第44話
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「……やりますねぇ、あの人たち」
マローヌ・レネクが、何やら楽しげである。
王弟公爵ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノの殺害に、今にも失敗しそうだと言うのにだ。
「さすがベレオヌス公、お強い兵隊さんを雇っていらっしゃいます。特に、あの身体おっきい人とハゲたおじさん。うちのクルルグ君とも、いい勝負が出来ますよ。ああん欲しい」
ドルフェッド・ゲーベルとゼノフェッド・ゲーベルの父子は、ベレオヌスの飼っている荒くれ用心棒たちの中でも、最強の狂犬である。
王弟公爵による暴虐の実行員として民を蹂躙する、無法者の親子。
かつて自分サリック・トーランドが領主として治めていたケルガド地方も、数年前、この2人によって強奪された。
あの時。ケルガド地方領主の城に押し入って来たゲーベル父子は、たった2人で城兵を蹴散らし、サリックを捕縛した。
税収の横領。それが、罪状であった。
税として民から徴収したものを、サリックは確かに、ほんの少しだけ、私財の蔵に流し入れていた。
大したものではない。
ゴルディアック家が、税務官クルバート・コルベムを用いて大々的に行っていた着服横領と比べたら、話にならぬほど、ささやかなものである。
貴族であれば皆、している事だ。
そんなものを勝手に罪状と定め、身柄拘束を強行し、一方的に裁判を行う。
正式な司法手続きの、形だけは強引に整えた上でだ。
それが、出来てしまう。誰も咎められない。
咎めた者は、罪状をでっち上げられてゲーベル父子に捕縛され、運が悪ければ、そのまま処刑される。
それが、王弟ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノ公爵という人物であった。
サリックは、辛うじて処刑は免れたものの、領主の身分を剥奪された。
そしてトーランド家が元々王都に持っていた、この邸宅での隠居に等しい暮らしを余儀なくされた。
旧帝国系貴族筆頭たるゴルディアック家は、同じ旧帝国系貴族であるサリック・トーランドを、助けてはくれなかったのだ。
ベレオヌスを相手に事を構える選択を、避けたのだろう。
ケルガド地方は、ベレオヌスの直轄領となった。
あの男は、そのようにして、旧帝国系貴族から所領を奪い、利権を奪い、私腹を肥やしている。
暴君の行い、と言って良いだろう。
暴力装置として、それを支えているのが、このゲーベル父子であった。
マローヌ・レネクの召喚した怪物の群れを、父ドルフェッド・ゲーベルが槌矛と盾で粉砕する。息子ゼノフェッド・ゲーベルが、戦斧で片っ端から叩き斬ってゆく。
その様が、ここトーランド邸の大広間で、鏡像の如く再現されていた。
「言い忘れてましたけど」
マローヌが、頼んでもいない説明を始めた。
「私の左目、ちょっと特殊でして。視力はありません。代わりに、ね……召喚した連中が何をやってるのか、こうやって空間に映し出す事が出来るんです」
「……現在ベレオヌスの私邸で起こってる事を、嘘偽りなく、我々に伝えてくれているのだな」
サリックは言った。
「つまりマローヌ嬢……貴女の放った異形のものどもが、ベレオヌス殺害に成功していないという事ではないのか」
「だ、大丈夫なのか……」
大広間に集まった旧帝国系貴族たちが、騒ぎ始める。
「ベレオヌスの方から、こちらが見えているという事はないのだろうな……」
「我らの仕業と、発覚する事はないのだろうな!」
「わ、我々は関係ないぞ! マローヌ・レネクとやら、お前が勝手にやっている事だ」
黒薔薇党の、党員。
サリックと同じく、ベレオヌスに所領・利権を奪われ、ゴルディアック家に見捨てられた、旧帝国系貴族の集団。
全員に向かって、マローヌは言った。
「お静かに。私の召喚出来る戦力が、この程度のはずはないでしょう? まあ想定外、予想以上に手強い抵抗に遭ったのは認めますが……あらあら、こんな人まで来ちゃったのね」
こんな人、と呼ばれた剣士が、ゲーベル父子に加勢していた。
左右2本の牙剣で、異形の怪物たちを叩き潰してゆく。
サリックは、目を見張った。
顔に傷跡のある、凶相の若者。
間違いない。先日、レオゲルド・ディラン伯爵の邸宅で、会話はなかったものの顔は合わせた。
シェルミーネ・グラークの引き連れていた、若き兵士である。
「ゲンペスト城で……あの悪役令嬢ちゃんと、一緒にいた人じゃないの」
マローヌも、顔は知っているようである。
「クルルグ君でも黒騎士さんでも仕留められなかった……ふん、この人がいるって事は何。あの悪役令嬢が、ベレオヌス公爵に味方してるって事?」
