表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

60/195

第60話

 人の怨念とは、非力なものである。

 憎い相手を、ただ憎むだけでは、傷ひとつ負わせる事も出来ない。


 相手に、多少なりとも傷を負わせる。

 それには、肉体を用いての行動が必要となるのだ。


 大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウスの肉体は、すでにこの世からは失われている、はずであった。


 石棺の中にあるのは、もはや肉体とも呼べぬ、朽ち果てた白骨の残骸。

 そのはずであった。


 石棺の蓋に手を触れた瞬間、しかしイルベリオ・テッドは確かに見た。

 白骨の残骸でしかない、はずのものが、石棺の中で叫んでいる様を。


 その叫び声を、イルベリオは確かに聞いた。


 視覚・聴覚を介することなく、それらは脳髄に直接、突き刺さって来たのだ。


 憎悪が、怨念が、直接。

 頭蓋骨の内部に、押し入って来たのである。


(こ……これが……)

 脳髄を食い荒らされる、にも等しい感覚の中。

 イルベリオは懸命に、己の思考を保ち続けた。

(これが……五百年もの長きに渡って残留し続ける……死者の、想念……?)


 その思考が、押し寄せる怨念の嵐に粉砕される……寸前。

 声が、聞こえた。


「……お気を強く持ちましょう、イルベリオ先生。貴方の傍には、唯一神がおられます」


 クリスト・ラウディース元司祭。

 その穏やかな口調に合わせ、優しい、そして強固な力が、イルベリオの脳髄を包み守る。心を、防護する。


 聖なる防護に、凄まじい怨念の嵐が激突する様を、その防護の内側からイルベリオは見た。観察した。


 そして思った。違う、と。

 死せる大皇妃の、これは怨念ではない。


(憎しみ、ではなく……これは……渇望……? 生きる事への……)


 唯一神の加護、聖なる防護。

 その内側から、イルベリオはようやく、石棺の内側で荒れ狂うものを、落ち着いて見つめる事が出来た。


 怨念・憎悪と見紛うほどの、渇望の念。


 それを、この石棺に封じ込めたのは、ギルファラル・ゴルディアックであろう。


 帝国の大魔導師による封印の奥で、ひたすら渇望の念を燃やす古の大皇妃に、イルベリオは語りかけていた。


「……生きたかったのですね、ヴェノーラ・ゲントリウス陛下。生き返りたいので、ございますね」


 石棺の奥から、叫び声が返って来た。

 聞き取れない。


 死せる者の想いは、そうそう生者に伝わるものではない。

 ましてや、封印を施されているのだ。


 かつて南方で私塾を開いていた頃。

 イルベリオには一人、有望な弟子がいた。


 領主ゲラール家の令嬢。

 魔力そのものは、さほどではなかった。

 だが。人の心に入り込む魔法に関しては、天性のものを持っていた。


(ラウラお嬢様……貴女であれば……)

