第77話
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カルネード・ゴルディアック。
高々と隆起した触手の塊を台座として尊大に佇む、その絢爛豪華な人物は今、確かに、そう名乗った。
絢爛豪華なのは、装いだけである。
赤地に金色刺繍のローブ、いくつもの宝石で飾られた杖。指輪に首飾り。
それら豪勢なる装身具をまとう人体は、貧弱そのものであった。
痩せ衰え、青ざめている。
屍ではないか、と思わせる。
屍のような男が、しかし今、確かに名乗ったのだ。
帝国の誇りを受け継ぐ者、カルネード・ゴルディアックと。
無論、本物であるという保証はない。
以前ベレオヌス公の私邸で無様に失禁していたカルネード・ゴルディアック伯爵に、似ているようではある。違うようにも見える。あまりにも、様変わりを遂げているのだ。
だが、とゼノフェッド・ゲーベルは思う。
絢爛豪華な装身具の数々は、間違いなく、魔法の物品であろう。
ここへ来るまで自分らが殺処分してきた、ゴルディアック家の血縁者たちが所有していた品々と、同種のものだ。
全員、魔法の品を所持したまま、異形の怪物と化していた。
カルネード伯爵が今、彼らと同じ存在に成り果てている。
それは充分に考えられる事態であった。
「……バケモノに変わっちまったんならよォ、ぶち殺すしかあるめえよ」
牙を剥くように、ゼノフェッドは微笑んだ。
ゴルディアック家の大邸宅。
今は、まるで怪物の臓物の如き巨大な生命体となり、おぞましく脈打ちながら王都の一角を占めている。
ゴルディアック家そのものが、醜悪巨大な怪物と化した。
放置しておけば、王都の民に災いをもたらす。
殺処分しない理由など、どこにもなかった。
カルネード・ゴルディアック伯爵の逮捕・捕縛などと、生易しい事を言っていられる状況ではないのだ。
「唯一神って奴ぁよ、ホントにいるのかも知れねーなぁあ!」
大型の戦斧を、ゼノフェッドは左右に振るった。
大蛇のようなものが複数、叩き斬られて飛び散った。
牙の生えた、触手。
巨大生物の体内のようになった大邸宅内部のあちこちから、伸びて来る。襲いかかって来る。
ゼノフェッドの引き連れた兵士数名が、それらを防ぎ、かわし、切断していた。
王弟公爵ベレオヌス・ヴィスケーノの私兵部隊。
ヴィスガルド王国最強の、戦闘集団である。この程度、障害にすらならない。
全員で、ゴルディアック家という怪物を討滅するだけだ。
旧帝国系貴族最大の名家が、もはや対話不可能な異形の怪物と化してしまったのだ。
ゴルディアック家は滅びなければならない、という唯一神の意思であるに違いなかった。
ゼノフェッドは、そう思い定めた。
「神様がよ、皆殺しにしちまえって言ってんだからよ! しょーがねぇよなあああああああッ!」
吼えながら、駆け出す。
相手は、高々と隆起した触手の台座の上にいる。
跳躍で、届くか。
そう思った瞬間、足元が激しく揺れた。
跳躍も疾駆も、出来なくなった。
もはや床でも廊下でもない、巨大極まる肉質の足場の上で、ゼノフェッドはよろめいている。
その足場が、臓物の内壁の如くうねり、蠢き、そして盛り上がった。
巨大に隆起した臓物が、牙を剥き、ゼノフェッドを襲う。
よろめき倒れ、転がり、かわしながら体勢を立て直そうとするゼノフェッドを、追い抜き飛び越える格好で、兵士たちが前に出た。
そして、牙ある巨大臓物を一瞬で切り刻む。
その間。
カルネードが、触手の台座の上から、こちらに眼光と左手を向けていた。
ぼんやりと輝く眼光。指輪の巻き付いた、骨と皮だけの左手。
その左手から、目に見えぬ力が溢れ出しているのが、ゼノフェッドにはわかった。
溢れ出した力が、可視化を遂げた。
いくつもの太陽が生じた、ように見えた。
燃え盛る火球が複数、カルネードの周囲に発生し、浮かんでいる。