グラーク家が、ベレオヌスと手を結ぶ。あり得ぬ事態ではない、とサリックは思う。
所領が大きく削られた、とは言えグラーク家の武威と声望は、地方貴族の中では圧倒的だ。
「……ま、それはともかく。そこにいる人間テキトーに食べちゃっていいよー、で召喚出来るような下等な連中で、どうにかなるような戦いじゃないって事」
マローヌが、形良い左右の繊手で、ゆらりと印を結んだ。
「……こっちも、惜しまず切り札を出しましょうか」
美しいとは言える顔立ちが、ニヤリと歪む。
「ねえ、黒薔薇党の方々……最悪の場合、生贄が必要になりますから。覚悟、決めといて下さいね?」
「な、なななな、何を言っている……」
サリックは、青ざめた。
「我々を……生贄にして、何かを召喚しようと言うのか……」
「うふふ、冗談。冗談」
マローヌが、本当に冗談を言っているのかどうかは、わからない。
「召喚の対価はね、もう前払いしてありますから。魔界の方々っていうのは人間と違って、約束事は必ず守ってくれます。契約は、絶対なんです」
何かが、ベレオヌス邸に出現しつつある。
とてつもなく禍々しい、何かが。
素人であるサリックにも、それはわかった。
「魔界の、とある偉大な御方と……私、契約をしました。色々なものを前払いしました。それに見合う事は、していただけるはずです」
「色々なものを……前払い、だと……」
人を大勢、殺したのか。大勢の生贄を、用意したのか。
いや、違う。
サリックは何となく、確信に至った。
「マローヌ嬢、貴女は……」
左目が見えない。彼女は、そう言っていた。
視力を失った代わりに、このようなものを映し出す事が出来ると。
「……左目、だけじゃありませんよ」
左の眼窩に埋まった、眼球ではない何かを、マローヌは仄かに発光させている。
「私の身体……色々な部分を、偉大な御方に前払いしてあります。今から私が召喚するのは、その御方の分身体です。影、みたいなものです。偉大なる影を、この世界にとどめるため……私は、全身全霊で精神集中をしなければいけません。いいですか、くれぐれも邪魔はしないように」
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「さすが、尚武の誉れ高きグラーク家の戦士よな」
王弟ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノ公爵が、上機嫌である。
「見事であったぞ、ガロム・ザグ。ふふ、この私もまだまだ唯一神には見放されておらぬ。よもや……そなたのような勇者が偶然、我が家の近くを通りがかってくれるとは」
ベレオヌス公爵の私邸。豪壮広大なる、庭園である。
兵士たちがガロムを囲み、あらゆる方向から長剣を、槍を、突き付けてくる。
異形の怪物たちは殺し尽くされ、庭園の各所にぶちまけられている。
その殺戮に、ガロムは後から参加した。
この兵士らは、最初から戦い、王弟公爵を守り抜いたのだ。
グラーク家の軍勢にも劣らぬ、精強そのものの兵士たちである。
彼らの後方から、ベレオヌスが声を投げてくる。
「どうかな、ガロムよ。偶然、この館の近くを通り、騒ぎを聞き付け、押し入って来たと……飽くまで偶然であると、言い張ってみるか?」
王弟公爵の左右には、あの2人がいた。猪と熊の父子。
ドルフェッド・ゲーベルと、ゼノフェッド・ゲーベル。
この両名がいる以上、自分が助けになど入る必要はなかっただろう、とガロムは思う。ベレオヌス公は必ず守られた。
兵士の何名かは、死んでいたかも知れないが。
「レオゲルド卿に、何か命ぜられて来たのか? 例えば……私の命を、奪うようにと」
ベレオヌスが言った。
「あの男は、今や腑抜けの極みと言うべき旧帝国系貴族の中にあって……なかなかの傑物。武勇も胆力も、才覚もある。野心も、あったとして不思議はない」
「……レオゲルド伯爵は、関係ありません」
ガロムは、ようやく言葉を発した。
「俺自身の意思で、来ました。ベレオヌス公……俺は、貴方に用があります」
ベレオヌスが何かを言う前に、ゼノフェッドが牙を剥く。
「てめえ……!」
「まあ待て」
ガロムは言った。
「まだ、終わったわけじゃあない……あんたなら、とうの昔に気付いているだろ」
「クソガキがあっ! てめえが、テメーが連れて来やがったんかゴラァア!」
「そんなわけがあるか……!」
左右の牙剣を、ガロムは構えた。
兵士たちは、すでにガロムを包囲から解放し、ベレオヌスの盾となる陣形を組んでいる。動きが速い。
『……約定に、従おう。人間の娘よ』
声を発する何かが、そこに出現していた。
『そなたの肉体は、今や半分近くが私のもの……それに見合うだけの事はする。さあ、私の存在を、この世界に留め続けるが良い。契約を果たそう』




