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疾風怒濤の悪役令嬢  作者: 小湊拓也


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第50話

 ボーゼル・ゴルマーは、正義の男であった。


 たとえ他領であろうと、民が虐げられている状況を放置する事が出来ない。

 だから彼は、ヴィスガルド王国南部の旧帝国系勢力を殲滅する戦に取りかかったのだ。


 一般的に、王国南部と呼ばれる地方は6つ。


 うちレナム地方はボーゼルが治め、南海の玄関口ザウラン地方では、自分ペギル・ゲラールが領主を務めていた。


 他の4地方と、そこを治めていた領主たち。

 クエルダ地方領主バラリス・ゴルディアック侯爵。

 メルセト地方領主クアル・ベリル侯爵。

 ロルカ地方領主ゲルトー・レンドルフ侯爵。

 ゴスバルド地方領主ゼノン・ガルドル侯爵。

 全員、旧帝国系貴族である。


 彼らはバラリス侯を筆頭とする旧帝国系勢力を形成し、各々の自領で暴政と搾取に励み、民を虐げた。


 そして、ボーゼルとその娘ベルクリス率いるゴルマー家の軍勢によって、殺し尽くされたのだ。


 その戦を、ペギルは経済的に支援した。

 南海貿易で貯えた資金を、惜しげなく注ぎ込んだ。


 貿易の利権を執拗に狙ってくるバラリス侯爵を、ゴルマー家の武力で取り除く。

 自分の目的は、そこにしかなかった、とペギルは思っている。


 バラリス侯がベルクリス・ゴルマーに殺され、クエルダ地方がボーゼルの支配下に収まった、その時点でゴルマー家を支援する理由は失われたのだ。


 そこで、この戦から手を引くべきであった。

 ボーゼルを裏切り、ゴルマー家を逆賊として王国に売り渡すべきであったのだ。


 結局ペギルはそれをせず、ボーゼルと共に王国正規軍を迎え撃った。

 逆賊ゴルマー家の支援者として、もろともに討伐を受ける事となったのだ。


 あのボーゼル・ゴルマーという男に、自分はいつの間にか心酔していた。

 この男に天下を取らせたい、とペギルは、その時点では思っていたのだ。


「お祖父様」

 声を、かけられた。


 ロルカ地方、執政府ケルティア城。


 庭園で、ペギルは椅子に腰掛け、晴れ渡った空を見上げている。

 1度、座ってしまうと、立ち上がるのが億劫だ。

 そんな年齢に、なってしまった。


 あの戦が終わってから、老いが一気に来たような気がする。


「何か、とても悲しそうなお顔をされていますね」

 声をかけてきたのは、1人の少女だった。


 小柄な細身は、15歳という実際の年齢よりも幾分、幼く見えてしまう。

 可憐な顔立ちも、白い肌も、空気に溶け込んでしまいそうなほど儚げである。


 空気の妖精。

 この孫娘を見る度にペギルは、そんな事を思ってしまう。


「お辛い事が、あったのでしょうか?」

「……そうだね、フェアリエ。辛い事は、確かにあった」

 ペギルは、微笑んで見せた。


 悲しそうな笑み。

 フェアリエには、そう見えてしまうのだろう。


「……ひどい事を、なさる人が……いたのですか? お祖父様……」

「そなたも、嫌な事をされてきたのだろうね。フェアリエ」

「いえ……私などより、お母様の方が……ずっと」


 フェアリエの母が、よろよろと庭を歩いて来る。

 杖を、ついていた。


「どうかね、ラウラ」

 ペギルは、声をかけた。

「あの男を……許す、事は出来ぬまでも。この子のいる所で、憎まずにいる事は出来るか?」


「……もとより憎んでなど、おりませんわ。お父様」

 ラウラ・ゲラールが微笑んだ。

 その笑顔に一瞬、苦痛が滲み出たのを、ペギルは見逃さなかった。


「私、あの方には感謝しておりますから……だって私に、この子を授けて下さったのですもの」

「お母様……」


「まだ痛むのだろう、あまり無理をするな」

 億劫さに耐えて、ペギルは椅子から立ち上がろうとした。


 杖にすがり付いたまま、ラウラは片手を上げた。

「……無理にでも歩かなければ……一生、歩けなくなってしまいますから……」


