第48話
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娘は、男親に似るという。
自分は、この父親に似ているのか、それは幸せな事なのか、とベルクリス・ゴルマーは思った。
「良かったではないか、ベルよ。愛しのアラム王子に、また会えるかも知れんぞ?」
ニヤリと笑う厳つい髭面は、断じて自分と似てなどいない。
だが。
城壁の上に悠然と佇む、この筋骨たくましい巨体から、自分は確かに力を受け継いでいる。
ベルクリスは、そうも思う。
豪壮な甲冑が似合う、力強く魁偉なる容姿。
こうして佇んでいるだけで、兵士たちは、この男を信仰してしまう。
居るのかどうかもわからぬ唯一神とは違う、確かに実存する戦の神として。
ヴィスガルド王国南部、レナム地方。
執政府バルガラル城の城壁から、領主ボーゼル・ゴルマー侯爵は敵陣を見据え、見渡していた。
王国正規軍、公称3万。
逆賊ボーゼルを討伐するため、王都ガルドラントより派遣された軍勢である。
総司令官は、王太子アラム・エアリス・ヴィスケーノ。
およそ2年前ベルクリスは、この青年の妻となるために王都へ赴き、花嫁選びの祭典に出場した。
無論、目的はアラム王子などではなく、王家との血縁だ。
上手くすればゴルマー家は、未来の国王の外戚である。
そんな心づもりで勝てるわけがない。今にしてベルクリスは、そう思う。
純粋に、アラム王子だけを見つめていたアイリ・カナンに、自分などが勝てるわけはないのだ。
「アラム王子はさ……もう、アイリのものになっちまったんだよ。親父殿」
ベルクリスは言った。
「子供だって生まれたんだぞ? あーあ、顔見に行きたかったなあ」
「行かせてやるとも。勝って、王都へ攻め上るぞ」
ボーゼルの口調は、力強い。
「我らの武威を大いに見せつけ、無血開城をさせる。まあ、調略の類も必要となろうが」
領主父娘の近くに立つ男を、ボーゼルはちらりと見やった。
「それは貴公に任せるぞ、ペギル侯爵」
「……まずは、この戦に勝たねばなりません」
ボーゼルの巨体と好対照を成す、小柄な初老の男である。
ペギル・ゲラール侯爵。
ヴィスガルド王国最南、海の玄関口たるザウラン地方の領主で、ボーゼルの部下と言うよりは同盟者である。
「調略とは、すなわち交渉ですからな」
「我らに味方した方が得であるぞ、と思わせるのだな」
「王国正規軍を、退ける……その実績が、今後の交渉事には必要となります。この叛乱を最後まで続けるのであれば」
「そうか。俺には、まだ実績が足らぬか」
苦笑か嘲笑か判然としない笑みを、ボーゼルは浮かべた。
「旧帝国系の害虫どもを、いくらか大量に殺処分した……程度ではなあ。確かに、不足」
「親父殿は本当に、旧帝国系の連中が嫌いだよな。ま、わかるけど」
「なあベルよ。お前、なかなか豪快に仕留めてくれたな」
ボーゼルは本当に、嬉しそうである。
ベルクリスは、鎖を握った。
あの時、鎖から伝わって来た手応え。覚えている、忘れはしない。
ひと月ほど前ベルクリスは、少なくとも1人の旧帝国系貴族を殺害している。
ザウランに隣接する、クエルダ地方の領主。
バラリス・ゴルディアック侯爵。
王国宰相ログレム・ゴルディアックの、従兄弟に当たる人物である。
暴君であった。
ゴルディアック家の威光を背景に、好き放題をしていた。
民から重税を搾り取り、納められぬ者は殺し、その身内に女子供がいれば売り飛ばす。あるいは自身の享楽に用いて虐め殺す。
何とも、わかりやすい男ではあった。
王国南部の旧帝国系領主たちは、このバラリス侯爵を中心とする、ひとつの大勢力を成していた。
皆、バラリスによって暴政を許可されたかの如く民を虐げ、搾取に励んだ。
それだけでなく、ボーゼルやペギル侯といった、旧帝国系貴族ではない領主たちにまで、圧力をかけてくるようになった。
バラリスは、ペギル・ゲラール侯爵の持つ海上貿易の利権を特に執拗に狙っており、脅迫にも等しい事をしていたようである。
結果ペギルは、こうしてボーゼルと手を結ぶ事となった。
ゲラール家の財力を得る事で、ボーゼル・ゴルマーは叛乱に踏み切ったのだ。
いや、最初は叛乱ではなかった。
バラリスを中心とする王国南部の旧帝国勢力による暴虐から、民を救う。
