第63話
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このような攻撃が来たら、こう返す。
そんな何通りもの型稽古を、幼い頃から愚直に繰り返してきた上で、実戦を重ねてゆく。
そうする事で磨き上げてきた、まさしく近衛騎士の、王国正規軍の、剣技であった。
ただ長剣を手にして佇むだけの姿に、体幹の強靱さが漲っている。
そんなレオゲルド・ディラン伯爵に、四本腕の怪物が二体、左右斜め後方から襲いかかっていた。
剣、槍、斧、槌矛、様々な得物を叩き込んでゆく。
しっかりと根を張った巨木に、小石を投げ付けるようなものだ。
シェルミーネ・グラークは、そう思った。
小石が、幹に当たって跳ね返るかの如く。
怪物たちの振るう剣も槍も斧も槌矛も、ことごとく弾き返されていた。レオゲルドの、振り向きざまの斬撃によってだ。
火花が、散った。
続いて、体液の飛沫が散った。
四本腕の怪物は二体とも、斜めに叩き斬られ、滑り落ちるように倒れながら、腐って溶けて消滅した。
消えゆく屍を蹴散らして一閃した長剣が、気の力を帯びている。
レオゲルドの、剣士としての気合い。
それを漲らせた刃が、炎を切り裂いていた。
マグレル・ゴルディアック伯爵の、右手。中指に巻き付いた指輪から発生した、火炎の渦であった。
「貴様……!」
マグレルが、後退りをする。
炎を切り裂き、火の粉を散らせた長剣を、レオゲルドはそちらに向けた。
防御が、即座に攻撃となり、すぐにまた一分の隙もない守りの構えに移行する。
「……お見事ですわ、レオゲルド卿」
毒々しい触手を伸ばして来る怪物に、斬撃の閃光を打ち込みながら、シェルミーネは感嘆するしかなかった。
魔力の光を帯びた、細身の長剣。
その一閃が、おぞましい触手の塊を切り刻み、消滅させてゆく。
自分の場合、どうしても魔力に頼りきりの剣技になってしまうのは、まあ仕方のない事ではあった。
剣そのものの技量力量において、自分はレオゲルド伯爵には遠く及ばない。
(さすが……ガロムさんと引き分けるような方、ですものね)
見回してみる。
レオゲルド・ディラン伯爵の邸宅、庭園である。
出現した怪物たちに、ディラン家の兵士たちが挑みかかっていた。
乱戦、に見えて整然と部隊が組まれている。怪物一体を、二名以上で殺しにかかる、その形が決して崩れる事はない。
グラーク家の軍に劣らぬ、精兵たちであった。
レオゲルド伯爵によって、完璧に調練・統率されている。
「ご覧の通り……もう心配ありませんわよ、ミリエラさん」
背後で身を寄せ合う一組の父子に、シェルミーネは言葉をかけた。
ディラン家の客人、クルバート・コルベム伯爵と、その息女ミリエラ。
そこへマグレル・ゴルディアックが、殺意そのものの眼光を向ける。
「クルバート・コルベム……帝国に仇なす者、許せぬ、許してはおかぬぞ貴様ぁああ!」
絶叫に合わせ、マグレルの歪み引きつった顔面が青ざめてゆく。血色が、失われてゆく。
生命力を、消費している。シェルミーネは、そう思った。
何のためにか。マグレルの生命力は今、何に使われているのか。
彼の右手。中指で眼球が見開かれた、かの如き形状の指輪。
そこから、轟音を立てて炎が迸り、渦を巻く。雷鳴を立てて、電光が走り出す。
マグレル伯爵の生命力が、炎に、雷に、変換されている。指輪によって。
そう見えた。
コルベム父娘に向かって暴走しかけた炎が、電光が、しかし次の瞬間にはレオゲルドに斬り砕かれていた。
「ジュラードだな」
白色の弧を宙に残す斬撃で、火の粉と電光の飛沫を蹴散らしながら、レオゲルドは言う。
「あの男にとって……マグレル伯爵よ、貴公らゴルディアック家は忠誠の対象ではなく、何かに利用するものでしかない。私のような部外者でさえ、気付いている事だぞ」
「黙れ! 帝国貴族の裏切り者が!」
怒り狂いながら、マグレル伯爵は急激に痩せ衰えてゆく。
生命力が、指輪に奪われてゆく。
否、とシェルミーネは気付いた。
「魔力……」
魔法使いとしての素養など欠片もないマグレル・ゴルディアック伯爵を、即席の魔法使いに作り変えた者がいる。
「その指輪を、使わせるために……」
シェルミーネは呻いた。
「生命力を根こそぎ奪い取り、代わりに魔力を注入する……操り人形、ですわね。ただ魔法の道具を使わせるため、だけの……」
「ディラン家、コルベム家、ライアット家……帝国貴族でありながら帝国の威光に背き、雑兵の家系ヴィスガルド王家に媚びへつらう蛆虫ども!」
マグレルの絶叫に合わせ、眼球のような指輪が炎を発する。雷を発する。
「もはや存在を認可する事は出来ぬ、死ね! 滅びよ! 帝国貴族は我らゴルディアック家のみで良い!」
炎が、電光が、発生と同時に力を失い、消え失せた。
「……我ら……ゴルディアック家こそが……」
マグレル伯爵も、力を失っていた。
痩せ衰えた顔面がひび割れ、崩壊し、血走った眼球がこぼれ落ちて地面にぶつかり砕け散る。
