第51話
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ボーゼル・ゴルマーが何故、敗れたのか。
相手がアラム・エアリス・ヴィスケーノ王子であったからだ、と言われてはいる。
叛乱者ボーゼルを支持していた南方の民衆は、討伐軍を率いて来たのがアラム王子であると知るや掌を返し、ゴルマー家を裏切った。
ボーゼルの盟友ペギル・ゲラール侯爵にとっても、予想外の事態であったろう。
民衆の支持を失ったボーゼルは、挽回困難な劣勢に陥った。
そこへ、アラム王子率いる王国正規軍が迫った。
そのままゴルマー家が敗れれば、ゲラール家もまた、叛乱の支援者として処断される。
当主ペギルも、その娘ラウラも、孫娘フェアリエも。
自分たちがいなければ、父ペギルは、盟友ボーゼルと共に死ぬ道を選んでいただろう。
ラウラ・ゲラールは、そう思っている。
娘と孫娘を助けるためにペギルは、ボーゼルを裏切る決断を迫られていた。裏切る時を、見定めなければならなかった。
まるで狙い澄ましたかのように、そこへ1通の書簡が届いたのだ。
王国宰相ログレム・ゴルディアック侯爵から、ペギル個人に宛てられた書簡であった。
降服せよ。
ペギル・ゲラール本人、及び親族の、身の安全は保証する。宰相の名において。
それが、内容であった。
ペギルは、ボーゼルを裏切った。
ゲラール家の資金力を失ったゴルマー家は、総崩れとなった。
アラム王子ではない、とラウラは思っている。
真の意味でボーゼル・ゴルマーの叛乱を鎮圧したのは、宰相ログレム・ゴルディアックだ。
ボーゼルを熱狂的に支持していた王国南部の民が、掌を返した。
あれもまた、アラム王子の人気と声望を最大限に活用し、ログレム宰相が何かしら工作を行った、その結果であるに違いない。
ラウラは、そう確信している。
あの義父は、計り知れない策謀家であった。
そんな人物が、アラム王子の後ろ盾をしている。
アラム王子を擁立する事で、宰相ログレムは、政敵ベレオヌス・ヴィスケーノ公爵に対し、圧倒的優位に立とうとしているのだ。
清廉潔白な人物では、断じてない。
宰相ならば当然とは言える。
それでも、あの義父はゴルディアック家において、自分ラウラ・ゲラールと娘フェアリエにとって唯一、頼るべき庇護者であった。
自分たちがゴルディアック家から逃げ出した後も、色々と気にかけてくれた。時には、目に見える形で援助をくれた。
叛乱に与したゲラール家が、こうして貧しい地方に転封されながらも存続を許されたのは、ログレム宰相が様々に手を尽くしてくれたからだ。
もしや、とラウラは思う。
このヒューゼル・ネイオンという若者も、義父の意を受けて動いているのではないか。
自分たち母子を、守るために。
ロルカ地方、執政府ケルティア城。
庭園で、領主一家は襲撃を受けていた。
ペギル・ゲラール侯爵、その娘ラウラと孫娘フェアリエ。
3人をまとめて切り刻むべく、黒衣の男たちが走り迫る。
その時には、しかしヒューゼル・ネイオンは庭園に着地していた。
城壁の上から、飛び降りていた。まるで猫のように。
着地したヒューゼルが、すでに駆け出している。矢の尽きた長弓を、水平に構えながらだ。
黒衣の男が1人、ラウラに斬りかかった。
そうしながら、首筋から鮮血を噴いた。
ヒューゼルの長弓。
両端から、短めの刃が伸びている。
斬撃にも用いる事が出来る長弓を、ヒューゼルは両手で振るい、回転させていた。
黒衣の男たちが、様々な方向からヒューゼルに斬りかかり突きかかりながら、いくつもの回転に薙ぎ払われる。
身を寄せ合うラウラとフェアリエの周囲で、血飛沫が大量に咲いた。
黒衣の男たちは、正確に首筋だけを撫で斬られ、絶命してゆく。
弓の技量、だけではない。
白兵戦で刃を振るう、その狙いの精妙さも凄まじいものだ。
鮮血の霧が舞い漂う中、ヒューゼルが長弓の回転をぴたりと止める。
黒衣の男は1人残らず屍となり、あちこちに横たわっていた。
フェアリエが、呆然と見入っている。
目を塞ぐべきであった、とラウラは後悔した。
「…………見事」
ペギル侯爵が言うと、ヒューゼルは跪いた。
貴人の前で身を屈する、その動きが滑らかで美しい。
新しく雇われた警備兵である、とヒューゼル本人は言っていた。
単なる流れ者や傭兵、ではない。騎士階級の出身ではないか、とラウラは思った。
「ヒューゼル・ネイオンと言ったな。そなたほどの勇士を一兵卒として安く使うのは心苦しい。見ての通りの没落貴族ゆえ、大した事はしてやれぬが……望みの待遇は?」
「お気になさらず。俺なんか、兵卒で充分ですから」
口調にも表情にも、気力が全く感じられない。
秀麗な顔は、どこか茫洋としていて掴み所がない。
何を考えているのか、わからない……と言うより、何も考えていないのではないか、とラウラは思ってしまう。
無気力な、金髪の青年。
ただ。黒衣の刺客を殺し尽くす、その動きには本気の殺意が確かにあった。
「助けていただいた事……感謝いたします、ヒューゼル・ネイオン殿」
ラウラは一礼した。
この身体では、その動きすら、ままならない。
全身いたる所で、痛みが疼く。
夫カルネード・ゴルディアックは、本当に容赦なくラウラを打擲し、蹴りつけ、踏みにじってくれた。
義父ログレムが止めに来てくれなかったら、自分は殺されていたかも知れない。
思い出しただけで、痛みの疼きが激しくなる。
