第43話
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生まれつき、腕力には秀でていたようだ。
その優れた腕力を、どう使うのか。
人を殴る。
自分が良い暮らしをするためには結局、それが最も効果的なのだという事を、ドルフェッド・ゲーベルは父親から学んだ。
本当に、よく殴られた。
感謝を籠めて、ドルフェッドは父を殴り殺した。
息子が成長期にあり、自身は衰えつつある。それを、あの父親は理解していなかったのだ。
少年ドルフェッドは住む場所を失い、貧民街を彷徨った。
そこで、1人の女に拾われた。
身体を売りながら、ドルフェッドを養ってくれた。
彼女を守るために、どうすれば良いか。
自分の唯一の取り柄である腕力を、ひたすら鍛え、活かすしかない。ドルフェッドは、そう考えた。
素手では限界がある。
ドルフェッドは、棍棒で相手を撲殺する技術を磨いた。鍛錬と実戦で、磨き抜いた。
それが、齢50歳に迫る現在も生き続けている。
今ドルフェッドの右手にあるのは、あの頃の粗雑な棍棒ではなく、鋼の槌矛である。
それが唸りを発し、怪物を打ち砕く。原形を失った屍が、飛散する。
怪物、としか言いようのない敵であった。
筋張った長身痩躯、皮膜の翼。短剣のような鉤爪と牙。
そんな異形が、様々な方向から襲い来る。
左腕に装着した盾で、ドルフェッドは防いだ。
金属製の棘を生やした、円形の盾。
それが、襲い来る鉤爪や牙を、弾き返し、砕き折る。
防御と同時の、攻撃であった。
棘のある盾で、ドルフェッドは怪物たちを粉砕し続ける。潰れた屍が、ぐしゃりと盾に貼り付いた。
ある時、起こるはずのない事が起こった。
どれほど大勢の客を取っても決して身ごもる事のなかった彼女が、ドルフェッドの子供を産んだのだ。
別に誰の子供でも構わない、とドルフェッドは思っていたが、その赤ん坊が成長するにつれ、確信に至った。
これは自分の息子である、と。
自分が殴り殺した、あの父親に、そっくりであったからだ。
咆哮が、轟いた。
熊のような巨体が、地響きを立て、突進して行く。おぞましいものの群れへと向かってだ。
別種の、怪物たちであった。
ほぼ人体ひとつ分の、臓物の塊。
そう見える肉体のあちこちから腸管が伸びてうねり、蟲のように牙を剥いている。
そんな醜怪なるものの群れに、熊のような大男は突っ込んで行った。
全方向から噛み付いて来る無数の腸管を、戦斧で薙ぎ払う。
大型の戦斧が、両の豪腕に振り回されて暴風を巻き起こし、怪物の群れを叩き斬ってゆく。
臓物のようなものたちが、殺戮の暴風に粉砕され、飛び散り続けた。
今のゼノフェッド・ゲーベルは、殺戮の嵐であった。
父が自分を殴ったように、ドルフェッドも常日頃、この息子に暴力を振るっている。
父を、今はもう憎んではいない。
子供は結局のところ殴って言う事を聞かせるのが最も面倒が少ないと、このゼノフェッドという信じ難いほど愚かな息子を育てながら、自分も理解したものである。
いずれ自分も、祖父によく似た、この息子に殴り殺される。
それはそれで仕方がない、とドルフェッドは思う。
思いながら、槌矛を叩き込む。
ぐしゃり、と手応えがあった。
鉤爪で斬りかかって来た怪物が、潰れ散っていた。
乳離れをした頃に、ゼノフェッドは母親を失った。
彼女が何故、殺されたのか、細かな事をドルフェッドは知らない。
彼女が、何かしら貧民街の掟に抵触するような事をした、のは間違いない。
そのような掟を定めたのは、当時その区域で女たちを管理していた顔役の1人である。
顔役は、ゼノフェッドの母親を、違反者として処刑したのだ。
その顔役を、ドルフェッドは叩き殺した。このようにだ。
翼ある怪物たちが、槌矛の一撃で、ことごとく粉砕されてゆく。
あの時も、顔役の用心棒たちを、こんなふうに殺し尽くしたものだ。
ドルフェッドは新しい顔役となり、貧民街で、それなりの勢力を持つに至った。
やがて王弟ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノ公爵に見出され、雇われる事となる。
ベレオヌス公の私邸。庭園。
翼ある怪物、牙ある腸管をうねらせる異形……醜悪な、人ならざる刺客の大群が、ベレオヌスに襲いかかろうとして阻まれている。
庭園各所に配置されていた、兵士たちによって。
盾で、槍で、長剣で、彼らは鉤爪や腸管を防ぎ、弾き返し、怪物たちを鮮やかに殺戮してゆく。
全員、ドルフェッドが鍛え上げた。精鋭と言っていいだろう。
「そなた自らが、そう気張る事もなかろう。ドルフェッドよ」
背後から、声をかけられた。
王弟公爵ベレオヌスの肥満体が、そこに悠然と佇んでいる。
「見よ、そなたの息子も部下たちもよく戦っておる。私を守ってくれる、最強無敵の警備兵団よ……何か、名前が必要だとは思わぬか?」