 封印の上からでも、死者の心と触れ合える魔法使いに、あのままであれば育っていたかも知れない。

 ゴルディアック家への輿入れが、なければ。


 石棺の中、封印の奥で、またしても絶叫が起こった。

 聖なる防護もろとも、イルベリオの頭蓋を粉砕してしまいかねない絶叫。


「我らは……何をすれば、よろしいのですか」

 封印の中から響き届く絶叫に、イルベリオは問いを返した。


 単なる絶叫ではない。明らかに、言葉を成している。

 石棺の外にいる者へ、何かしらを伝えようとしている。


 聞き取れぬそれを、聞き取らねばならない。

 今ここにラウラ・ゲラールがいない以上、イルベリオがやらなければならないのだ。


「教えていただきますよ、ヴェノーラ陛下。貴女様の復活のために……我々が一体、何をするべきであるのか」


 人の怨念とは非力なものである、と聞く。


 それはそうだろう、と国王エリオール・シオン・ヴィスケーノは思う。

 憎い相手を、ただ憎むだけで殺傷する事が出来るのであれば苦労はない。


 そんな非力な怨念も、魔法使いによって形を与えられれば、物理的に何かをする事が可能となる。


「はっきり言って雑魚ですが……普通に人を殺す、くらいの事は出来ますよ。この連中」


 ルチア・バルファドールがそう紹介したのは、兵士の一団である。

 材質のわからぬ甲冑の中で、陰影そのものが、人の形に凝り集まっている。

 そんな兵士たちが長槍を携え、トーランド伯爵邸の庭園に整列し、部隊を成していた。


「ほう……ふむ、これは……見事である」

 エリオールは見渡し、感嘆の声を漏らした。

「雑魚とは言うが、容易く数の揃う使い捨ての戦力……重要であろう?」


「食糧も寝床も要りません。用がない時は、この中にしまっておく事も出来ます」

 光の塊を、ルチアは片手で軽く掲げている。

 暗い、光だった。

 闇よりも暗い光。そんな事を、エリオールは思った。


 光か闇か判然としないものが、ルチアの片手で、人の頭ほどの球形を成している。

 この陰影の兵士たちは、その中から生まれたのだ。


「ルチア・バルファドール……そなた、戦を起こすつもりか?」

 エリオールは、問いかけてみた。

「それが、出来るのではないか?」


「……国王陛下が、私に何を教えて下さるか。まあ、それ次第ですね」

 ルチアの声から、感情は読み取れない。


「私が今、この連中を使って大規模な人殺しを……やらずにいる理由はね。私からアイリを奪った奴が誰なのか、を知らなきゃいけないからです。それをまず国王陛下、貴方から教えてもらわないと」


 本当に大切な友であったのだ、とエリオールは思った。

 王太子妃アイリ・カナンは、このルチア・バルファドールにとって、本当に。


「教えてやる、代わりに……帝国の魔王ヴェノーラ・ゲントリウスを復活させろ、と国王陛下はおっしゃる。面白い、と思いますよ。あの大皇妃様には、私も憧れてますから」


 自分にも友がいた、とエリオールは思う。

(かけがえのない友、と私は思っていた。さぞかし……迷惑であったろうな? シグルム・ライアットよ)


