第7話
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グラーク家は、ヴィスガルド王国最西端の地・ドルムト地方に始まり、ヴェルジア、クラム、レグナー、バスベルド、ログラム、ナザーン、計7つの地方を代々、支配下に置いてきた。
最初の頃は、やはり戦争を起こしていたようだ。
軍事力で他の領主を打ち倒して所領を奪い、それをヴィスガルド王家に事後承認させる。
それが許された時代には、そうしていた。
やがて、それが許されなくなった。
戦で領土拡張をせんとすれば、先のボーゼル・ゴルマー侯爵の如く、叛乱として鎮圧されてしまう。
それだけの力を、ヴィスガルド王家は、王国は、持つに至ったのだ。
今、新たに領土獲得を狙うのであれば、複雑な政略・権謀術数を長い年月かけて駆使しなければならない。
この度の縁談も、その一環であろう、とシェルミーネ・グラークは思っている。
愚かな悪役令嬢のせいでグラーク家は、ドルムト以外の全ての所領を失った。
ヴェルジア、クラム、レグナー、バスベルド、ログラム、ナザーン各地方には、王国によって新たに領主が配属された。
ライアット家の当主、メレス・ライアット侯爵も、その1人である。
ドルムトの東側に隣接するヴェルジア地方を、グラーク家に代わって統治する事となった人物だ。
年齢は22歳。若き当主である。
19歳のシェルミーネとは、年齢的にも身分的にも釣り合わぬ事はない。
そんな人物が、グラーク家に縁談を持ちかけてきた理由は何か。
弱り果てた今のグラーク家であれば容易に支配出来る、ドルムト地方を己がものに出来る、と見たのであろう。
グラーク家としても、夫婦生活においてシェルミーネの方が優位に立てば、労せずしてヴェルジア地方を実質的領有する事が出来る。
貴族の結婚とは、そうしたものだ。
花嫁選びの祭典も、グラーク家にとっては、シェルミーネという手駒を用いて王家との繋がりを獲得するための政略でしかなかった。
その政略は大失敗に終わり、グラーク家は6地方もの領土を失う事となった。
うち1つを取り戻す好機、とも言える縁談ではあるのだが。
「断る、と言うのだな。シェルミーネよ」
ドルムト地方領主オズワード・グラーク侯爵の口調から、娘の身勝手を咎めるような意図は感じられない。ただ確認をしているだけ、といった様子だ。
「保留が許されるならば、そうしていただきたいですわ。お父様」
シェルミーネは言った。
「ここドルムトに……私、生きて戻る事が出来るかどうか、まだわかりませんもの」
「王都へ行く、と言うのか。領主としても父としても、私はお前にそれを許可した覚えはないのだがな」
「……御命令とあれば私、このままメレス・ライアット侯爵と結婚いたしますわ」
ジルバレスト城、謁見の間。
父オズワード侯の眼前で、シェルミーネは恭しく跪いた。
「その後で私、いずれは王都に参りますわよ。まだ見ぬ愛しの君・メレス侯爵の御もとを抜け出して……可能であれば、メレス侯を味方に引き込んで」
「……行って来い、シェルミーネ」
オズワードが、小さく溜め息をついた。
「面倒事が、お前1人の死で済むならば僥倖というものよ」
「はい。行って参りますわ、お父様」
「……許してしまうのか、親父殿」
領主の傍らに立つ大男が、ようやく口を開いた。
「おいシェルミーネ。貴様、ガロムを連れて行く気でいるだろう」
「もちろん。一緒に来ていただきますわ。ガロムさんには」
後方で跪く若き兵士に、シェルミーネはちらりと視線を向けた。
「か弱い令嬢の1人旅なんて、そんな危ないお話ありませんもの」
「どこにいるのだ、か弱い令嬢など」
グラーク家次男、アルゴ・グラーク。21歳。
岩の如く隆々たる筋肉の形が、衣服の上からでも見て取れる、若き巨漢である。
「俺の目の前にはな、王国一したたかで図太い悪役令嬢しかおらんぞ。そやつがな、俺の大切な部下を勝手に連れて行こうとしておる。許せるものか」
「ガロムさんはね、アルゴ兄様の部下ではなく、グラーク家の代表的人材ですのよ」
シェルミーネは言った。
「グラーク家の代表者たる私が、片腕として頼るにふさわしき戦士。人使いの荒いアルゴ兄様の下になど、置いておけませんわね」
「何をほざく! むしろ貴様の方が」
「やめんか、愚か者ども」
オズワードが、息子と娘の兄妹喧嘩を止めた。
「……ガロムよ、すまぬがシェルミーネの護衛を頼む。ただ無理をする事はない。この馬鹿娘があまりにも危険を顧みぬようであれば、見捨てて構わぬ」
「そうだぞガロムよ。とっとと見捨てて、俺の指揮下に戻って来い」
アルゴが言った。
「おぬしには俺と共に、ドルムトの民を守ってもらわねばならぬ」
「……この身に余る御言葉を、侯爵閣下より賜りました。アルゴ様より、賜りました。ありがたき幸せにございます」
ガロムが、平伏をしている。
「……ガロム・ザグ。この命に代えても、シェルミーネ様をお守りいたします」