まるで小さな太陽のようなそれらが、一斉に発射され、降り注いで来る。
ゼノフェッドは、巨体を跳躍させた。
大型の戦斧を振り回しながら、兵士たちの前方に着地する。
気力を宿した戦斧の猛回転が、降り注ぐ火球をことごとく打ち払い粉砕する。
小さな太陽たちが片っ端から粉砕され、爆発しながら周囲に飛散し、肉質の壁や床を焼き払った。
生臭い灰が、熱風に舞う。
焼き払われた部分が、おぞましく盛り上がり再生してゆく。
舞い上がる灰に取り巻かれながら、ゼノフェッドは動けなくなった。
カルネードが、右手の杖を掲げている。
杖にいくつも埋め込まれた宝石が、淡く禍々しく発光する。
その光が、空間を歪めていた。
杖の周囲で、風景がグニャリと歪みながら渦巻いている。
空間の歪み、そのものが今、射出されようとしている。
ゼノフェッドは直感した。
これを、戦士の気力で防ぐ事は出来ない。
頭は悪いが勘は良い。父ドルフェッドが誉めてくれる、数少ない点の一つである。
「逃げろ……」
背後の兵士たちに向かって、ゼノフェッドが叫びかけた、その時には。
空間の歪みが、隕石の如き塊を成し、杖から発射されていた。
突然、ゼノフェッドの眼前に壁が生じた。そう見えた。
石の壁、いや石像だった。
それが、肉質の床をグチャリと踏み潰しながら着地し、ゼノフェッドたちを背後に庇っている。
力強い石造りの両手が、飛来したものを掴み止めていた。
空間の歪みの、塊。
それが、分厚い石の両掌によって押し潰され、消滅する。
『これが……なるほど。大魔導師ギルファラル・ゴルディアックの、遺した力』
石像が、声を発した。
ゼノフェッドを上回る、石の巨体。勇壮なる男の闘士の石像。
発せられる声は、しかし若い女のそれである。
『御本人様が相手なら……私なんかじゃ勝ち目ない、けどね』
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空間の歪みを射出する、杖。
連発は、しかし不可能であるようだった。
歪みの塊をひとつ撃ち出したら、次の射出には、恐らく魔力の充填が必要となる。
魔力は、触手の台座からカルネード・ゴルディアックの体内へと流し込まれる。
それが右手の杖に充填されている間、カルネードが無防備であるはずはなかった。
左手。痩せこけた中指に巻き付いた指輪が、目に見えぬ力を放出している。
それが、目に見える炎となって、燃え上がる。
小さな太陽のような、いくつもの火球が出現していた。
それらが、しかし、こちらではなく別のどこかへと降り注ぐ。
巨大な生命体と化したゴルディアック邸の、ここではない別のどこかへと。
屋根の失せた邸内の、ほぼ全域を見下ろす高みに、カルネードはいる。
高々と隆起した触手の台座の上から、邸内のどこにでも攻撃を加える事が出来る。
跳躍で届く高さではない、とガロム・ザグは見た。
自分一人の脚力による跳躍では、だ。
「ドルフェッド隊長か、それともバカ息子の方か……ともかく誰かが攻撃を喰らってる。戦っているのは、俺たちだけじゃないって事だ」
ジェキム・バートンが言った。
「……跳べ、ガロム。俺より、お前の方が跳躍力はある。俺を踏み台にしろ」
「…………頼みます」
躊躇をしている場合ではない。
助走のための距離を開き、ガロムは駆けた。
そして、跳んだ。
ジェキムが、槍を水平に構えている。
その長柄の上に一度、ガロムは降り立った。
ジェキムが歯を食いしばり、ガロムもろとも、水平の槍を一気に頭上まで持ち上げる。
中肉中背の外見に合わぬ、なかなかの剛力で、ガロムを上空ヘと放り上げる。
持ち上げられながらガロムは長柄を蹴りつけ、跳躍していた。
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「何だ、てめえは……」