「考える! 俺、考えます!」
ゼノフェッドが叫びながら、人外の刺客たちを戦斧で叩き割り、噴出する体液を浴び続ける。
「えーと、最強血みどろ軍団! どいつもこいつもブチ殺し隊! 皆殺し野郎ども! それから、それから、うおおっ」
爆発が起こり、ゼノフェッドの巨体がよろめいた。
爆発を引き起こす何かが、ぶつかったのだ。
魔力の、射撃。
破壊力そのものと化した魔力が、閃光となって射出されたのである。
ゼノフェッドは、辛うじて気力で防御したようだ。
気力の発現が出来ない、普通の人間であれば、灼き殺されている。
そんな魔力光線が、横向きの雨となって降り注ぐ。
「王弟殿下、お下がりを……」
ドルフェッドは左腕の盾に気力をまとわせ、魔力の閃光を防いだ。
破壊力の光線が、3本、5本、棘のある盾にぶつかって砕け散る。
ドルフェッドの周囲で兵士たちが、同じく気合いの光を帯びた槍・長剣・盾で、降り注ぐ魔力光線の雨を防ぎ弾く。
全員で、ベレオヌスの巨大な肥満体を防護する。
3種類目の怪物が、出現していた。
眼球である。
何本もの視神経を樹木の形に束ねて直立する、巨大な眼球。人間ほどの大きさで、部隊規模の群れを成している。
それらの瞳から、破壊の魔力が光線状に放たれているのだ。
「これまで私は、幾度も命を狙われてきたが……」
ベレオヌスが、暢気な声を発している。
「……今回の相手が、最も本気かも知れんな。よもや、人間ではないものどもを送り込んで来るとは。黒薔薇党……一体、何者を味方に引き入れたのやら」
「あの者ども……やはり、生かしてはおけませぬ」
ひときわ激烈な魔力光線を盾で受け、歯を食いしばりながら、ドルフェッドは呻いた。
防御に専念せざるを得ない兵士たちの頭上を、翼ある怪物たちが飛び越えてゆく。
鉤爪の斬撃が無数、ベレオヌスに降り注ぐ……かと見えた瞬間。
「させねえ!」
ゼノフェッドの巨体が跳躍し、空中で殺戮の嵐となった。
大型の戦斧が暴風を巻き起こし、翼ある怪物たちを叩き斬っていた。
様々なものが飛散し、ビチャビチャと庭園に降り注ぐ。
破壊の眼光が、空中のゼノフェッドを直撃した。
何体かの直立眼球による、魔力光線の狙撃。
微量の鮮血と、気力の光の白い飛沫を散らせながら、ゼノフェッドが庭園に墜落する。
即座に起き上がり、頑強な歯を食いしばって戦斧を構え直す。
直立眼球たちが、そこへ破壊光線の狙いを定めながら、ことごとく破裂していた。
ゼノフェッドが驚愕し、息を呑む。
獣の牙。
それが一瞬、ドルフェッドには見えた。
獣の牙が荒れ狂い、直立眼球たちを片っ端から粉砕してゆく。どろりとした破片が、大量に飛び散る。
「ほう……」
ベレオヌスが、興味深げな声を漏らす。
獣の牙を生やした武器。
牙剣が、荒れ狂っていた。
左右それぞれの手で、2本の牙剣を振るう若者。
大柄ではないが、がっしりと力強い身体は、戦場において驚異的な耐久力を示すだろう、とドルフェッドは見た。
「てめえ……!」
ゼノフェッドが叫びかける。
牙剣を振るう若者は、直立眼球を次々と粉砕しながら、無言で睨み返す。
傷跡のある顔面には、燃え盛るような敵意が漲っている。
殺さなければならない、とドルフェッドは思った。
自分たちを助けてくれた。そのような事は関係ない。
この怪物たちを殺し尽くす、その巻き添えで、この若者を始末する。必ず、そうしなければ。
ベレオヌス公の身に、危険が及ぶ。
人外の刺客の群れ、などよりも、このガロム・ザグは遥かに危険な存在なのだ。
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「え……ぇと、あの……」
シェルミーネ・グラークは思わず、そんな声を発していた。
悪質な冗談、としか思えぬ事態であった。
とりあえず、微笑んでみる。
「……失礼、ちょっとよく聞こえませんでしたわ。レオゲルド卿、申し訳ございませんけれど……もう1度、おっしゃって下さいません?」
「いいとも。よくお聞きなさい、シェルミーネ嬢」
この邸宅の主レオゲルド・ディラン伯爵が、冗談とも思えぬ口調で繰り返した。
「ガロム・ザグは私が追い出した。放逐した。私に対する、いささか許し難い非礼があったのでな」
「……………………殿方お2人で一体、何を企んでいらっしゃいますの?」
シェルミーネは冷静さを保った、つもりであるが、上手くいったかどうかはわからない。
「…………私に、内緒で……何を?」
「私は感心しているのだよ、貴女の巧みな振る舞いに」
レオゲルドは言った。
「王弟ベレオヌスのもとへ赴き、潜入し、アイリ・カナンに関する様々な物事を探り出す……ガロムが己の意志でそれを行うよう、実に見事に仕向けたものではないかシェルミーネ嬢。いやはや、まさしく悪役令嬢と言えような」