杖を、ラウラは手放してしまった。
よろめく身体を、フェアリエが抱き支えてくれた。
ヒューゼルが、杖を拾ってくれた。
「…………誰に、やられたんです?」
そんな事を、訊いてくる。やはり無気力な口調だ。
「言って下されば俺、そいつ殺してきますけど」
「お気持ちだけ、いただいておくわ……そういう事は、お控えなさいね出来る限り。助けていただいた身で、言う事ではないけれど」
杖を受け取りながら、ラウラは苦笑した。
表情も口調も無気力なまま、動きにだけ本物の殺意を露わにして、この青年はカルネード・ゴルディアックを護衛もろとも殺害してのけるだろう。
ラウラが頼めば、本当に実行するだろう。
フェアリエが、いくらか上目遣いにヒューゼルを見つめ、言う。
「……ありがとう、ございました」
「いえ、まあ、お仕事ですから」
「ふうむ」
ペギル侯爵が、新人警備兵の無気力な美貌を、じっと観察する。
「以前……どこかで、会ったかな? そなたの顔、見覚えがあるような気がするのだよ」
「はあ、そうですか」
「……そなた、もしや先の戦に兵士として参加していたのではないか? ゴルマー家か、王国正規軍か、どちらかは知らぬが」
「うーん……どうですかね」
ぼんやりと、ヒューゼルは空を見上げた。
「俺……ヒューゼル・ネイオンっていうの多分、偽名だと思います。適当に頭に浮かんだ名前、使ってるだけなんで……あの俺、実はね、記憶ないんですよ」
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自分は父親としては失格なのだろう、とログレム・ゴルディアックは思っている。
息子カルネードを、どうしようもない愚か者に育て上げてしまった。
いや、カルネードだけではない。
ゴルディアック家の人間たちは代々、腐敗した妄執を受け継いできた。
そのせいで全員、脳髄まで腐らせてしまった、としか思えぬほどの惨状を、この旧帝国系貴族最大の名家は晒している。
皆、政略結婚の意味を、まるで理解していない。
何故、ゲラール家との血縁が必要となったのか。
それは、王国南部におけるゴルディアック家の影響力を、強化するためである。権力の拠点と言うべきものを、作り上げるためである。
その役割を負ってクエルダ地方に領主として赴任したバラリス・ゴルディアックが、まるで使い物にならなかった。あまりにも無能であった。
だから長老ゼビエル・ゴルディアックは、南方随一の経済力を有するゲラール家を、血縁で引き込む手に出たのである。
悪い手ではない、とログレムも思ったものだ。
息子カルネードのもとに、ゲラール家の令嬢ラウラが嫁いで来た。
やがて、娘が生まれた。
フェアリエ・ゴルディアック。ログレムにとっては、孫娘である。
カルネードの役割は、ただひとつ。
この妻と娘に、しっかりと愛情を注ぎ、ゲラール家を親族としてゴルディアック家に繋ぎ止めておく事だ。
あの愚かな息子には、それすら出来なかった。
結果、ゲラール家は完全に、ゴルディアック家の敵に回った。政略結婚が、まるで無駄になったのだ。
孫娘を守るためにログレムは、宰相の権力を若干、濫用した。
ラウラとフェアリエをゴルディアック家から逃がし、実家に帰らせた。その実家がボーゼル・ゴルマーの叛乱に巻き込まれた後も、どうにか無事に生活をしてゆけるよう手を尽くした。
尽くしたはずだが、足りなかったのだ。
「ロルカ地方……ケルティア城が、何者かの襲撃を受けたようですな」
近衛騎士レオゲルド・ディラン伯爵が、言った。
「領主ペギル・ゲラール侯爵、ならびに御親族の方々も、辛うじて無事であられたと」
領主の親族。ペギル侯の、娘と孫娘。
ゲラール家の、自前の戦力で、どうにか彼女らの身の安全は守られたという事だ。
「何者かの、襲撃……」
ログレムは呻いた。
「何者であるのかは……レオゲルド卿も、ご存じであろうな?」
レオゲルドは、何も応えない。
王宮の、とある一室。
宰相ログレムが、非公式に人と会う際、用いる場所である。
「……ゼビエル・ゴルディアック大老」
おぞましい名前を、レオゲルドは口にしてしまった。
「ゴルディアック家の、名誉と体面を……守らなければ、と思っていらっしゃるのでしょう」
「旧帝国系貴族の、名誉。それだけで百年近くを生き長らえてきた……妄執の、権化よ」
自分の父親を、ログレムはもはや、そのように呼ぶしかない。
あの老人の妄執が、様々な凶事を引き起こす。
ログレムが可能な限り職権を濫用し、手を尽くしても、足りない。及ばない。
宰相として、多忙を極める身だ。
例えばベレオヌス公爵に仕えるゲーベル父子のような戦力が、自分にもあれば。
このレオゲルド伯爵は、極めて有能な協力者ではあるが、手駒のように扱うわけにはゆかない。
照明の弱い室内の、特に暗い部分へ、ログレムは視線を投げた。
「……して、レオゲルド卿。そちらが?」
「はっ……どうにか、お連れする事が出来ました」
優美な姿が、ひとつ。
その暗がりから、静かに軽やかに、歩み出して跪く。
「お初にお目にかかりますわ、宰相閣下……私は、流れ者のシェルミーネ・グラーク。レオゲルド卿の御屋敷で、役立たずの居候をしておりますの」
2年前。
花嫁選びの祭典にて、王家の血筋を侵蝕せんとする旧帝国系貴族の策謀を、ことごとく退けてくれた悪役令嬢。
その美貌が、不敵に微笑んだ。
「……役立てて、下さいますかしら?」




