第61話
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二十年ほど前、このゼビエル・ゴルディアックという老人は病で死にかけた。
その当時で、齢すでに七十代後半である。
病に罹って助かる、などとは誰も思わなかっただろう。
助かって欲しくない、とすら思われていただろう。
かく言う私も、そう思った一人である。
大恩があるのは事実だ。
この老人には、本当に世話になった。
七十年も生きれば充分であろう、と当時の私は思ったものだ。
葬儀では、せいぜい真心を込めて泣く。
そのつもりでいた。
ゼビエル老は、しかし快癒した。
それから、およそ二十年間。今に至るまで、ゼビエル・ゴルディアックは死に損ない続けている。
「皆々方。我らゴルディアック家は、その伝統と家格にふさわしき力を、ついに獲得したのです。否、すでに持っていた事を今まで忘れていたのです」
ゴルディアック家の大邸宅。最奥部の区画、であろう。
広く陰鬱な空間に、我らゴルディアック家の主だった面々は集められていた。
その中に、私もいる。
全員に向かって今、ゼビエル老は語りかけていた。
「偉大なるギルファラル・ゴルディアックが、我らのために……ご覧あれ、力を遺してくれたのです。さあ」
異形の怪物、としか表現し得ぬものたちが、ゼビエル老の後方で牙を剥いている。角や鉤爪を振り立て、触手を暴れさせている。四本あるいは六本の腕で、様々な得物を振り立てている。
帝国時代より在り続けるゴルディアック邸は、王宮よりも歴史が古い。
雑兵の家系でしかないヴィスガルド王家とは、我らゴルディアック家は、様々な意味において格が違うのだ。
この宏壮なる大邸宅は、帝国の時代より続く歴史そのものを内包している。
私が知らぬものなど、いくら隠されてあっても不思議はない。
だが、よもや。
このようなものたちが、最奥部に秘蔵されていたとは。
「大魔導師ギルファラルが造り上げし、異形にして最強の軍勢……これらを率いて事をなす者を今、皆々方より選び出さなければなりません」
「ひ……率いる、ですと……」
集まった者たちが、異形の軍勢に怯えながら、口々に問いかける。
「そ、そのような化け物どもを……確かに、使い捨てるに適した者たちでは、あるようですが」
「……そやつら、我らの言葉を解するのでございますか。ゼビエル大老」
「我らが命ずれば……卑しき雑兵の子孫ヴィスガルド王家を、皆殺しにしてくれるのでありましょうか」
「帝国の威光を知らぬ、愚かしき民もろとも……」
あのログレム・ゴルディアックと、それに与する者どもを、この世から消し去ってくれるのか。
そう、私は叫んでしまうところであった。
この国の宰相であり、ゴルディアック家の当主である、あの男を、私は許していない。
私の父は、ログレムの兄であった。
兄でありながら、当主の座も宰相の地位も、ログレムに横取りされてしまった愚か者である。
そのせいで私まで、こうして不遇に甘んじる事となってしまった。
愚か者の父は無論、許せない。
だが最も許せないのは、やはりログレムである。
あの男は、今ここにはいない。
当主でありながら、こうしてゴルディアック家の中枢から外された男。
哀れではあるが、やはり許してはおけない。
そして。
哀れな外され者の愚かな息子が今、ゼビエル大老の隣で、我ら全員に対し、高圧的に振る舞っている。
「どうした、どうした。誰も名乗りを上げぬか、臆病者ども! 栄光あるゴルディアック家の一族が、恥を知れ!」
カルネード・ゴルディアック。
私の従兄弟である。
そして、ゴルディアック家において最も愚かな人間。
馬鹿な子ほど可愛いと言うが、ゼビエル大老は何人もいる孫たちの中で、この愚か者を最も寵愛した。
私があまり良い扱いを受けていないのは、こやつよりも遥かに有能であるから、に他ならない。
それを、示さねばならなかった。
ゼビエル老は、もはや長くはない。
その後、ゴルディアック家を取りまとめ率いるのは、この私だ。
それを、この場にいる全員に認めさせねばならない。
私の力を、証明せねばならない。
「マグレル・ゴルディアック伯爵」
何者かが、私の名を呼んだ。
ゼビエル老ではない。愚か者のカルネード、でもない。
もう一人、ゼビエルの傍らに控える者。
暗黒色のローブに身を包んだ、恐らくは男。
フードの内側で陰影が渦巻き、その中で両眼だけが光を発している。
禍々しい眼光が、私に向けられていた。
