第39話
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シェルミーネ・グラークの優美な細身が、軽やかに舞う。
馬の尾の形に束ねられた金髪が、ふわりと弧を描く。
それに合わせて、いくつもの光が一閃していた。
斬撃だった。
斬撃の閃光が、男たちを薙ぎ払う。
血は流れず、火花が散った。
男たちの持つ短めの剣が、ことごとく叩き折られていた。
得物を失い、尻餅をついた男たちに、シェルミーネが声を投げる。
「ここまでになさいませ。私、性根の腐り果てた悪役令嬢ですけれども……ミリエラさんの目の前で、これ以上、弱い者いじめをする気にはなりませんわ」
ディラン家の邸宅。
中庭の片隅で、食客であるクルバート・コルベム元伯爵と、その娘ミリエラが身を寄せ合っていた。
怯えているのは父クルバートの方で、幼い娘の可憐な細腕に優しく抱き撫でられているようにも見える。
この父娘が、襲われた。ディラン家の敷地内でだ。
押し入って来て凶行に及ぼうとした男たちが、叩きのめされたところである。
ディラン家の、食客と言うより傭兵か用心棒に近い立場にある、若き主従によってだ。
グラーク家令嬢シェルミーネ・グラークと、兵士ガロム・ザグ。
この両名のおかげで、自分レオゲルド・ディランの出番は全く無かった。
ディラン家の当主である自分が、自ら剣を振るって客人を守る。
そうして良い顔をする機会は、残念ながら失われた。
ガロムの周囲でも、同じく得物を叩き折られた男たちが、倒れたり座り込んで呻いたりしている。
深刻な負傷をしている者はいない。
牙剣などという凶猛な武器を振るいながら、驚くべき手加減の技量であった。
両名の戦いぶりに、レオゲルドとしては感嘆するしかない。
「これほど……とは、な」
ガロムの手並みは知っている。だが令嬢シェルミーネの実力を目の当たりにするのは、初めてだ。
「あ……あの……」
ミリエラが、おずおずと声を発した。
「お怪我をなさった方、いますか? 私が、癒しを」
「ミリエラさん。甘やかしは、いけませんわよ」
男の1人に長剣を突き付けながら、シェルミーネは言った。
「この方々はね、貴女のお父様を……いえ、貴女をも殺めようとなさいましたのよ」
光をまとう、細身の刀身。
それは魔力の光であった。
令嬢の細腕で振るう刃物に、男の豪傑が振るう戦斧や鉄槌にも劣らぬ強度と破壊力を付与する魔法。
魔力の斬撃が、男たちの剣を叩き折ったのだ。
(そう……強いわけよ、な。この令嬢、ジュラードとも互角に戦ったのだから)
その戦いに関しては、レオゲルドはクルバートから話を聞いただけである。
「わ……私と娘を、守っていただいた事。深く感謝する」
そのクルバートが、言った。
「よもや、このような昼間に……しかも、レオゲルド伯の邸内で狙われるとは……」
「すまぬ、クルバート卿。警備は万全のつもりであった」
レオゲルドは詫びた。
「何しろ昨夜、私もシェルミーネ嬢もガロムも不在の時に、何事も無かったものだからな。油断があったかも知れん」
「あ、いや……そのような、つもりでは」
クルバートが、頭を掻く。
レオゲルドもシェルミーネもガロムも昨夜は、王弟ベレオヌス・シオン・ヴィスケーノ公爵の私邸で饗応を受けていたのだ。
無理に宿泊を勧める事もなくベレオヌスは、豪勢な料理がほぼ尽きたところで、3人を帰してくれた。
「王弟ベレオヌス公……なかなか面白い方、でしたわね」
シェルミーネが言った。
「お話も上手で、噂に聞くよりずっと紳士的……まあ、太めの外見は御愛嬌ですわね」
「指導力もある、才覚も人望もある。そうでなければ……ただ国王の弟というだけではな、一国の中枢で権力を握る事など出来はせんよ」
昨夜の宴席で、この令嬢は、ベレオヌス公と楽しげに話し込んでいた。
仲の良い伯父と姪のようだ、とレオゲルドは思ったものだ。
権力者が若い娘を口説くような、嫌らしさは感じられなかった。
兵士が数名、男たちを引きずり立たせ、引き立てて行く。
それをミリエラが、不安げに見送っている。
「あの、レオゲルド伯爵様……あの方々は、これから」
「気の毒だが、いささか痛い目に遭ってもらう事になる。誰が何故、貴女のお父上の命を狙っているのかを、こちらとしては知らねばならん」
「あまり、ひどい事は……」
「そうだな、ミリエラ嬢。ひどい事をせねばならなくなる前に、彼らには全てを喋って欲しいものだ」
言いつつレオゲルドは、クルバートに視線を移した。
「命を狙われる理由に、心当たりは……などとは訊くまでもあるまいな。クルバート卿」
「ゴルディアック家……」
クルバートが呻く。