「役立たずの国王がぁああああッ!」


 絶叫が響き渡り、陰影の兵士が二体、三体と砕け散った。

 消えゆく破片を蹴散らして、電光がバチバチッ! と荒れ狂う。


 帯電する肉塊、としか表現し得ぬものが、そこに出現していた。

 牛ほどの大きさ、であろうか。

 ずるりと庭園を這いずる、巨大な肉塊。


 その体表面全域で、無数の醜悪な人面が、腫れ物の如く隆起しながら歪み、眼球を血走らせ、口から電光を吐き出している。罵詈雑言と一緒にだ。


「お前が、何もしてくれなかったせいで! 私は、ミリエラを取り戻す事が出来なかった!」

「男は、男は! 男は所詮! 何の役にも立たない!」

「女! やはり女、女が! 世の頂点に、立たなければ」

「ヴェノーラ・ゲントリウス陛下のようにぃいいいいい!」


 吐き出された電光の嵐が、陰影の兵士たちをことごとく打ち砕きながら庭園を駆け、国王エリオールを強襲する。


 にゃーん、と獣の声が聞こえた。


 ふっさりとした獣毛の塊が、国王を背後に庇って着地しながら手刀を振るい、襲い来る電撃光を打ち払う。

 クルルグだった。

 気の光を帯びた手刀の一閃が、荒れ狂う電撃を片っ端から粉砕している間。


「…………っっったく、なぁに晒しちゃってンのかなあぁこォの生ゴミはあああああッ!」

 マローヌ・レネクが叫んだ。

 綺麗な唇が上下に押し広げられ、臓物が吐き出されていた。


 全体に牙を生やした、凶暴・醜悪な器官。

 それがマローヌの体内から暴れ出し、海蛇のように宙を泳いで電光を蹴散らし、人面肉塊をグシャリと叩き潰す。

 肉片が、眼球が、びちゃびちゃと大量に飛び散った。


 クルルグの後ろでエリオールが、呆然と呟く。

「よもや、とは思うが……バレリア・コルベム夫人であるか? 何とも、はや」


「……動きを封じておいたはず、なんだけど」

 ルチアは呻き、観察した。


 マローヌに叩き潰された肉塊が、震え蠢きながら、パリパリと弱々しい電光を発している。

 まだ、生きている。

 全身の破裂した部分が、少しずつ隆起している、ようにも見える。

 再生、しているのではないか。


「ったく……なぁにやってんスかねぇ、このゲテモノ女は」

 言いつつリオネール・ガルファが、すらりと片刃の長剣を抜いた。

「ちゃあんと殺してあげないとぉ、かわいそーでしょうがあ? 殺すしか能のないバケモノになっちまったんならあ、そのくらいキッチリやれと」


「そうねー。アンタみたくチャラッついた馬鹿ガキは殺処分したげないと、確かにかわいそう。生きててもバカしか晒さないし」

「俺バカ晒してる? はらわた晒してるクソ女よりマシだと思うんスけどぉ」

「……アンタも。はらわた、出してみる?」


「よさぬか、そなたら」

 クルルグの後ろで、エリオールが言った。

「いい加減にせよ。力を合わせて私を守ってくれねば、困るではないか」


「ふふん? ねえ国王陛下。私ら別に、貴方を守るのが役目ってわけじゃ……ってちょっとアンタ! 何、勝手にクルルグ君の尻尾触ってんのよおおおおッ!」

「職権濫用は大犯罪っスよ陛下! いくら王様だからって、やっていい事と悪い事が」


 国王に詰め寄るマローヌとリオネールを、クルルグが殴って黙らせた。


「……どうやらクルルグよ。頼りになるのは、そなただけのようだなあ」

 そんな事を言いながらエリオール王が、獣人の若者の太い尻尾に、うっとりと頬を寄せている。


 愚かしい騒ぎを一瞥もせずにルチアは、闇よりも暗い光の塊……怨念の塊を掲げ、問いかけてみた。

 おろおろと遠巻きにしている、黒薔薇党の党員たちに。


「私の魔法拘束から自力で脱出し、陰影の兵団を粉砕する。叩き潰されても再生する……どうですか? 黒薔薇党の皆様。貴方たちでもね、こちらのバレリア夫人と同じ程度には、強くなれるかも知れませんよ。偉大な御方の復活を口で叫ぶだけじゃなく、実行するための戦力になってみようって人いませんか?」


 今この場で返事の出来る、事ではないだろう。

 だが。何名かが息を呑み、目の色を変えたのを、ルチアは見逃さなかった。


 その時。何者かが、語りかけてきた。


『…………ルチア……お嬢様……』

 この場にいない、何者かの声。ルチアにしか聞こえない声。


「……イルベリオ先生!?」

 念話、である。

 イルベリオ・テッドが、アドラン地方の帝国陵墓から、声だけを届けてきているのだ。


「どうしたの? 随分お疲れの様子……まさか」

『はい、お嬢様……私も、クリスト司祭も、力尽きておりますよ。何しろ……直答を許されぬ身でありながら、ヴェノーラ・ゲントリウス陛下に』

「直接、訊いてみたって言うの!? 無茶するわね……まあ、復活の手段。何としても探し出して欲しいと言ったのは私だけど」


『……お聞き下さい、ルチアお嬢様』

 イルベリオは言った。


『大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウス陛下の……お身体は、魔封じの棺の中で朽ち果てております。が……五百年を経たる御魂は、その棺の中に、確かに、おわしました』


「……わかった、これと同じね」

 暗く光る怨念の塊を、ルチアは見つめた。

「入れ物にするための、新しい身体が必要って事でしょ? それも多分、何でもいいってわけじゃないのよね」


『ヴェノーラ陛下、宣わく……魔力を有する乙女、でなければならぬと』

 イルベリオは言い、言葉をたたみかけてきた。


『だからと言ってルチアお嬢様! ご自身を捧げる、などとはおっしゃいませんように』

「ふふん。最終的には、そうなっちゃうかも知れないけどね」

 ルチアは、にやりと笑った。


「……一人、心当たりがあるのよね。中途半端だけど魔力があって、身体は私なんかよりずっと頑丈。しぶとさが取り柄の、悪役令嬢よ。大昔の悪役令嬢の憑り代に、ぴったりの人材だと思わない?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