第69話
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「双方、馬鹿げた真似はそこまでにしておけ」
突然の、厳かな声。
それが無かったら私は、我が子を斬り殺していたかも知れない。
私の息子、の形をした奇怪な肉塊を、この剣で叩き斬っていたかも知れない。
それは傍から見れば、民に愛される王太子アラム・エアリス・ヴィスケーノが、赤ん坊である愛息フェルナーを斬殺した光景、にしかならないのだ。
「……これは、宰相閣下」
フェルナーが、流暢な言葉を発している。
パリパリと電光をまといながら宙に浮かぶ、赤ん坊。
そんな怪物に、今はフェルナー・カナン王子の役割が与えられているのだ。
「ありがたき幸せ……ふふふ、父上に殺されてしまうところでございましたぞ」
「茶番劇である事は、もとより承知の上である」
王国宰相ログレム・ゴルディアックが、足取り強く、謁見の間へと歩み入って来た。
足取り以上に力強い眼光が、室内の有り様にギロリと向けられる。
玉座の上で意味不明な呟きを垂れ流す、国王エリオール・ヴィスケーノ。
その息子アラムと孫フェルナーが、長剣と電光で殺し合いをせんとしている。
そんな様を睨み、ログレム宰相は言った。
「……この茶番劇で、我らは民を騙し通さねばならぬ。わかっているのであろうな?」
「無論」
赤ん坊の言葉が、視線が、私を迂回した。
「茶番劇ゆえ……役者の代わりは、いくらでもおります」
私の背後で床に這いつくばり、惨めな様を晒している、アイリ・カナン王太子妃。
その美しい肉体は、ほぼ再生を終えている。
華美なドレスは、しかし電光に灼かれたままで、今の彼女は、白い裸身に黒焦げの襤褸をまとっている状態だ。
私は剣を収め、マントを外した。
そして、妻……の役割を負わされた元令嬢の身体に、そっと被せた。
「君は……今日は、もう何もするな。ゆっくり休んでいるといい」
「貴方……」
王太子妃が、私にしがみついて来た。
「……身代わり…………って、どういう事? 貴方……アラム様では、ないと言うの? ねえ…………」
再生を遂げた美貌が、おぞましく歪んでゆく。
「…………私を……騙して、いたのね……この無礼者……!」
「……そうだな。君に言わせれば、そのような事にしかならない」
私は、そう言うしかなかった。
王太子妃の歪んだ顔面が、さらにねじ曲がりながら牙を剥いた。
大きく裂けた口が、表記不可能な絶叫を吐き出しながら、私の首筋を襲う。
噛みつかれる。その程度は、させてやるべきか。
私がそう思った瞬間。
王太子妃の顔面は、破裂した。
様々なものが、私を避けながら飛散する。
目に見えぬ力が、私を防護しつつ、王太子妃の顔面を粉砕したのだ。
私は、浮遊する赤ん坊を睨んだ。
「心配無用、死にはせぬ。すでに死んでいる。また死んでしまったとしても構いはせぬ」
私の息子、の役割を有する肉の道具が、冷ややかに告げる。
「妄執の部分のみ、色濃く生き残ってしまった……死者が、蘇る。これもまた、その形のひとつなのであろうかな」
「……代わりは、いくらでもいる。確かに、そうなのだろう」
私は言った。
「ならば、私にこだわる必要もあるまい……ログレム宰相よ。私は今、貴方がたに対して決定的な不信感を抱くに至った。もはや、そちらの思い通りには動けぬ。早急に始末し、代えてしまってはどうか」
「そなたの代わりは、おらぬ」
ログレムが、まっすぐに私の目を見据えてきた。
「……確かに、我らを許せぬであろう。すまぬと思うが、どうか耐えてくれ。アラム殿下が必ずや御帰還あそばされる、その時まで」
「殿下が……必ず、お戻りになると?」
「信じよ。私を、ではなく」
アラム・エアリス・ヴィスケーノの、天運を信じよ。
この宰相が根拠もなく、藁にもすがる思いで、そんな事を言っているのか。
それとも。南方で行方不明となったアラム王子に関する、何らかの情報を実は掴んでいるのか。
私には、わからなかった。
ひとつ、確実に言える事はある。
このログレム・ゴルディアックという人物は、アラム王子に対し、信仰心に等しいものを抱いているのだ。
アラム・エアリス・ヴィスケーノに関する話となると、冷静な為政者でいられなくなってしまう危うさが今、私にも確かに感じられる。
(それは……私も、同じかな)
心の中で、私は語りかけた。
(……アラム殿下、貴方は死なない。何故だか、そう思えてしまうんだ)
「貴公の代わりはおらぬ。それに関しては、私も同意見だ」
帯電する赤ん坊が、私を誉めてくれた。
「貴公はな、少なくとも……そこな出来損ないよりは、遥かに物の役に立つ逸材である」
首から上の原形を失った王太子妃が、床の上で痙攣をしながら、懸命に起き上がろうとしている。
死に際の蝉の動き、に似ていた。
潰れた頭蓋骨が、少しずつ盛り上がり、形を整えつつあった。
おぞましい、再生の動き。
観察しつつ、ログレム宰相が言う。
「……ジュラードよ。お前が我らゴルディアック家に仕えていたのは、このようなものを探し求めての事か?」
「もう少し程度の高いものが手に入る、と期待しておりましたが……まあ、ここまででございましょうな」
