第79話
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王都に、巨大な怪物が出現したのだ。
退治するしかない。
殺処分するより他に、道はない。
王都の民を、守るために。
民衆とは何と便利な道具である事か、とドルフェッド・ゲーベルは思う。
民衆を守るためであれば、いかなる殺戮も許されてしまうのだ。
「いけません……いけませんなあ、大老殿」
今や巨大な怪生物の体内と化した、ゴルディアック家の大邸宅内部。
その最奥部、に近い場所であろう。
壁も床も天井も、蠢き震える肉。あるいは、臓物の内壁。
とてつもなく巨大な器官の内部、に見える大広間である。
中央に鎮座するものに、ドルフェッドは言葉をかけていた。
「ゴルディアック家の皆様が総出で、王都の民を脅かしておられる。これでは我ら、断腸の思いで、あなた方を殺し尽くさねばなりません。ああ辛い、心苦しい。されど民を守るため」
『…………民は……守るもの……導くもの……』
ゴルディアック邸の中枢、とおぼしきそれが、言葉を発する。
『それが出来るのは、我ら……帝国の、正当なる後継者のみ。雑兵の血筋に連なる下賤の輩が……何を、守るのか。何を、導けるものか!』
柱であった。
肉と臓物が固まって出来た、おぞましい有機質の柱。
その全体で、蠢き歪み続ける肉が、無数の人面を形成している。
妄執に歪む、老人の顔面だった。
それらが、一斉に声を発している。
『見よ、卑しき雑兵を王に戴いたが故に! この国の民は今、塗炭の苦しみのただ中にある。救わねばならぬ、導かねばならぬ! 我らゴルディアック家が、帝国の威光をもって』
「それは御子息、ログレム・ゴルディアック宰相閣下にお任せなさい」
言いつつドルフェッドは、右手の槌矛を掲げた。
率いて来た兵士たちが、素早く攻撃の陣形を組みながら前に出る。
床から、壁から、天井から。
牙ある触手が無数、生え伸び、襲いかかって来たところである。
それらを、兵士たちが迎え撃つ。
巨大で凶暴な触手の群れを、雑草の如く刈り取ってゆく。
ずんぐりと横に大きな身体で、うねり狂う肉の床を押し潰すように歩きながら、ドルフェッドは言った。
「ゴルディアック家にはな。あの方のみ、おられれば良い……ゼビエル大老、あなた方は不要なのだ」
おぞましい人面の柱と化したゼビエル・ゴルディアックに向かって、ドルフェッドは猪の如く踏み込んだ。
大型の槌矛を、右手で振り上げる。
「……貴様ら旧帝国系貴族どもには皆、うんざりしているのだよ」
それを、人面の柱に叩き込む。
跳ね返された。
「何……っ」
手放しそうになった槌矛を、辛うじて握り直しながら、ドルフェッドはよろめいた。
とてつもなく強固なものを殴打した手応えが、右腕を痺れさせている。
人面の柱は、無傷であった。
全体が、うっすらと淡い光に覆われている。
淡いが強固な、魔力の防壁。
『はい、ごめんなさいねぇ。私も旧帝国系でーす』
おどけた女の声、と共に。
石像が一つ、ずしりと大広間に歩み入って来た。
兵士たちを巨体で押し分けるようにして、進み出る。
『まあ、うんざりなのは同感……それより、ちょっとリオネールの奴どこ行っちゃったのよ』
「貴様……!」
リオネール・ガルファと共に黒薔薇党を率いていた、魔像である。
魔像。すなわち、これを操る魔法使いが、どこかにいる。
その魔法使いであろう女の声が、勇壮なる男の闘士の石像から流れ出す。
『まあいいわ、目的は果たせそうだし』
「ゼビエル大老を……守っているのは、貴様の魔力か」
『ごめんなさいね、ハゲたおじ様。私ちょっと、このお爺ちゃんとお話しなきゃいけないの。ねえ? ゼビエル・ゴルディアック様』
それなりに美しいが癖のある、若い女の笑顔が、ドルフェッドには見えるようだった。
『貴方の、曾孫さん……フェアリエ・ゴルディアックって女の子がいるんだけど覚えてる?』
『……帝国の……威光をもって……』
『いや帝国の威光とかじゃなくて! 貴方の曾孫……まあいいわ。家族を大事にしろなんて、私が言えた事じゃないものね』
苦笑が、見えたような気がした。
『ともかくフェアリエ。私とも、そこそこは口きいてくれたけど。特にベルクリスと仲良くてね……私の知る限り、ゴルディアック家で一番まともな人間。でもねえ、あれじゃ優勝は出来ないわよね。これも私が言える事じゃないけど』
『我ら……帝国の、正当なる……』
『で、結局アイリが優勝しちゃった。ゴルディアック家の令嬢を蹴落としてね。わかる? あんた方にはね、動機があるわけよ』
それなりに美しい顔が、凄惨な憎悪の形相を浮かべてゆく。
無表情な石像の顔面に、ドルフェッドは一瞬だけ、その様を見出した。
『正直に言えば、楽に死なせてあげるわ。ゼビエル大老……あんたたちが、アイリを殺したの?』
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まるで、鉄の壁に剣を叩き込んでいるかのようである。