「…………ごめんなさい、お母様……」

 フェアリエが、今にも転倒しそうな母親の細身を支えた。

 母親に、泣きついているようにも見えた。


「……私の……せいで……」

「仕方ないわ、フェアリエ」

 ラウラが、娘の頭をそっと撫でた。


「花嫁選びの祭典……本当に、押しの強い御令嬢ばかりだったわね。私に似て引っ込み思案な貴女が、勝てるわけはない。仕方のない事だったのよ」


 フェアリエ・ゲラール。

 2年前、この娘はフェアリエ・ゴルディアックという名前で、花嫁選びの祭典に出場した。


 旧帝国系貴族最大の名門ゴルディアック家を、代表する形となってしまった。


 祭典の運営・審査を取り仕切っていたシグルム・ライアット侯爵もまた、旧帝国系貴族の重鎮と言える人物であった。


 だから勝てる。

 この引っ込み思案な少女が、優勝してアラム・ヴィスケーノ王子の正室となる。

 ヴィスガルド王家に、旧帝国貴族の血を流し入れる事が出来る。


 ゴルディアック家の面々は、本気でそう信じていたようである。


 シグルム侯に対してはゴルディアック家から、脅迫にも等しい圧力が加えられていたという。


 全てを跳ね返して、シグルム・ライアットは厳正極まる審査を決行した。


 旧帝国系貴族の令嬢たちは、ことごとく脱落し、1人も残らなかった。


 フェアリエが早い段階で脱落したのは、あるいはシグルム侯の慈悲であったのかも知れない、とペギルは思っている。


 そして祭典終了後、シグルム・ライアット侯爵は死亡した。

 王宮の庭園から、腐乱死体が発見されたという。


 旧帝国系貴族の裏切り者として、ゴルディアック家による制裁を受けたのだ……というのは噂でしかない。


 はっきりと制裁を受けたのが、ラウラである。


 次期国王の義父となり損ねた夫カルネード・ゴルディアックの、怒りと癇癪と憎悪と暴力から、娘フェアリエを庇ったのだ。


 縁談を申し込んできたのは、ゴルディアック家の方からである。

 ゲラール家が代々、司っている南海貿易が狙いであるのは、考えるまでもなかった。


 ペギルとしても、ゴルディアック家との血縁関係は、あって損にはなるまいと思えたのだ。その時は。


 だから一人娘ラウラを、ログレム・ゴルディアック宰相の子息カルネード・ゴルディアックに嫁がせた。


 14年後。

 ラウラは、杖がなければ歩けぬ身体となって帰って来た。

 13歳の娘フェアリエと共にだ。


 法的に離縁が成立し、母子揃って実家に帰る事が出来たのは、ログレム宰相の計らいによるものである。


 ゴルディアック家にあって、あの人物だけが、ラウラとフェアリエの味方であったのだ。


 だからペギルは、ゴルディアック家に対し、憎しみは抱くまいと決めた。


 ただ。

 ボーゼル・ゴルマーの叛乱を支援する、その決意を固める一助にはなった。


 ボーゼルが討たんとしていた相手は、まずバラリス・ゴルディアックであった。

 ゴルディアック家の血族は許しておけぬ、という思いが間違いなく、ペギルの心のどこかにはあったのだ。


 娘も、孫娘も、戻って来た。

 もはやゴルディアック家とは何の繋がりもない。


 ペギルは、ゲラール家の財力を惜しげなく用いてボーゼルを支援した。

 この男に、天下を取らせる。

 一時は本気で、そう考えていたのだ。


「ラウラは……ゴルディアック家の者たちを、憎んではおらぬと言う。ではフェアリエよ、そなたはどうかね?」


「……ログレムお祖父様は、私にとても良くして下さいました」

 祖父の事を、フェアリエは口にした。

 父親には、触れまいとしている。


「それだけで私、ゴルディアック家の方々が大好きです……憎んでなんか、いません」


「よく覚えておきなさいフェアリエ。誰かに、ひどい事をされた……それは、許す事が不可能ではない。とても難しいが、人は人を許す事が出来るんだ」

 ペギルは言った。


「本当に辛いのは……自分が誰かに、ひどい事をしてしまった時だ。その誰かは、あるいは許してくれるかも知れない。だが自分は許してくれない。自分が、自分を許せない。これは……とても、辛い事だよ」