「…………て……いこく……の……栄光…………」
マグレル・ゴルディアックの肉体は、完全に崩れ落ちていた。
粉末状の屍が、さらさらと舞う。
その中に、眼球のような指輪が転がっている。
戦闘は、終結していた。
怪物を一体残らず討滅した兵士たちが、それでも戦闘態勢を解く事なく、もはや動く敵がいない事を確認している。
「……なるほど、このような事か」
レオゲルドが言った。
「シェルミーネ嬢。貴女がレグナー地方において、領主デニール・オルトロン侯爵を討ち果たした際も……かくの如き有り様で、あったのか」
「……デニール侯は、人の形も失っておられましたわ」
あの時と同じ、であるとしたら。
これは、またしてもルチア・バルファドールの仕業か。
いや。レオゲルド伯爵は、ジュラードの名を口にした。
デニール・オルトロンは、ルチアの手の者によって、怨念の塊の一部を植え付けられていた。
マグレル・ゴルディアックは、魔力を植え付けられた。恐らくは、あのジュラードによって。
王都の裏通りでクルバート伯爵を助けた際に出会った、恐るべき魔法使いの事を、シェルミーネは思い返していた。
あの男は、怨念の塊などという道具を用いる事なく、己の魔力のみで、単なる人間を操り人形に変えてしまったのだ。
「魔法使いとしては……ルチアよりも、上」
シェルミーネは呟き、ミリエラは声を震わせる。
「こんな……こんなの、あんまりです……ひど過ぎます……」
青ざめ座り込んだ父を、小さな身体で背後に庇ったまま、ミリエラは涙を流していた。
「ただ命を奪う、だけじゃなくて……こんな……人を、道具みたいに……」
「……道具、なのでしょうね」
シェルミーネは呟き、眼球の指輪を拾い上げた。
「魔法使いとして、力を付けてゆくと……どうしても、人間という存在からは遠ざかってしまう。魔法を使えない人間が、道具や玩具にしか見えなくなってしまうのでしょうね」
「……貴女は、どうなのだ。悪役令嬢殿」
クルバートが呻いた。
「それほどの力を、お持ちなのだ。我らの如く、何も出来ぬ弱者など……玩具や道具どころか、塵芥にしか見えていないのではないのか?」
「お父様! やめて下さい……」
「……御息女のおっしゃる通りですわ、クルバート卿。要らぬ事を気にかけるのは、おやめなさい」
シェルミーネは言った。
「貴方が今、第一になさるべきは……お父上として、ミリエラさんを守る事、育てる事、でしてよ? それは、例えば私のような小娘にはとても出来ない事」
そんな話をしている場合では、なくなった。
襲撃が、来る。気配が、シェルミーネにぶつかって来る。
自分の魔力では、この場にいる全員を守る事は出来ない。
レオゲルド伯爵と、彼の兵士たちには、自力で身を守ってもらうしかない。
判断しつつシェルミーネは魔力を振り絞り、全身から放ち、周囲に展開した。
半球形の、光の防壁が出現し、シェルミーネとミリエラ、クルバートを包み込む。
出来うる限りの守りを施しながら、シェルミーネは叫んだ。
「敵襲ですわ、レオゲルド卿! 備えを……いえ、お逃げになって!」
爆発が、降って来た。
魔力の防壁の外側で、爆炎と爆風が渦巻いている。
それを感じながらシェルミーネは、コルベム家の父娘をまとめて細腕で抱き寄せ、庇った。
防壁が、砕け散った。
魔力の破片がキラキラと舞い、さらに細かく砕けて消え失せる。
馬の尾の形に束ねられた金髪が、爆風に煽られてシェルミーネの顔面を撫でる。
クルバートもミリエラも無事である事を確認しながら、シェルミーネは見渡した。
邸宅の一部が崩壊し、瓦礫となって庭園にぶちまけられている。
瓦礫と混ざり合うようにして、兵士たちは倒れていた。
レオゲルド伯爵の姿は見えない。
爆炎によって火葬され、屍も残っていないのか。
死と破壊の光景、であった。
その真っただ中に、闇そのもの、と言うべき姿がフワリと降り立つ。
「……お見事である。シェルミーネ・グラーク嬢」
フードの中では陰影が渦を巻き、不吉な眼光を灯しながら、言葉を発している。
「この五百年……私はゴルディアック家の全てを調べ上げた。王国全土、あやつらの影響下にある領地、あやつらと関わりある地方貴族……全てを探り尽くした。そのためにのみ、私は! 大魔導師ギルファラル・ゴルディアックの威光にすがるだけの、愚かしさ極まる一族に仕え続けたのだ」
暗黒色のローブの内側に、果たして肉体はあるのか。
執念そのものが陰影となって、人の形にまとまっているのではないか、とシェルミーネは思った。
「結果、得られたものは……まるで無かった、わけではない。私が求めていたものの、半分にも満たぬがな。まあ良い。ゴルディアック家は、もう良いのだ。ここで使い潰し、終わりにする」
ジュラードの禍々しい眼光が、陰影の中からシェルミーネに向けられてくる。
「……次は貴女だ、悪役令嬢。私の役に立ってもらうぞ」