「防御かった……ッ!」
リオネール・ガルファは舌を巻いた。
速度には、自信がある。
三日月に似た、この片刃の長剣を、超高速で繰り出してゆく。
その技量は、兄ザーベックをも凌駕すると自負している。
一閃で敵を切り刻む、斬撃が、刺突が、しかし二本の牙剣によって、ことごとく弾き返されていた。
左右それぞれの手で、ガロム・ザグは牙剣を振るう。防御の形にだ。
防戦一方。傍目には、そう見えるだろう。
自分リオネール・ガルファが、一方的に押している。
そのように、見えてしまうだろう。
「…………なぁるほど、兄貴が負けるわけッスね」
ガロムの、鉄壁の防御。
その奥に、必殺の攻撃が隠されている、とリオネールは感じた。
隠されたものが、いつ繰り出されて来るか。
その瞬間、自分は死んでいるのではないか。兄のように。
だがガロムは、それをしない。
リオネールを、殺そうとしない。生かそうとしている。
鉄壁の防御に、ひたすら長剣を叩きつけながら、リオネールは歯を食いしばった。牙を剥くようにだ。
「ガロム君……さ。俺の事ナメてる? ひょっとして」
「何故そうなる。見ての通り、俺は防戦一方だと言うのに」
そんな言葉を、返す事が出来る。
防御に徹しながらガロムは、冷静さを全く失っていないという事だ。
足下が突然、盛り上がった。
巨大な、動く臓物。
牙を剥いて荒れ狂い、リオネールを襲う。ガロムを襲う。
よろめき、倒れ込み、一転して起き上がり、剣を構える。
その全てをリオネールは、ほぼ同時に行っていた。
迎撃の準備を、瞬時に整える。
その時には、しかしガロムの牙剣が二本立て続けに唸り、牙ある臓物を叩き潰していた。
「何度でも言うぞリオネール・ガルファ。俺たちはな、この馬鹿げた場所を制圧しなければならん」
やはり、とリオネールは思う。
この男は、鉄壁の防御の内側に、凄まじい攻撃を隠し持っていたのだ。
それが現れ、荒れ狂った。
触手状に伸びうねる臓物が、天井や壁からも生えて来て牙を剥き、様々な方向からガロムを襲い、左右の牙剣に粉砕され続けている。
「あんたも何かしら目的があって、こんな所にいるんだろう。お互いの目的、邪魔しない程度に協力は出来ないものかな」
「目的ねえ」
あるにはあった、と思いながらリオネールは長剣を一閃させた。
牙ある触手が数本、リオネールに食らい付く寸前で切断され、飛び散った。
ルチア・バルファドールが、この大邸宅に、魔像ボルグロッケンを送り込んだ目的。
それは今頃、もう果たされているのではないか、とリオネールは思う。
ルチアが魔像を介して行う事を、自分は現地で補佐しなければならない。
だが。
(すいません、ルチアお嬢様……俺、兄貴を殺した奴に会っちゃったんス)
「……ねえガロム君。キミの本当の目的ってさ、アレっしょ? 誰かの仇討ち。兄貴に誰か、殺されちゃったんスね」
リオネールは言った。
「でも兄貴は、もう死んじまってるワケで。キミに殺されちゃったワケで、つまり仇討ちはもう終わり……に見えて、そうじゃないと」
言いつつ、踏み込む。斬りかかる。
三日月のような刀身が、牙剣とぶつかり合って火花を散らせた。
「……兄貴が、誰に雇われてたのか。ガロム君は、それが知りたいんスね」
反撃が来た。
剣で受けたら、折られる。
リオネールは、そう直感し、後方へ跳んだ。
凄まじい風が、全身を撫でた。
横殴りの牙剣が巻き起こした、暴風。
「……こいつを喰らって、兄貴は死んだ」
リオネールは着地し、笑った。
いや、笑顔にならなかった。
恐怖心に近いもので、表情筋が引きつってしまう。
「手に取るように、わかるッスよ。ガロム君……一撃で、兄貴を殺してくれたんスね」
「……そのせいで、何も聞き出せなかった」
鉄壁の防御の内側にあった、凶猛なるもの。
それが今、リオネールに対しても、露わになりつつある。
「あんたの兄貴は、本当に強かった。生かして口を割らせる、そんな余裕は……とても、持てなかった」
「俺たち兄弟、いっつも一緒にいたワケじゃあなくて。仕事は、だいたい別々……だけどお互い、誰の依頼でどういう仕事やってんのか、そーゆうのは把握してたッスから」
恐怖心、と似て非なるものが、リオネールの表情を歪ませてゆく。
牙を剥く、獣の形相。
「……兄貴の、最後の仕事についてもね。もちろん俺、知ってるッスよ」
恐怖心と似て非なる、それは快感だった。
闘争心が、刺激される。
人が、獣へと先祖返りをしてしまうほどに。
この快感を、兄も存分に味わった事であろう。
死の、間際に。
(良かった……良かったなぁ、兄貴。最後に、ガロム君と戦えて……強い奴と、ちゃんとした戦いが出来て……)
「兄貴が……誰に雇われて、アイリ・カナンを殺したのか」
牙を剥いた口が、勝手に動いてしまう。
主ルチア・バルファドールに対してすら、決して明かさずにいた秘密が、このままでは勝手に口から出て来てしまいかねない。
「……俺に勝てたら、教えてあげるッスよ。ガロム君……俺ともね。ちゃんとした戦い、して欲しいッス」