 最終的に自分は、ボーゼル・ゴルマーを裏切った。

 ボーゼルは戦死、令嬢ベルクリスは逃亡し行方をくらませた。


 ペギルは、所領であったザウラン地方を没収された。当然、南海貿易の利権も失った。


 叛乱の支援者に下された刑罰としては、軽いものだ。

 そして、盟友ボーゼルを裏切った罰としても。

 ペギルは、そう思う。


 ロルカ地方に、やがてペギルは転封された。


 海に面していたザウラン地方と比べ、話にならないほど貧しい土地である。

 とは言え、地方領主の役職を保つ事が出来た。


 娘と孫娘を、路頭に迷わせずに済んだ。

 これもまた、ログレム宰相の計らいである。


「む……」

 ペギルは、椅子から立ち上がった。

 ラウラとフェアリエが、身を寄せてくる。


 取り囲まれていた。

 黒衣と覆面で正体を隠した男たちが、いつの間にか多数、庭園に入り込んでいる。


 ここケルティア城は、先の叛乱でゴルマー家の軍勢に攻められた。容赦のない攻撃を受けた。

 今も、城壁の一部が崩壊したままだ。警備の兵士も、足りていない。


 侵入は、容易なのだ。


 黒衣の男たちは、剣を抜いていた。

 城主ペギル・ゲラールのみならず、その娘と孫娘をも切り刻んで、最初から居なかった事にする。

 その殺意を、隠しもしない。


「……ゼビエル老の、御言葉を伝える」

 黒衣の男の、1人が告げた。

「ゴルディアック家、血族の絆が壊れてしまった……とても悲しい事である、と」


「血族の絆、だと……!」

 ペギルは激昂した。

「夫が、妻に暴力を振るう! 祭典で脱落した娘を、一族総出で罵倒する! それが、そんなものが血族の絆か!」


「ゴルディアック家の誇りを汚しておきながら……離縁で、逃げる。それは後ろ足で汚物をかける行為である」

 黒衣の男たちが、言葉と共に斬りかかって来る。突きかかって来る。

「許しては、おけぬ」

「花嫁選びの祭典……無様な脱落を晒し、ゴルディアック家の栄光と名誉を汚した小娘。生かしては、おけぬ」


「死ね……」

 そう言った男が、まずは絶命した。

 横に吹っ飛び、倒れた。

 左側頭部から、右頬の辺りへと、矢が貫通している。


 まるで、目に見えぬ防壁が、ペギル、ラウラ、フェアリエの周囲に生じたかのようであった。

 黒衣の男たちが、その防壁に激突し、倒れてゆく。そう見えた。


 倒れた男たちの、頭に、首筋に、矢が深々と突き刺っている。


 狙いの正確さも、さる事ながら。凄まじい弓勢であった。

 恐るべき剛力と技量の持ち主が、どこかで弓を引いている。


「……穴だらけの城壁、さっさと直した方がいいですよ」

 声がした。若い男の、無気力な声。


 破損したまま、いつ崩落してもおかしくはない城壁の上に、その若者は佇んでいた。

 兵卒用の粗末な鎧をまとった身体は、大柄ではないが鍛え込まれている。


 この城の警備兵、であるのは間違いない。

 随分と大急ぎで、兵士を雇い集めたのだ。ペギルも、全員の顔と名前を把握しているわけではない。


 若者の左手に握られた長弓は、支給したものではなかった。元々の私物か。


「どうも……こないだ雇っていただいた、ヒューゼル・ネイオンと言います。すいません、あっち守ってるように言われたんですけど……持ち場、離れちゃいました」

 長弓に矢をつがえながら、若き兵士は名乗った。


 声だけでなく、顔つきも無気力である。

 秀麗、と言ってよい。だが表情はない。

 表情も感情も失ってしまった、ように見える。


「何かね、害虫が大量に……入って行くの見えたんで」

 ヒューゼル・ネイオンは、引き伸ばした弦を手放した。


 空気の裂ける音が、ペギルの鼓膜を殴打する。


 黒衣の男が1人、首から上を失った。

 覆面が巻かれた生首を1つ、串刺しにした矢が、地面に突き刺さり震えていた。

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