「私は今、貴方の気概を感じ取った。帝国の栄光を示さんという、勇壮なる心の叫び……私には、確かに聞こえた」
ジュラード。
その名前、そして強大なる魔法使いである事。
それら以外の一切が知られていない男である。
ゼビエル大老の懐刀として、様々に暗躍をしている、という。
ゴルディアックの血族ではない、らしい。
その実、ゼビエル・ゴルディアックの認知されていない息子である、とも言われている。
強大な魔力は、大魔導師ギルファラルの才を五百年ぶりに受け継いでいるが故である、とも。
「あちらを」
ジュラードは、黒いローブの袖から、枯れ枝のような手を露わにした。
そして、指し示す。
この陰鬱なる大広間の、別の一角。
展示場、と言えるだろうか。
様々な物品が、厳かなほどに整然と並べられていた。
淡く光を発する、指輪や首飾りなどの装身具。
揺らめく何かを閉じ込めた、水晶球。
宝石をはめ込まれた杖。謎めいた書物。
「大魔導師ギルファラルの、大いなる遺産の品々……魔力ある人間が用いる事で、帝国の威光が現出する。味方には護りを、逆賊には滅びを、もたらすであろう」
このジュラードには、もうひとつ噂があった。
二十年前。老衰と病で間違いなく死ぬはずであったゼビエル・ゴルディアックを、癒し救ったのは、この男であると。
本来、死んでいたはずの老人が、今に至るまでの二十年間、ジュラードの魔法によって生き長らえているのだと。
「これら品々を扱えるだけの魔力を……マグレル伯爵、私は貴方に差し上げたい」
ジュラードが、いつの間にか私の眼前にいた。
「力を得る事で……さあ、貴方は何を為す? マグレル・ゴルディアックよ。偉大なる帝国貴族の栄光、いかに示す?」
「…………クルバート・コルベム……」
ゴルディアック家の汚点を知る者の名を、私は口にした。
「あやつを、この世から消す……庇い立てをする、レオゲルド・ディランもろとも……」
否。ゴルディアック家に、汚点などあろうはずがない。
あのクルバート・コルベムは、税務官という立場を利用し、税収横領の罪を捏造してゴルディアック家を貶めようとしているのだ。
生かしては、おけない。
近衛騎士レオゲルド・ディランのもとに、あの男は家族ぐるみで身を寄せているという。
皆殺しに、するしかない。
そうする事によって、私は力を示す。
宰相ログレムなどよりも、ゴルディアック家の当主たるにふさわしい者である事を証明する。
それが出来るのであれば、このジュラードが何者であろうと関係ない。
利用し、使い捨てるだけだ。
何かが、私の中に入って来た。
「……マグレル伯爵。今、私の声は貴方にしか聞こえていない」
ジュラードの言葉、それに眼光。
私の脳髄に直接、突き刺っていた。
「私の魔力を植え付けられる事で、貴方は人間ではなくなる。心配無用……およそ二十年前、私がゼビエル老に施した秘術と同じものだ」
自分は、死んだ。
それが、私にはわかった。
そして今、魔力ある生命体として蘇りつつある。
「……いや。この二十年間、私は大いに改良を行った。貴方は、今のゼビエル・ゴルディアックよりは、ましなものに仕上がったはずだ。それを試させてもらうぞ」
大魔導師ギルファラルの遺産、であるらしい品々が展示されている区画から、キラリと光が飛んだ。飛んで来た。
それをジュラードが、片手で受け止める。
指輪、であった。よくわからぬ宝石が、はめ込まれている。
まるで眼球のようでもある、その宝石が、私を睨んだ。
そう思えた。
「今の貴方であれば、この指輪を使いこなす事が出来るだろう」
指輪が、私の右の人差し指に巻き付いた。
「その指輪がある限り貴方は、この異形の軍勢を思うままに操り動かす事が可能となる。また貴方自身にも、攻撃手段として炎と雷を放つ能力が備わった。焼き払うがいい、帝国貴族に刃向かう者どもを」
ジュラードの言葉が、私の脳髄で、そのまま私の意思となってゆく。
否、違う。
これは純然たる、私の意思だ。
私は、私自身の意思で、帝国貴族の誇りを示しに向かうのだ。
ジュラードなどという得体の知れぬ者に、利用されているわけでは断じてない。
「……試させて、もらうぞ」
私にしか聞こえぬ声で、ジュラードが何やら世迷い言を呟いているようだが、もはやどうでも良い事である。
「ギルファラル・ゴルディアック……貴様の遺した秘術を、私は試さねばならぬ。不完全である事が判明する、だけであろうがな……どこだ? この秘術の肝要なる部分を……貴様、この国の一体どこへ隠したのだ」




