第41話
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わかりやすい男、ではあった。
小太りの全身から、傲慢さが溢れ出している。
旧帝国貴族の、典型例と言うべき人物であった。
「……カルネード・ゴルディアックである。王弟公爵殿下、この私を自宅に呼びつけるとは、いささか無礼が過ぎるのではないか?」
「ふふふ、許されよ。ゴルディアック家の豪邸はな、私にとって恐ろしい場所なのだ」
ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノは、笑いかけた。
「何しろ、私はゴルディアック家の方々には嫌われ過ぎている……私と、いくらかなりとも親しく会話をして下さるのはカルネード伯爵、貴公のお父上だけだ」
「父ログレムの行状に関し、話があるそうだな」
ベレオヌスの私邸。
先日は、ここでグラーク家の令嬢を饗応した。
本日は、王国宰相ログレム・ゴルディアック侯爵の子息を招いている。
「我らゴルディアック家にとっても一大事、と思うからこそ貴公の招きに応じたのだ。つまらぬ話であれば容赦はせぬぞ、栄光ある帝国貴族筆頭たる私が」
「ほう……容赦しねえなら、どうする」
カルネード・ゴルディアックの小太りな身体が、宙に浮いた。
巨漢の兵士ゼノフェッド・ゲーベルに、胸ぐらを掴まれていた。
「どう容赦しねえ? ベレオヌス殿下に何やらかす気でいる? そいつを、まず俺にやってみろ。今ここでだ」
「ひ……な、何……」
「てめえをな、頭カチ割ってハラワタぶちまけて犬に食わせるか、綺麗な死体を残してやるかは、それで決める。オラやってみろ、容赦しねえならどーするコラ!」
「ひっ、ひぃいいいいいい!」
カルネードが悲鳴を上げ、そしてゼノフェッドの巨体が前屈みにズドンとへし曲がった。
禿げ上がった、猪のような男が、ゼノフェッドの鳩尾に拳を打ち込んでいた。
熊の如き巨体が、床に倒れ込み、のたうち回る。
カルネードが尻餅をつき、小便の飛沫を飛ばした。失禁していた。
ドルフェッド・ゲーベルとゼノフェッド・ゲーベル。
この父子をベレオヌスが貧民街で拾ったのは、ゼノフェッドがまだ幼い頃である。
父は、獣だった。息子を育てるため、何でもしていた。
それを見て育った息子も、また獣となった。
「珍しい動物を御覧になって、驚かれたようだな。カルネード伯爵」
自身の小便にまみれ、青ざめている41歳の男を、ベレオヌスは寝椅子の上から見下ろした。
「人の形をした獣という、世にも珍しい動物だ。獣ゆえ、礼儀作法の類を身に付けさせるのは最初から諦めておる。人である貴公の方が、広い心を持たねばならぬぞ」
「……わ……わわ、私に……」
カルネードが、どうにか聞き取れる声を発する。
「私に、このような無礼……どうなるか、わかっているのであろうな……!」
「うむ、そうだなあ。宰相閣下の御子息に、無礼を働いてしまった。私は後程、酷い目に遭うやも知れぬ」
ベレオヌスは言った。
「しかしなあ、カルネード卿。今現在この場において、ゴルディアック家が貴殿を助けてくれるわけではない。まずは、その現実を受け入れる事だ」
言いつつ、ドルフェッドに微かな目配せを送る。
恭しく頷いたドルフェッドが、軽く片手を掲げる。
様々なものが、広壮な天井から落ちて来た。
彫刻の施された柱や、豪奢な調度品の陰から、倒れ込んで来た。
血が、大広間のあちこちを汚した。小便よりましだ、とベレオヌスは思う事にした。
黒装束に身を包んだ男たちの、屍であった。全員、抜き身の剣を手にしている。
その剣でカルネードを護衛し、場合によってはベレオヌスを切り刻む、はずであったのだろう。
「ひっ、ひぃうっ! うあぁああああああああ!」
カルネードが悲鳴を上げ、ベレオヌスは暢気な声を発した。
「まったく、ゼビエル老にも困ったものだ。お孫の身を案ずるあまり……暗殺者の類を他人の家に入り込ませるような無法を、平気で働く。20年ほど前は今少し、分別ある御方であられたのだが」
広い室内あちこちに、人影が着地していた。軽めの甲冑、それに槍や剣で武装した男たち。
警備隊長ドルフェッド・ゲーベル配下の、兵士たちである。
「ひとつ申し伝えておこう、カルネード卿」
ベレオヌスは言った。
「私は臆病者だ。今の貴公よりも、ずっと臆病なのだ。ここヴィスガルド王国で最も臆病な人間、それが私ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノである。常に、命の危険に怯えている。誰も彼もが自分を殺しに来る、と思い込んでいる。出会う人間ことごとくが刺客に見えてしまう。己の身を守るためには、なりふり構わぬ……ゲーベル父子の率いる、我が家の警備隊はな、王国最強の戦闘集団と言って過言ではなかろう。私が金に糸目を付けず、あちこちから引き抜いた者たちだ。そこいらの暗殺業者を数だけ集めたところで、私は切り傷ひとつ負わぬ。覚えておくが良い」