ゴルディアック家が行っていた不正に、彼はかつて税務官として深く関わっていたのだ。
「よもや……ディラン家の邸内にまで刺客を送り込んで来るなどと……」
「暴挙、ですわね」
シェルミーネが、長剣を鞘に収めた。
「レオゲルド伯爵を、完全に敵に回してしまいかねない愚行……ログレム・ゴルディアック宰相閣下は、分別を失くしてしまわれたのかしら?」
「ログレム宰相ではあるまい。あの御方、確かにゴルディアック家の当主ではあるが」
レオゲルドは言った。
「仮に、クルバート卿の命を狙ったとして……いきなり暗殺者を送り込んで、私の家を踏み荒らすような事はせぬ。そのような事、全く気にせず人を殺めに来る、このやり口」
ここヴィスガルド王国に住まう人々のうち、知る限り最もおぞましい人物の名前を、レオゲルドは口にした。
「……ゼビエル・ゴルディアック老、であろうな」
「お名前だけは、父から聞いた事がありますわ。確か、ログレム宰相閣下のお父君……随分と、長く生きていらっしゃるとか」
「あと何年かで百歳になる。妄執だけで生き長らえている、妖怪よ」
自分の口調に、隠しようもなく厭悪が露わになってゆくのを、レオゲルドは止められなかった。
「ゴルディアック家の全ては、この老人が裏から取り仕切っている。ログレム宰相は確かに英邁な人物ではあるが……」
「お父上には逆らえない、と?」
「内情は知らぬ。が、ゴルディアック家において、孤立に近い立場ではあるようだ」
「なるほど。そのようなゴルディアック家の方々に、クルバート卿はお命を狙われていらっしゃる」
ゴルディアック家の弱みを握っている、と言えなくもない人物に、シェルミーネはちらりと視線を向けた。
「あのジュラードさんが、おっしゃった通り……ベレオヌス公のもとへ身をお寄せになる、というのも選択肢としては有りかと思われますわよ? クルバート卿」
「よもや籠絡されたのではあるまいな、シェルミーネ嬢……」
クルバートが、睨み返してくる。
「あのベレオヌス・ヴィスケーノが、どれほど! おぞましい男であるか」
「もしかして、ミリエラさんの事を心配していらっしゃる? まあ、お父様としては当然ですわね」
ミリエラの小さな身体を、シェルミーネが軽く抱き寄せる。
「私が……この子にはお手を付けぬよう、ベレオヌス公に働きかける事も、出来ましてよ?」
「いかにしてだ……」
「私が、ベレオヌス公のお妾に」
「シェルミーネ様! 何をおっしゃるのですか!」
黙っていたガロムが、叫んだ。怒声に近かった。
対してシェルミーネの口調は、冷静そのものである。
「王国の中枢にいらっしゃる方と、お近付きになれましたのよガロムさん……この好機、逃すわけには参りませんわ」
「……さすがの、悪役令嬢ぶりよ」
クルバートが呻いた。
「王国の最高権力者に、その身を差し出してまで……栄達と権勢を、掴み取ろうとするのか。2年前の祭典で掴み損ねたものを、今になって求めるのだな」
違う、とレオゲルドは思った。
王国の中枢に近付く。
それは即ち、アイリ・カナン殺害の真相に近付く、という事だ。
シェルミーネにしてみれば、確かに好機である。
コルベム父娘の事は関係なく、自ら進んで王弟公爵の妾になる、程度の事をシェルミーネはするだろう。
ベレオヌス公に身の純潔を捧げてまで、この令嬢は情報を得ようとするだろう。
2年前、アラム王子に捧げる予定であったものの、捧げ先が変わっただけだ。
あの祭典に参加した令嬢たちは皆、各々の家の利益のため、見知らぬ男に嫁ぐ事を肯んじていた。
シェルミーネは今、実家の利益ではなく自身の目的のため、先日まで赤の他人であった男に身を捧げようとしているのか。
昨夜の宴席を、レオゲルドは思い返した。
酔いが回り、転倒しかけたベレオヌスの肥満体を、シェルミーネは強靭な細腕で支えていたものだ。
楽しそうに、笑いながら。
微笑ましい様、ではあった。だが。
ちらりと、レオゲルドはガロムを見やった。
無表情、である。
一声、叫んだきり、ガロムは顔面から一切の表情を消していた。
昨夜の宴席においても、この若き兵士は、同じような様であった。
楽しげに語らうベレオヌスとシェルミーネの近くで、ずっと表情を、己の感情を、殺していた。
宴が始まる前、謁見の時からずっと、ガロムは懸命に自制をしていた。それがレオゲルドにはわかった。
あのゼノフェッド・ゲーベルという巨漢の護衛兵に暴力を振るわれながらも、彼は己を抑え込んでいたのだ。
賞賛すべき自制心、ではある。だが。
(そろそろ保たぬ……か)
シェルミーネが、ミリエラと何かを話し込んでいる。
その隙をつくようにレオゲルドは、ガロムの頑強な肩を叩き、小声をかけた。
「後ほど……また手合わせをしようか、ガロム・ザグ」