「我が父ゼビエルを、このようなものに作り変えたのも貴様であろう」
「何としても大老をお救い申し上げたい、その一心でございました。どうか、お許しを」
「あの時に死なせて差し上げれば……あそこまでの老醜を晒す事も、なかったものを」
陰鬱そのものの声を発しながらログレムは、玉座上にある、小太りの肉塊に目をやった。
国王エリオール、の役割を負わされた何か。
「……これも貴様の手によるものか、ジュラードよ」
「いえ。これは恐らく……黒薔薇党の、仕掛けでありましょう」
帝国時代最後の権力者ヴェノーラ・ゲントリウスを信仰する団体……としてのみ、私はその名を知っている。
ぶつぶつと意味を成さぬ言葉を呟き続ける肉塊を、ログレムは睨み観察した。
「国王陛下の御身を密やかに確保し、このようなものを王宮内に残す……信じ難い所業ではある。それが出来るほどの者が、黒薔薇党にいると言うのか」
「レオゲルド・ディラン伯爵より、報告が上がっているのでは?」
「……ふん。貴様の方が、先に掴んでいるのであろうが」
ログレム宰相が何を言っているのか、私にはもはや、どうでも良かった。
王太子妃の頭蓋骨に、肉が、皮膚が、這いずるように貼り付いてゆく。
殺してやるべきではないのか、と私は半ば本気で思った。
「黒薔薇党は現在、王都を離れ、アドラン地方の帝国陵墓に立てこもっているらしい。国王陛下……を名乗る何者かを擁立し、内乱を企てていると言う。放置は、しておけぬ」
「まあ確かに……こちらの方が国王陛下であって、困る人間はおりませぬからな」
玉座上の呟く肉塊を見やって、赤ん坊がニヤリと笑う。
ログレムは、なおも語る。
「レオゲルド伯爵に、私は宰相権限で密命を下した。帝国陵墓に巣食う賊徒を討伐せよ、と」
「帝国の偉人を讃える集会。そんなものを定期的に開いている、だけでは討伐の理由にはなりません……黒薔薇党、ようやく不穏な動きを見せてくれましたな」
「下級とは言え旧帝国貴族の集団、それがヴェノーラ・ゲントリウスの名前など掲げて不穏な行動をしている。機を見て皆殺しにせねば、とは思っていたのだ」
ログレムは、目を閉じた。
「……旧帝国貴族は、一掃する。ジュラード、そちらの手は打ってあるのだろうな」
「御子息を、犠牲にする事となりますが……」
「構わぬ。あの愚か者に、その程度の役には立ってもらう」
「……カルネード・ゴルディアックによる税収横領、証拠は完全に固まっております。正式に訴訟が起こり、そしてゼビエル大老はカルネード殿を庇うでしょう。ログレム宰相閣下におかれましては、お父君と御子息を徹底的に糾弾なさいますように。ゴルディアック家は滅び、貴方様お一人が、清廉潔白なる為政者として生き残るのです」
「私一人が、か」
ログレム宰相が、苦笑した。
「そなたにとって、ゴルディアック家は用済みなのであろう? ジュラードよ。だから滅ぼす……私一人を助けてくれる、理由は何だ。私を人物として評価してくれている、わけではあるまいが」
「貴殿に生き延びてもらわねばならぬ、私なりの理由がある。それだけは言っておこう、ログレム・ゴルディアックよ」
赤ん坊は、言った。
「旧帝国系貴族を憎み蔑む、貴殿の気持ちはよくわかる。黒薔薇党もゴルディアック家も、この度の騒乱で滅ぶ……だが宰相閣下よ、心しておくが良い。旧帝国貴族にはな、ゴルディアック家など問題にならぬほど手強い者たちがいるのだぞ」
「ディラン家……それに、ライアット家か」
「私の見たところ、あのメレス・ライアットは父シグルムに劣らぬ英傑の器だ。果たして、宰相の思い通りに動いてくれるかな」
メレス・ライアット侯爵。現ヴェルジア地方領主。
旧帝国貴族随一の英傑と名高き名臣シグルム・ライアットの息子。
アラム・エアリス・ヴィスケーノ王子の、親友。
そして私にも、親友として接してくれた男である。
その名前すら、しかし今の私には聞こえていなかった。
「……ア……ラム……さまぁ……」
王太子妃が、再生した眼球で、私を見つめている。
まだ再生しきっていない顔面で、たどたどしく微笑んでいる。
「……そこに、いらしたのね……アラム様……」
「父上よ、貴方にも言っておこう」
赤ん坊が、私の耳元で囁いた。
「その容姿を、よりアラム殿下へと近付けるために……私は、貴方の肉体に手を加えた。ギルファラル・ゴルディアックの遺した秘術、その初歩的なものを試させてもらった」
世迷い言が、私の右耳から左耳へと素通りしてゆく。
「とは言え、貴方は生きた肉体だ。そのリアンナ・ラウディースほどに馬鹿げた再生能力はない……にしても、いくらか近い事は出来るだろう。戦い方次第では、貴方は不死身の戦士と成れる。そこそこの期待は、しておこうか」
聞かず私は、妻の身体を抱き締めた。
「アラム……様ぁ……」
私の腕の中で、妻は本当に、幸せそうにしている。
アラム・ヴィスケーノ王子と、結婚する。
そのためだけに執念を燃やし、命を失い、人ならざるものと化してなお、妄執の残り火を失わずにいる……元、令嬢。
哀れみ、憐憫。
それ以外の感情を抱く事が、やはり私には出来なかった。




