第5話
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何でも屋。
このザーベック・ガルファという男は、そう名乗った。
嘘ではないだろう。
様々な、おぞましい仕事を、金で請け負ってきた。仕事を、選ばなかった。
金が支払われるなら、仕事。そこに善悪も清濁も優劣もない。
それが、この隻眼の男の信念なのだ。
そんな斬撃だった。
ガロム・ザグは、歯を喰いしばった。
左右の牙剣を、交差させる。その防御の上から、凄まじい衝撃が叩き付けられて来る。
牙剣が2本とも折れてしまったか、と一瞬だけガロムは思った。
牙剣よりもずっと華奢に見える、三日月のような片刃の剣を、しかし折ってしまう事なくザーベックは打ち込んで来る。3度、5度と嵐のように。
左右の牙剣で、ガロムはことごとく弾き防いだ。
火花と一緒に、微量の鮮血が飛散した。
ガロムは、全身各所に浅い裂傷を負っていた。
弾き防いだ、はずの斬撃が、歩兵甲冑の隙間を正確にかすめていた。
深手ではない。
だが。ザーベックの剣が毒刃であったら、勝敗は決していたところだ。
「参ったな……毒を、持って来るべきだった」
ガロムが半ば苦し紛れに振るった牙剣を、ザーベックは言葉と共にかわした。風に舞う木の葉のように。
「……こんな手強い奴がいるなんて、想定外だぜ」
「俺は……どれほど強い奴とも、戦う。想定も覚悟もしていた、つもりだった」
回避とほぼ同時に一閃した片刃の剣を、ガロムは辛うじて受け流した。
「……まるで足りなかった。何でも屋のザーベック・ガルファ……貴様は、強い」
「覚悟なんて、そうそう事前に決められるもんじゃないんだよなあ」
黒覆面の下で、ザーベックは微笑んだのか。
「……ガロム殿。あんた、歳は?」
「19だ。ガキなのは認める」
「俺は24だけど、ガキだよ」
友好的に話しかけてくる。
何かの作戦か、とガロムは思った。
「なあガロム君……2年前の、花嫁選びの祭典。あんたは楽しんだかい?」
「そんな暇はない。ドルムトはな、獣人どもがしょっちゅう暴れる土地だ」
シェルミーネが、王家に嫁ぐかも知れない。
その思いをガロムは、多忙な軍務で押し潰していたのだ。
「俺は楽しめたよ。健気な平民の女の子がさぁ、意地悪な悪役令嬢をコテンパンに負かして幸せな結婚……ってか、そこの悪役令嬢が派手に自滅したんだっけな」
穴だらけの馬車に乗り込んで行くシェルミーネの方を、ザーベックは隻眼でちらりと見やった。
「それはそれで、まあ美味い酒が飲めたよ」
この男は自分を怒らせようとしているのか、とガロムは思った。
「……あの祭典はな、平民どもに希望を与えちまった」
思っている間に、ザーベックは踏み込んで来た。
まさに黒豹の速度だ。
「それが許せない……って連中がなぁ、いるのさ。この世には!」
一際、激烈な斬撃が来た。
ガロムの、右手の牙剣が叩き落とされていた。
その間。左手の牙剣は、ザーベックの脇腹に食い込んでいた。
手応えでわかる。恐らくは、脊柱の近くまで達している。
「…………これだよ、これ……」
ザーベックは、倒れ伏した。
半ば両断された胴体から、様々なものが溢れ出して地面を汚す。
「……最後の、最後に……強い奴と……ちゃんとした戦いを、やりたかった……ありがとうよ、ガロム君……」
「ザーベック・ガルファ……」
ガロムが呼びかけても、応えはない。
ザーベックは、事切れていた。
この何でも屋を雇ったのは、何者であるのか。生かして聞き出す事は、出来なかった。
そんな余裕を持てる相手では、なかったのだ。
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かつてのアイリ・カナンは、生命力に満ち溢れた少女だった。
今もそうだ。
まばゆいほどの命の煌めきを瞳に宿し、アイリはシェルミーネを見つめている。
「きらきら、していたわ」
消えゆく命の、最後の輝きだった。
「シェルミーネも、リアンナも、ルチアやベルクリスも……みんな、眩しかった。私なんかより、ずっと」
「……一番きらきらしていたのは、貴女でしてよ? 厚かましい平民娘のアイリ・カナン」
赤ん坊が、泣いている。
そんなものは聞こえない。
今この世にある音は、自分たち2人の会話だけだ、とシェルミーネは思った。
