第49話
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自分の武勇伝になってしまわぬよう気を付けて、ベルクリス・ゴルマーは語り続けた。
相手は、病弱な貴族女性である。
鎖鉄球を振り回し、人間を粉砕し続けた、脳漿や眼球が飛び散った……などという話にならぬよう、言葉は選んだ。
「そう……南の方では、そんな事が起こっていたのね」
イレーネ・ライアットが、重々しく息をついた。
彼女の息子である地方領主メレス・ライアット侯爵は、現在、執務中である。為政者として、真面目に仕事をしている。
ヴェルジア地方、リーネカフカ城。
それなりには贅が尽くされた応接間で、ベルクリスは領主の母君の話し相手を務めていた。
これまでの身の上話を乞われ、それが終わったところである。
聞き入っていたイレーネが、暗い声を発した。
「……辛いお話、させてしまって……ごめんなさい、ベルクリスさん」
「自分が死んだら笑い話にするように、ってのが親父の遺言でね」
父ボーゼル・ゴルマーは、そう言って叛乱を始めた。
まずは、クエルダ地方領主バラリス・ゴルディアック侯爵に戦を仕掛けた。
王国南部の旧帝国系勢力を、一掃するための戦である。
民を救うため。
その建前を、押し通すしかなかった。
実際それが通ってしまうほどの非道を、バラリス侯はクエルダ地方の民に対し、行っていたのだ。
ベルクリスにとっては、都合が良かった。
何をしても、どれほど殺戮を重ねても、クエルダの民には感謝をされてしまう。
やがてバラリスはベルクリスに討ち取られ、南方の旧帝国系勢力は壊滅した。
それを待っていたかのように、王国正規軍が攻め寄せて来た。
ゴルマー家の戦いが、叛乱と認定されたのだ。
ボーゼル・ゴルマーは、叛乱者として討伐された。
王国正規軍を率いていたのがアラム・ヴィスケーノ王子であった、という時点で、父にはもはや勝ち目はなかった。
ベルクリスは、そう思っている。
バラリスら旧帝国系領主によって虐げられていた南方の民は、ボーゼルを解放者として受け入れ、英雄と讃えた。
だが。アラム王子が討伐に来たと知るや掌を返し、ボーゼルを裏切った。
ゴルマー家の進軍経路や兵站に関する情報を、南方の民は先を競って王国正規軍に密告した。
人望において、ボーゼルはアラム王子の足下にも及ばなかった、という事だ。
何しろ、盟友ペギル・ゲラール侯爵までもが、最終的にはボーゼルを裏切ったのだ。
ゲラール家は、ゴルディアック家とは姻戚関係にあった。
ペギル侯の息女が、宰相ログレム・ゴルディアックの息子に嫁いでいる。子供も生まれている。
その姻戚関係を踏みにじってでもゴルディアック家に背き、ゴルマー家に協力をしてくれたペギル・ゲラールが、王国正規軍側に寝返ったのだ。
そしてゴルマー家は敗れ、ボーゼルは死んだ。
「あたしらに味方してくれた、あのドルフェッド・ゲーベルっておっさんがさ、とんでもないやり手でねえ」
ベルクリスは笑った。
あれは本当に、笑うしかない事態であった。
「旧帝国系の連中から、親父が分捕った領地……気がついたら片っ端から、あのハゲおっさんに押さえられちまってて、今じゃ全部ベレオヌス公爵の私有地さ。流れ者の義勇兵とか言ってたけど結局、最初っからそのつもりだったんだろうね」
バラリスら、南方の旧帝国系貴族が有していた領地。
それらは全て1度はボーゼルが領有し、彼の死後は王国の直轄領となったが、実質的には王弟ベレオヌス公爵の私有地である。
「まさか……」
血色の薄いイレーネの顔が、さらに青ざめた。
「貴女のお父上を、その……殺した、のも……?」
「ああ、それはない。親父が死んだって時には、ドルフェッドのおっさんもバカ息子も、あたしと一緒に行動してたからね」
あの時。ゲーベル父子と共に、ベルクリスはとある戦場にいた。
そこへ、ボーゼル・ゴルマー戦死の報が届いたのだ。
「親父が死んだところ、あたしは見たわけじゃないんだ。何しろ戦線がバラバラになっちゃってね、あたしは違う場所で戦ってた」
ベルクリスは言った。
「親父の奴、アラム王子と物凄い一騎打ちをやって……負けた、なんて話も聞こえてくるよ」
「お父上が……もしかしたら御存命かも知れない、とは?」
「うん。そういう希望はね、持っちゃいけないんだ基本的に」
ゴルマー家の軍勢は、総崩れになった。
ボーゼルが存命ならば、あり得ない事態であった。
「…………そう、なのよね」
イレーネが、さらに暗い声を発した。
「ごめんなさい、ベルクリスさん。私……本当に、訊いてはいけない事ばかり、訊いているわね……」
「そんな事ないけど」
ベルクリスは一瞬、躊躇った。
やがて言った。これは言わなければならない、と思った。
「イレーネさんって、もしかして……謝ってばっかりの人? 何かあったら、とりあえず謝っちゃう。自分が悪い事にして、収めようとしちゃう。それで上手くいく場合も、ないわけじゃないけど」