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「王都へ……行かれるのだな、悪役令嬢殿」
騎士ブレック・ディランは、寝台に腰を下ろしていた。
寝てなどいられない様子であるが、左の二の腕と右の太股には包帯が巻かれている。当面、騎士らしく戦う事など出来ないだろう。
「……王太子殿下への、御無礼を働きに行くのか」
「そうなる、かも知れませんわね」
寝台の傍らの椅子に、シェルミーネは腰掛けた。
もう1つ椅子があって、細面の青年が座っている。
グラーク家長兄、ネリオ・グラーク。
弟アルゴに、親しげに肩を叩かれただけで、折れてしまいそうな若君である。
「父上は許して下さったようだね、シェルミーネ」
「お許しいただけたのではなく、お匙を投げられたのですわ」
ジルバレスト城、負傷者ブレック・ディランのために用意された一室。
扉の外には、ガロム・ザグが控えている。
「ネリオ兄様は……ずっと、ブレック殿を監視なさってましたの?」
「まあ監視だね。彼は、放っておくと自ら命を絶ってしまいかねない」
ネリオは言った。
「だから私がずっと話し相手をしていた。鬱陶しがられても構わず、ね」
「……本当に、鬱陶しかったぞ。グラーク家の嫡子殿」
ブレックは、苦笑したのであろうか。
「もう死にはせん、だから少し黙っていてもらおうか」
「では続いて、私の話を聞いていただきますわね」
シェルミーネは、微笑んで見せた。
「まずはお礼を……ドルムトまで、アイリさんの護衛をして下さった事。感謝いたしますわ」
「よせ。私は、妃殿下を……守れては、おらぬ」
そう、言葉にする事が出来る。
ブレックは、王太子妃アイリ・カナン・ヴィスケーノの死から、完全にではないにせよ立ち直ったという事だ。
「私ほど……無様な騎士は、いない……」
「しっかりと傷を治した後で、名誉挽回をなさいませ」
俯くブレックの顔を、シェルミーネは逃さず見据えた。
「……貴方や私が何をしたところで、アイリさんはもう帰って来てはくれませんわ。それを踏まえた上で私、今から自己満足に過ぎない事を実行いたします」
「止めねば、ならんのだろうな。本来ならば私は」
ブレックが呻く。
「グラーク家の悪役令嬢が……動乱を、引き起こさんとしている」
「アラム・ヴィスケーノ王子を私は今のところ、許す事が出来ずにおりますわ」
本人に、問いたださなければならない。
この王国そのものを引き換えにしてでも守るべきものを、見殺しにしなければならないほどの、一体何があったのかを。
「花嫁選びの、祭典……」
ブレックが、微かに笑っている。
「……実に、愉しい催しであったな。特にシェルミーネ・グラーク、貴女の悪役令嬢ぶりは……我々を、本気で怒らせてくれた。平民娘アイリ・カナンを、何が何でも支えて勝たせねばという気にさせてくれた。貴女が凶行で自滅した時には、祭り騒ぎが起こったものだ」
「お愉しみいただけて、何よりですわ」
「我々に大いなる娯楽を提供してくれた事、感謝するぞ悪役令嬢」
言葉と共にブレックが、何かを手渡してきた。
書簡の入った、筒である。
「……王都に着いたら、近衛騎士団所属のレオゲルド・ディランという人物を訪ねると良い。私の父だ。この書簡を読ませれば、色々と便宜を図ってくれると思う」
「嫌われ者の、悪役令嬢のために……」
シェルミーネは、とりあえず書簡を受け取った。
「……近衛騎士団の方が、そこまでして下さると?」
「父は言っていた。リアンナ・ラウディースの死……逆上した悪役令嬢に殺された、にしては不審な点があり過ぎるとな」
「そういう事だよ、シェルミーネ」
ネリオが言った。
「しっかりと見ている人はいる。お前の嘘に騙される人間なんて、まあ、そんなにはいないな」
「…………」
今度は、シェルミーネが俯くしかなかった。
「……1つ、頼みがある。グラーク家の御兄妹よ」
ブレックが、口調を改めた。
「アイリ・カナン妃殿下の……仇を、討ち果たしてくれた勇者に、どうか目通りを願いたい」
「入りたまえ、ガロム君」
ネリオが命ずる。
ガロムが、部屋に入って来て跪いた。
シェルミーネが、紹介をした。
「ガロム・ザグ。私どもグラーク家が、王国全土に誇る戦士ですわ」
「ブレック・ディランという。どうか、どうか、お顔を上げて欲しいガロム殿」
負傷した身で寝台を下り、跪こうとするブレックを、ネリオが止めた。
止められつつ、ブレックは言う。
「よくぞ……よくぞ、あの恐るべき殺し屋を仕留めて下さった。私では出来なかった事を、よくぞ」
「生かして捕える事、叶いませんでした……」
「捕え、拷問にでもかけたところで、あの男は何も吐かぬ。それよりガロム殿……事が済んだ暁には、私と共に来て欲しいのだ。騎士団に推薦したい。貴公ほどの勇士、近衛騎士団にもそうはおらぬ。だから、どうか」
「……もてもて、ですわね。ガロムさん」
シェルミーネの言葉に、ガロムはただ困惑していた。