広い背中をこちらへ向けている石像に、ゼノフェッドは言葉をぶつけた。
「そん中に、女が入ってやがんのか……? 助けてくれた事は感謝してやるがなぁ、女が戦場に出て来るんじゃあねぇえええぜ!」
『いいわね、有害な男らしさ。嫌いじゃないわよ』
胡散臭いほど耳に心地良い、女の声。
『バルファドール家の男どもには、ねぇ……それすら、無かったもの。ま、それはともかくお気遣いなく。私がね、このボルグロッケン君の中に入ってるわけじゃあないから』
言葉と共に、石像が右腕を上げる。
『貴方たち、私の役に立ってくれそうだから。助けてあげる』
ゼノフェッドの頭蓋に穴を穿てそうな、石の人差し指が、まっすぐカルネードに向けられる。
触手の台座の上で、カルネードは再び、小さな太陽のような火球をいくつも発生させていた。
それらが降り注いで来る、よりも早く。
雷鳴が、轟いた。
ボルグロッケンと名付けられた石像の人差し指から、電光が迸っていた。
地上から天空へ向かっての、落雷。
それが、小さな太陽を全て粉砕しつつ、カルネードを直撃する。
いや。
電光の直撃を受けているのは、カルネードの全身を球状に包み込む、光の防護膜である。
その中で、カルネードは無傷であった。
ボルグロッケンを操る女が、舌打ちをしている。
『結界……あの派手なローブの力ね。まったく、厄介な』
電光は、カルネードの防護結界をバチバチと圧迫し続けている。
あと一撃、喰らわせれば粉砕出来る。
ゼノフェッドは、そう見た。
「おい、魔法使いの女。てめえ、そん中に入ってるわけじゃねえんなら……踏んづけたって、別に構わねえよなあああ!」
ゼノフェッドは距離を開き、駆けた。
うねり蠢く肉質の床を、グッチャグッチャと踏み穿ちながらの助走。
隆起しかけた巨大臓物を踏み潰しながら、ゼノフェッドは跳んだ。
大型肉食獣の如く跳躍した巨体が、ボルグロッケンの頭を踏みつけ、蹴りつけ、さらに高々と跳ぶ。
『ちょっと……!』
文句が聞こえたような気がしたが聞かず、ゼノフェッドは巨体を高空へと至らせていた。
跳躍の、頂点。
空中で、戦斧を振りかぶる。
斬撃の及ぶ範囲内に、カルネードがいる。
その身を包む球状の防護結界は、地上からの電光に圧され、ひび割れていた。
一撃で、中身ごと打ち砕く。
だが。ゼノフェッドが戦斧を振るおうとした瞬間。
ひび割れた防護球の中で、カルネードの首飾りが光を発した。
翼あるものたちが突然、防護球の周囲に出現した。
数日前、ベレオヌス公の私邸に現れた、有翼の怪物たち。
あれらを、ひと回りほど巨大化させたような姿をしている。筋骨たくましい人型の肉体。その背中から広がる、力強い皮膜の翼。
そんな怪物が複数体、出現と同時に、カルネードの護衛を開始していた。
鉤爪を生やした豪腕で、ゼノフェッドを急襲する。
振りかぶった戦斧を、ゼノフェッドは応戦のために用いなければならなかった。
踏ん張る事の出来ない空中で、竜巻の如く巨体を捻る。
大型の戦斧が、暴風を伴いながら、有翼の怪物たちを全て叩き斬っていた。
ひび割れる防護球の中で、カルネードが杖を掲げている。
いくつもの宝石が光を発し、周囲の空間を歪めてゆく。
落下を始めたゼノフェッドに向かって、歪みの塊が発射される……と見えた、その時。
球状の防護結界は、砕け散った。
牙が、見えた。
どこからか跳躍して来た獣が、カルネードに食らい付いた。
ゼノフェッドには、そう見えた。
「てめえ…………!」
左右二本の、牙剣。
その一撃が、ひび割れていた防護球を完全に粉砕し、赤地に金色刺繍の豪奢なローブもろとも、カルネードの痩せ青ざめた肉体をちぎり潰していた。
歪みの塊を射出し損ねた杖が、捻れ歪んで砕け散った。
空中でゼノフェッドは、ガロム・ザグと一瞬だけ睨み合う。
そのまま両者、別方向へと落下して行った。