カルネードは、何も応えない。怯え震え、舌や声帯まで凍り付かせている。
怯えた目が、ベレオヌスといくらか離れて寝椅子に座る、1人の男に向けられた。
カルネードを、この豪邸に連れて来た男。
恐らくは、男であろう。闇色のローブに身を包み、フードの内側に陰影を溜め、その中で眼光を点した人物。
カルネードは、彼に助けを求めているようである。
だが微動だにしない人物に、ベレオヌスは声を投げた。
「ゴルディアック家の御曹司に、無礼を働いた私を……咎めはしないのか? ジュラード殿」
「ゴルディアック家の御曹司なればこそ、でございますよ」
ジュラードは言った。
「ゼビエル老のなさりようが、ベレオヌス殿下には通用しないという現実。それをまず、この方には学んでいただかねばなりません」
「あの御老人には、ログレム宰相閣下も随分と手を焼いておられるようだな」
旧帝国貴族の妄執、そのものと言うべき老人である。
「……そうだな、ジュラード殿の申される通り。他人の家に暗殺者を送り込むようなやり方が、いつまでも通用するものではない。私も少し、やりようを改めねばなるまいか」
「人は、死ぬ時は道を歩いただけで死にます。死なぬ時は、数千人の暗殺者を送り込んだところで死にはしません」
ジュラードが言い、カルネードの方を見た。
「ところで、王弟殿下……」
「おお、そうであったな。ログレム宰相閣下の御子息を、わざわざお招きしたのは……大切な話を、するためであった」
ベレオヌスも、カルネードを見据えた。
「貴公らゴルディアック家に関しては、税収横領の嫌疑が持ち上がっておる……のうカルネード伯爵。ドメリア地方を、ご存じか」
ベレオヌスが地名を口にした瞬間、カルネードの青ざめた顔から、さらに血の気が失せた。
「それにエルナス地方、ガルガット地方……これら3つの地方において、物産・商業の利益と税収との間に、黙認し難い計算誤りが確認された。あのクルバート・コルベム税務官であれば、このような誤りを犯す事はなかったであろう。帳簿に記す数字の操作を、彼ならば完璧に行ってのけたはずだ。だからこそ我々も、長らく証拠を掴む事が出来なかったのだが」
全て、ジュラードが調べ上げた事である。
「クルバート卿の手を介さず、独力で……税収の着服をしでかした者がいる。私は、そう見ている。自分1人だけの取り分が欲しかったのだろうなあ。気持ちは大いにわかる。カルネード伯爵は、どう思われる?」
「……………………皆……している事、ではないか……」
カルネードが、細い声を漏らした。
嘘をつき通す気力を、すでに失っている。
「私だけが……何故、してはいけないのだ……」
「私腹を肥やすにも、やり方というものがある。税収には、手を付けるべきではないな」
ベレオヌスは、声を優しくした。
「税収は、何しろ民の不満に直結する。まあ良い、よくぞ正直に話して下された」
召使いが大勢、静々と大広間に集まり入って来た。
「この私もな、ログレム宰相閣下には常日頃、お世話になっている身だ。御子息のために、出来る事はさせていただく。万事このベレオヌスにお任せ下されば良い。まずは、お召し物を変えられよ」
召使いたちが、小便まみれのカルネードを手際良く連れ出して行く。あるいは、暗殺者たちの屍を運び出して行く。
見送りながら、ベレオヌスは言った。
「……のうジュラード殿。ゴルディアック家の方々は、クルバート・コルベムの身柄確保もしくは暗殺のみに、躍起になっておられるようだな」
「かの御仁は、何しろゴルディアック家直属の不正担当者と言っても過言ではありません。彼を介して横領したものは、ことごとくゴルディアック家全体の財となる……王弟殿下のおっしゃる通り、己1人の取り分を獲得せんと思うならば、クルバート卿に頼らず自力で金の流れを動かすしかありません」
「素人に出来る事ではない。見事にぼろを出してくれたな、カルネード伯爵」
ドメリア地方、エルナス地方、ガルガット地方。
全て、ゴルディアック家と関わり深い旧帝国系貴族が領主として赴任している土地である。
「さて。ログレム宰相、並びにゴルディアック家は、どう出るであろうか」
「ログレム閣下は、恐らく御子息を庇おうとはなさいません。ですがゼビエル老ならば」
「孫を守ろうとする、か」
愚かな孫の道連れとして、ゴルディアック家全体の凋落を招いてくれるか。
そこまでは、ベレオヌスは口にしなかった。
「私めは、これにて……」
ジュラードが、寝椅子から立ち上がった。
「ベレオヌス殿下……ゴルディアック家は、腐れ果てております」
「ゆえに貴公、長らく仕えたゴルディアック家を裏切り、私に協力をしてくれるのか」
「私がお仕えしておりますのは……ログレム・ゴルディアック宰相閣下ご本人に、でございますよ。あの方がいらっしゃらねばゴルディアック家など、腐りかけた大木に過ぎませぬ」
「自重を支えられず、勝手に倒れて朽ち果てる……か」
ベレオヌスは言った。
ジュラードはもはや何も言わず、立ち去った。