「…………夫にもね、同じ事を言われたわ。何度も、何度も」
イレーネは苦笑した。
苦笑と呼ぶには、あまりにも暗い笑顔だった。
「謝ってばかりの私に……あの人は結局、愛想を尽かしてしまった……」
「旦那さんの名前は、あたしも聞いてるよ」
シグルム・ライアット侯爵。
英傑として、知られた人物である。
「亡くなった、旦那さんの話……しちゃっても大丈夫?」
「私はね、もう気にしない事にしているの。夫が死んで、悲しくないわけではないけれど……触れないようにするというのは、何か違うわ」
暗い笑顔が、いくらかは明るくなった。
シグルム・ライアットは、武勇も英知も人格も全て備えた、完全無欠の人物であったと言われている。
あげつらうべき点を無理矢理にでも挙げるとしたら、それは奥方イレーネ夫人との不仲である、とも。
ゴルマー家の当主夫妻は、少なくとも息女ベルクリスの目には、熱愛とも言える関係にあった。
時折、目を覆いたくなるほどにだ。
このイレーネ夫人に、母はよく似ていた。たおやかで、身体があまり丈夫ではなかった。
「さっきも、ちょっと言ったけど。あたしの母さんって10年くらい前、病気で死んじゃってるんだよね」
言いつつ、ベルクリスは思う。
母が存命であれば。父ボーゼルは、叛乱など起こさなかっただろう。
王国南部の一地方領主として、病弱な妻を守りながら生涯を終える事を、躊躇わなかっただろう。
父は、母を愛していた。
母は父にとって、重石であった。
それが、失われたのだ。
ある意味ボーゼルは、妻から解放された、と言えるだろう。
「親父は……もう、母さんを守らなくても良くなったんだ。だから、あんな戦を起こす事も出来た」
ベルクリスは、イレーネを見つめた。
「イレーネさんは、どう? 旦那さんが死んじゃって……旦那さんから解放されたようなところ、あったりしない?」
「…………凄い事を言うのね、貴女は」
「頭にきた? じゃ、怒らなきゃ」
「怒らないわ」
イレーネの、口調も表情も、僅かずつ明るくなってゆく。
「貴女の言う通り、私……あの人から、確かにそうね。解放されたわ」
溜め込んでいる。
ベルクリスは、そう感じた。
「旦那さんに、不満……あったんじゃないの。色々と」
図々しさを承知の上で、ベルクリスは言った。
「あたしみたいな通りすがりに全部、吐き出しちゃうのも、ありだと思うよ」
「……ありがとう。でも、やめておくわ。死んだ人の悪口は、あまり言いたくないから」
悪口を溜め込んでいる、と白状してしまったようなものである。
「私の夫……シグルム・ライアットが、偉大な人物であったのは事実。尊敬もしているし、感謝もしている。本当よ? 私のような病弱で何も出来ない女が、今まで生きていられたのも、あの人のおかげだもの」
「そっか」
無理矢理に聞き出すような話では、なかった。
英傑と呼ばれた夫に対し、何かしら思うところがあったとしても。この女性は、それを墓の中まで持ってゆく決意を固めてしまったのだ。
シグルム・ライアット侯爵という人物に対しては、ベルクリスとしても、思うところが無いわけではなかった。花嫁選びの祭典、出場者としては。
「あたしらの出てた、例の祭典……運営、仕切ってたのシグルムさんで。審査めちゃめちゃ厳しかったんだよね。あたし、ほんと最初の方で落とされちゃってさあ」
「ふふっ……勝負事に関してはね、本当に厳しい人だったから」
「ま、あれだよね」
ベルクリスは左腕を曲げ、岩のような力瘤を作って見せた。
「こんな奴がさ、そもそもお妃選びの場所に出て来るなよって話にしか、ならないんだよねえ」
「私は、とても素敵だと思うわ。貴女の筋肉……羨ましい」
「そ、そう? ありがと。お世辞でも嬉しい」
ベルクリスは、卓上の菓子をがつがつと食らい、茶で流し込んだ。
「……本当、良かったと思うよ。ちゃんと審査してくれたおかげで、あたしの友達が優勝出来たし」
「アイリ・カナン妃殿下ね……1度は、お会いしたいわ」
ライアット家は、かつて王家と家族ぐるみの親交を持っていたという。
シグルム侯爵は国王エリオール・シオン・ヴィスケーノの片腕であり、侯爵の子息メレスは、アラム王子の親友であったという。
だが。花嫁選びの祭典、終了直後の頃。
王都で何かが起こり、シグルム・ライアットは死亡した。
ライアット家は、ヴェルジア地方へと遠ざけられた。
今、王都ガルドラントヘと戻ったところで、アイリ・カナン王太子妃に会う事は出来ない。
王宮に、アイリはいないのだ。
(アイリ……どこへ行けば、会える……?)
殺した。
あのシェルミーネ・グラークは、そんな世迷い言を吐いていたものだ。
あの悪役令嬢は、何かを隠している。
アイリ・カナンの失踪に関わりある何事かを、独力で片付けようとしている。
(あたしに協力を求めよう……なんて気はないよな、お前)
この場にいない悪役令嬢に、ベルクリスは語りかけていた。
(……あたしの方から声、かけてやろうか?)