そのための、言ってみれば正義の戦であった。
正義の戦である事を喧伝・強調し続けながら、ゴルマー家の軍勢は、南方の旧帝国系勢力を大いに蹂躙・虐殺した。
その先頭に立っていたのが、領主令嬢ベルクリス・ゴルマーである。
僅かな護衛部隊を引き連れて逃亡するバラリス侯爵を、とある戦場でベルクリスは捕捉した。
そして、鎖を振るったのだ。
泣き叫ぶバラリス侯の上半身が、鉄球に粉砕されて跡形もなくなった。
ああも容易く敵の中心人物を討ち取る事が出来たのは、自分の力によるものではない、とベルクリスは思っている。
運が良かった。それもある。
最大の要因は自軍の奮闘、そして援軍による加勢だ。
「おう」
ボーゼルが挨拶をした。
男が2人、城中からのしのしと石階段を上って来たところである。
猪のような男と、熊のような男。
父子であるという。
あの時の、援軍の指揮官だ。
流れ者の義勇兵の一団、と名乗ってはいたが。
「始まってしまいましたな、ボーゼル侯爵閣下」
猪のような男が言った。
頭髪のない脳天に刻み込まれた凄惨な傷跡に、ベルクリスは見入った。
この男たちが戦場に突っ込んで来た、あの時も、まずはこの傷跡が目に入ったものだ。
「うむ、始まってしまったよ。ドルフェッド殿」
ボーゼルが言う。
「貴公らのおかげで戦に勝てた、と思ったら休む間もなく次の戦だ。王国正規軍が、よもやこれほど迅速に動くとはな」
「我らなど、おらずとも勝てたでしょう。あの程度の敵、ゴルマー家の軍勢であれば」
言いつつドルフェッド・ゲーベルが、ベルクリスに視線を向けてくる。
「……お見事でございましたな、御令嬢」
「あんた方が来てくれたおかげさ。来てくれなかったら間違いなく、バラリスの野郎を取り逃がしていた」
ベルクリスは姿勢を正し、頭を下げた。
「本当に……ありがとう、助かったよ」
「おう小娘! てめえ、なかなかやるじゃねえか」
ゼノフェッド・ゲーベルが、熊の如く牙を剥いた。
「だが俺ぁ認めねえぞ。女が、戦場に出るなんざ」
「あんたら男は、それでいいと思う」
ベルクリスは微笑んだ。
「ゼノフェッド殿。あんたの戦いぶり、凄かったな」
「まだ暴れ足りねえよ」
王国正規軍・公称3万の布陣を、ゼノフェッドが睨み据える。
「なあ父ちゃん、あいつら皆殺しにしちまってイイんだろ? 俺がよ、今すぐカチ込んでやっからよぉおおおおお!」
「お、おい待てよ……」
ベリクリスは止めようとした。
この男、本気で城壁から飛び降りるつもりだ、と思えたからだ。
衝撃が、起こった。
ドルフェッドの拳が、ゼノフェッドの鳩尾に打ち込まれたのだ。
熊のような巨体がへし曲がり、倒れ、石畳の上でのたうち回る。
ベルクリスは息を呑んだ。
あまりにも、鮮やかな手並みだった。
「……ボーゼル侯。私は、貴殿が羨ましい」
ドルフェッドは言った。
「こちらの御令嬢は、武勇と礼節を兼ね備えておられる」
「はっはっは、良かったなあベルよ。お前、腕っ節以外で誉めてもらえたのは初めてだろう?」
「うるせえぞ、くそ親父」
言葉を返しつつベルクリスも、敵軍を見下ろし、見渡した。
これを率いているのは、アラム王子であるという。
あの祭典を勝ち抜いたとして、彼は果たして自分の何かを評価してくれただろうか、とベルクリスは思ってしまう。
思うだけにして、口では別の事を言った。
「……大変だよな、アラム王子も。こんな大軍のてっぺんに祭り上げられて。お飾りの大将を、きっちり務め上げなきゃいけない。王子様だってちゃんと働いてますよーっていう宣伝を」
「飾り物の総大将、と思われますか? 御令嬢」
ペギル侯爵が、言った。
「あの軍勢、民に略奪・暴行を一切働く事なく、ここに至っております。我らが結局のところ、このバルガラル城に立て籠もるしかなくなるほど迅速に」
「うむ。アラム・ヴィスケーノ王子、並々ならぬ統率力と言えるだろう」
ボーゼルが、敵将を讃えた。
「見よ、この軍勢……凄まじい覇気が、立ち昇っておる。末端の一兵卒に至るまで、覇気が満ち満ちておる。恐るべし! 公称3万、1人の例外もなく、アラム王子のために戦い死ぬ事を恐れておらぬ」
父のたくましい巨体にも、覇気が満ち満ちてゆくのを、ベルクリスは確かに見た。