「だから貴女には、早めに消えていただきたかったですわ。私、全力で潰しにかかったのに……しぶとい子。ほらまた、しぶとく生き残って御覧なさいな」
「うふっ……あははっ、あっはははははは」
泣き叫ぶ赤ん坊を抱いたまま、アイリは品のない高笑いをしている。
嫌がらせで茶会に招いた、あの時のように。
お茶、美味しい。お菓子、美味しい。
そんなふうに、アイリは喜び騒いでいたものだ。
「カップの持ち方から何から何まで、シェルミーネったら丁寧に教えてくれたわよね……勉強も……踊りだって、そう……なぁんにも知らない私に全部……シェルミーネが、付きっきりで教えてくれた……」
「私の得意分野で、精神的優位に立とうとしただけですわ」
「ブレック・ディラン殿は……」
とアイリが言うのは、御者をしていた若い騎士の事であろう。
「……御無事? 私のせいで、酷い目に……」
「命に、別状ありませんわ」
騎士ブレック・ディランは負傷し、呆然と地面に座り込んでいる。
生ける屍、であった。
王太子妃を、守る事が出来なかったのだ。
「お怪我を、なさったのよね……お願いよシェルミーネ、ブレック殿を助けて…………それと……」
泣き喚く赤ん坊を、アイリは弱々しく抱き締めた。
「……お願い……この子……を……」
消えゆく生命の炎を、己が子に注ぎ込んでいる。
そう見えた。
「命を……狙われてるの……」
「……見れば、わかりますわ」
「頼れる人……シェルミーネしか、思い浮かばなかった……ごめんね……」
「迷惑ですけど、まあ良いでしょう。出来る限りの事をいたしますわ。それはそれとしてアイリさん、この子には貴女がいなければ駄目」
「…………ごめん……ね……フェルナー……」
赤ん坊の名前、であろう。
「頼りない……何も出来ない、お母さんで……本当に、ごめんね……」
フェルナー・カナン・ヴィスケーノ王子の、泣き声が激しくなった。
母親が、遠くへ行ってしまう。それが、わかるのか。
「……もう謝らないで、アイリさん」
シェルミーネは言った。
「花嫁選びの祭典を、図々しさ厚かましさで勝ち抜いた……貴女らしく、ありませんわよ」
「言い方……」
アイリが、ちらりとシェルミーネを睨む。
そして、笑い出す。
忌々しい、笑顔だった。
シェルミーネが、どんな嫌がらせをしても、アイリが返してくるのは常にこの笑顔だった。
「私……シェルミーネに、舞踏会に誘われて……全然、踊れなくて……」
大勢の前で、恥をかかせた。
その程度で折れる心を、しかしアイリは持ち合わせていなかった。
「……シェルミーネが、私に……踊り、教えてくれて……2人きりのダンスパーティー、だったわね……」
「お馬鹿な一時でしたわ」
「うふふ……私ね、アラム様とは……何度も、踊った……」
アイリの瞳は、キラキラと輝いている。
「……でもね、あの時……シェルミーネと一緒に踊った、あの時の方が……楽しかった……」
「世迷い言も、いい加減になさい」
「みんなでキラキラしていた……みんなと、お友達になれた……花嫁選びの祭典……とっても、楽しかった……」
命の煌めきが、アイリの瞳の中に咲いた。
「…………シェルミーネ……私の大切な……私の、素敵な……お友達……」
そして、散った。
「…………嘘……冗談でしてよ? アイリさん……貴女の世迷い言、もっと聞かせて……」
シェルミーネは語りかけた。
応えは、ない。
急速に温もりの失せてゆく母親の身体に、フェルナー王子はしがみついている。
激しい泣き声は、もはやアイリには届かない。
「…………アイリ……さん……」
シェルミーネの声も、届かない。
馬車から少し離れた所で、ガロムが立ち尽くしている。
アイリの仇は、討ってくれたようだ。
ならば、シェルミーネのするべき事は何か。
復讐、ではない。
「……………………何を…………」
ここにはいない人物に、シェルミーネは語りかけていた。
「……して、おりますの? 一体……貴方が、この国を犠牲にしてでも……守らなければ、ならなかったもの……ありましてよ? ここに……」
復讐は、ガロムが済ませてくれた。
これ以上の犯人探しなど、するべきではない、のかも知れない。
ただ、問い詰めなければならない事はある。
「…………何故……守らなかったのか……一体、何をしていたのか……問いに行きますわよ」
死せる母、泣き叫ぶ赤児。
強靭な細腕で母子をもろともに抱き締めながら、シェルミーネは言った。
「お答えなさい、アラム・ヴィスケーノ……!」