眼光が燃え上がって自分を射竦めるであろう、とガロム・ザグは思う。
柱を満たす謎めいた液体の中、その両眼が見開かれる事は、果たして本当にないのか。
「アルス王の死因に関しては、何もわかってはおらぬ。史書には、ただ病死と記されているだけでな」
病死者とは思えぬ力強い屍を見つめ、ジュラードは言った。
「当然、旧帝国貴族による暗殺という話も生まれた。あるいは、ヴェノーラ・ゲントリウスの怨念・祟り。純然たる病死……さあリオネール・ガルファよ。暗殺の専門家として、この屍をどう見立てるかね?」
「……わかんないっスよ。ここまで色々、いじられちゃうとね」
考える事もなく、リオネール・ガルファは言った。
「ギルファラル・ゴルディアック卿は……この王様を、よっぽど生き返らせたかったんスねえ」
「わかるのか」
「元々どんな死体だったのか、わかんねーくらい手ぇ入ってるッス。刺されたり斬られたり、もしくは病気や毒とかで、ぶっ壊れた部分があったんだとしても……取り除かれて、違う部品が入ってる」
「部品だと」
ガロムは、思わず言った。
「……まさか、違う人間の」
「それも、あるッスね。いろんな人間の、はらわたやら筋肉やらが継ぎ接ぎに……あと」
リオネールは、頭を掻いた。
「ガロム君、多分まだ会ってないッスよね。うちらの仲間にさ、マローヌ・レネクってクソ女がいるんだけどぉ。そいつさ、身体の半分くらい魔界のバケモノに売り渡しちまってんのね。で、代わりにワケわかんねーモノ埋め込まれて……この王様、アレに近い事されてるっすよ」
「大魔導師ギルファラル・ゴルディアックが、そこまで手を施しても……このアルス・レイドックを、蘇生させる事は出来なかった」
ジュラードが語る。
「この屍、アルス王の肉体と呼べる部分は……多く見積もって、六割といったところであろうな。四割が混ざりものとなった時点で、ギルファラルは見切りをつけた。屍に手を加える手法には限界がある、とな」
「死んだ人間を……」
ガロムは、呟いた。
「……生き返らせようと、していたのか。ギルファラル・ゴルディアックは」
「たまんねーッス、んなコトされたら。俺ら商売上がったりっす」
リオネールが言うと、ジュラードは微笑んだようだ。
顔など見えない。
だが、闇色のフードの内側から流れ出す声には、リオネールをいくらか揶揄するような響きがある。
「お前の主ルチア・バルファドールは、何をしている。貴様の兄に殺されたアイリ・カナンを、生き返らせる……その手段を、模索しているところではないのか」
リオネールは黙り込み、ガロムは確信した。
知っている。
このジュラードという男は、アイリ・カナン暗殺に関する、全てを。
リオネールとは、旧知の間柄であるようだ。
その両名、どちらか片方に口を割らせる力すら、ガロムには無い。
今は、問いをぶつけるしかなかった。
「ジュラード……貴様の目的も、同じか。死んだ人間を、蘇らせる。その手段を、古の大魔導師から盗もうとしているのか」
「屍に、手を加える。失敗を重ね、限界を迎える……そこからギルファラルは、いくらかは先の段階へと達したはずなのだ。私は、それを知らねばならぬ」
ジュラードは、リオネールを見据えた。
フードの中の暗闇で、眼光が燃えた。
「ルチア・バルファドールに伝えておけ。ヴェノーラ・ゲントリウスが帝国陵墓に遺した、自身の復活の手立て……いかなるものであるか、よく研究せよとな。成果は私がもらい受ける。見返りに、アイリ・カナンの復活には力を貸してやろう」
リオネールは、何も応えない。
その足下に、光の紋様が生じている。
「……ルチアお嬢様が、お呼びッス。帰っておいで、ってね」
紋様から溢れ出す光が、リオネールの姿を薄れさせてゆく。
光に、彼は呑み込まれつつあった。
「うちのお嬢様はねぇガロム君、ギルファラル卿と同じっす。身体の半分くらいバケモノになっちまった状態でも、アイリ・カナン妃殿下には生き返って欲しい……そう思ってるッス」
光の紋様もろとも、リオネールは消え失せた。
言葉だけが、残った。
「キミんとこの悪役令嬢は、どうッスかね……?」
震動が、起こった。
「ゴルディアック邸が崩壊を始めた。だが、この区画だけは無傷で残る。ギルファラルによる魔力の護り、失われる事はない」
ジュラードは言った。
「ガロム・ザグ。崩壊が落ち着くまで、ここにいるが良い」
「屍に手を加える手法には、限界がある……にしても、やはり建国王の遺体は保存しておきたかったのか。ギルファラル卿は」
屍を内包する透明な柱に、ガロムは牙剣を叩き込んだ。
硝子の円筒、にしか見えない柱には、かすり傷すら付かない。
痺れるような手応えを、ガロムは握り潰した。
「……一縷の望み、か」
「そういう事だ。上手くすれば、この屍に……アルス王の霊魂を戻す事が、出来るやも知れぬ。ギルファラルは、そう考えたのだ」
まるで自身が大魔導師ギルファラル本人であるかのように、ジュラードは語る。
「人間の霊魂とは、儚きもの。非力なもの。仮にこの世にとどまったところで、屍に戻る事すら出来はせぬ。自力では、な」
「ギルファラル卿は、アルス王の霊魂を探しに行った……とでも?」
「屍に手を加える方向では、限界がある。ならば、霊魂の方面から探るしかあるまい」
霊魂などという未練がましいもの、アイリが遺しているはずがない。
シェルミーネ・グラークは以前そんな事を、いくらか冗談めかして言っていたものだ。
ジュラードは、さらに語る。
「唯一神教における、天国あるいは地獄……それと同じものであるか否かはともかく。死せる者の霊魂が行き着く領域は存在すると、ギルファラルは己の研究を結論付けたのだ」
「……それを調べ上げるため、お前はゴルディアック家に仕えていたのか。そして今、用済みになったと」
「五百年をかけた。そこそこは調べられた。まあ、感謝はしてやっても良い」
「ゴルディアック家の連中は、化け物に変わっていた。貴様の、感謝とやらの結果なのか」
「あれが、あれらこそがな。現段階における、死者の復活よ。今はまだ、あんなものにしかならぬ」
闇色のローブから、暗黒が溢れ出したように一瞬、見えた。
「もう少し先の段階が、あるはずなのだ。私は、そのさらに先へと至らねばならん……力を貸せ、ガロム・ザグ。お前の主シェルミーネ・グラークにも、私に協力させよ。アイリ・カナンが、生き返るのだぞ」