光が、飛んで来た。
いくつもの火球と、何本もの電光。
王国正規軍の陣中から、城壁上のボーゼル1人を狙って放たれたのだ。
「うむ。魔法使いの部隊まで、揃えておるとはな」
言いつつボーゼルが、それら火球と電光を、力強い素手でことごとく打ち払った。まるで羽虫を追い払うように。
火の粉が、電光の飛沫が、弱々しく散る。
ボーゼルの分厚い掌が、覇気を帯びながら、攻撃魔法を粉砕したのだ。
「……嬉しくなるではないか。なりふり構わず、俺を殺しに来てくれるとは」
ボーゼルは笑い、そして吼えた。
「聴け、王国正規軍! 我らのした事、正義の戦いであったなどと言い訳はせぬ。おぬしらにしてみれば、叛乱でしかないのだからな。やって見せろアラム・ヴィスケーノ! 戦え、愛する者を故郷に残して来た戦士たちよ。王国の平和を乱す叛乱者として、このボーゼル・ゴルマーを討ち滅ぼすがいい! 出来るならばなあ!」
ベルクリスは震えた。
ペギル侯爵も、ゲーベル父子も、震えている。
ゼノフェッドの巨体すら、萎縮している。
バルガラル城を、いや戦場全域を揺るがす、大音声だった。
「ボーゼル・ゴルマー……まさしく乱世の英傑よ。生まれる時代を、いささか誤ったな」
ドルフェッドが呻く。
「ヴィスガルド王国を……戦による領土拡大が許された時代に、逆戻りさせてしまいかねん人物と言える」
「どうなさいますか、ドルフェッド殿」
ペギル侯爵が、問いかける。
「これまでの戦に関しては……民を虐げる南方の旧帝国系勢力を討滅するため、いわば民を救うための軍事行動であったと強弁を押し通す事が不可能ではありません。が、ここから先は王国正規軍との戦。言い逃れの出来ぬ叛乱です。それに与するとなれば、王弟ベレオヌス公爵のお立場が極めて危うくなりますぞ」
「さて、何のお話でございましょうか」
ドルフェッドが、不敵に笑う。
「我らは単なる、流れ者の義勇兵です。王弟? ベレオヌス公爵? そのような御仁とは、いささかも関わりございませんな」
「……なるほど」
ペギルは、小さく息をついた。
旧帝国系貴族の、ささやかな落ち度を咎め立て、所領や利権を奪い取る。
王弟ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノ公爵が、そのような手段で私腹を肥やしている、という話はベルクリスも聞いていた。
このゲーベル父子が、その手段の実行者であるのは、間違いないところであろう。
バラリス・ゴルディアックには、ささやかな落ち度どころではない問題があった。
彼を中心とする南方の旧帝国系勢力が有していたものは、領地も利権も全てボーゼル・ゴルマーが奪い取ったわけであるが、このまま王国正規軍と戦うとなれば、勝敗次第で、その全てをベレオヌス公に横取りされてしまいかねない。
ペギルは、それを警戒しているのだ。
「……ボーゼル侯、今ならば間に合います。アラム王子は、話し合いに応じてくれるでしょう」
「この戦はここまでにしろ、と言うのだな」
ボーゼルは、ペギルの言わんとするところを理解していた。
「今ならば、まだ……旧帝国系の害虫どもから南方の民を救った、という形で終わらせる事が出来る。奴らから奪い取った領地、いくらかは王国に返す事となろうが大半は我らのものとなる」
悪い話ではない、とベルクリスは思う。
父はその道を選ばないだろう、とも思う。
「……ペギル侯。俺はな、この戦いで確信に至ったのだ」
ボーゼルは言った。
「旧帝国系貴族という害虫ども、滅ぼさねばならぬ。1匹も生かしておいてはならぬ」
城壁上から王国正規軍を見据える両眼が、燃え上がっていた。
「アラム王子が英傑である事は認めよう。だがな、その英傑の力をもってしても……旧帝国系貴族を、滅ぼす事は出来ぬ。それほどまでに、あの者どもは根深く、広く、この国に蔓延っておる。いかに英傑であろうと、王族である限り、あやつらとは妥協せざるを得ない。それでは駄目なのだよ」
覇気、だけではない。
憎悪にも等しい憤怒の念を、ボーゼルは燃やしていた。
「俺がアラム王子を退け、王都を奪う。そして旧帝国貴族どもを殺し尽くす。先程は無血開城などと言ったがな、あやつらの血だけは一滴残らず、ぶちまけねばならぬ」




