第37話
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レオゲルド・ディラン伯爵が目を閉じ、腕組みをした。
驚いてはいないようだ、とガロム・ザグは思った。
レオゲルドの私邸、客間。
先程まで、ここで少々面倒な客人たちの応対をしていたところである。
今いるのはレオゲルドの他、自分ガロム・ザグ、それにシェルミーネ・グラークの3人だけだ。
「……息子がな、書簡の中で、それとなく仄めかしてはいた」
重々しく、レオゲルドは言葉を発した。
「……そう、か……シェルミーネ嬢、貴女はアイリ・カナン・ヴィスケーノ王太子妃殿下の……仇を、捜しておられるのだな」
「そのために……レオゲルド卿、私は貴方を利用しておりましたのよ。許せないのではなくて?」
全てを今、シェルミーネは語った。
アイリ・カナンを看取り、ドルムトの地に埋葬した事。
彼女の遺児フェルナー・ヴィスケーノの身柄が、グラーク家に在る事。
「今後も私を利用し続けるのならば。そのような事、語るべきではなかったな」
レオゲルドは言った。
「何食わぬ顔でディラン家を拠点とし、行動する。その方が都合が良いと思えるのだがな? シェルミーネ嬢の真の目的を、私が知ってしまった以上……そなたら2人、もはや何食わぬ顔は出来まい」
「出て行け、とおっしゃるなら出て行きますわ」
シェルミーネの笑みが、不敵で剣呑な歪み方をする。
「私たちの口を……封じようとなさるなら、ご自由に。無論、お手向かいは致しますけれど」
「アイリ・カナン妃殿下は、王宮にて御健在であられる。看取った人間など……確かに、いてはならんな」
言いつつレオゲルドが、ガロムの方を向いた。
「今、私と刺し違えようとしたであろう? まあ落ち着け、ガロム・ザグ。おぬしの言う通り……こうしてディラン家にシェルミーネ嬢を引き入れてしまった時点で、私は覚悟を決めねばならなかったのだ」
戦闘訓練では、ほぼ互角……いや、ガロムの方が押されていた。
実戦の殺し合いとなれば、このレオゲルド・ディランを相手に、果たしてどれほどの事が出来るのか。
刺し違える、以上の事が出来るのか、とガロムは思う。
「それにしても……由々しき事態、では済まんな。これは」
レオゲルドが、重い溜め息をついた。
「もしもオズワード・グラーク侯爵が、悪役令嬢の父親にふさわしい梟雄であるならば……フェルナー・カナン殿下を擁立し、何を引き起こすものやら想像もつかぬ。ボーゼル・ゴルマーの叛乱、どころでは済むまいな」
「父も、母も兄たちも、フェルナー王子を健やかに育ててくれますわ。ヴィスガルド王家とは何も関わりのない、単なる拾い子として」
言いつつシェルミーネは、今は誰も座っていない長椅子を見やった。
「フェルナー王子の……お祖父様が、いらっしゃいましたのよね。そこに、つい先程まで」
「国王陛下か……」
「あの御方が気力を失ってしまわれたのは……確か10年ほど前、ですかしら? 王妃様を亡くされてから、と聞き及んでおりますわ」
王妃。
アラム・ヴィスケーノ王子の母親にして、国王エリオール・シオン・ヴィスケーノの妻。
クランディア・エルス・ヴィスケーノ王妃。
地方軍の一兵卒であるガロムが知るのは、その名前のみだ。
「病死であられた、と聞いておりますが……」
言いながらシェルミーネは、少し思案したようだ。
「……毒殺、謀殺の噂が、あったりなかったりしますの? もしかすると、シグルム・ライアット侯爵のように」
「権力の中枢に近い人間が死亡するというのは、そういう事だ。純然たる病死・事故死であったとしても、何かと勘繰られる。仕方あるまい」
「大勢の方々の死が、全て関わり合い、繋がっている……そんな勘繰りも、出来てしまいますわね。シグルム侯も、クランディア王妃も……それに、アイリさんも」
「シェルミーネ嬢……貴女は何故、私に全てを語る気になったのだ」
レオゲルドが問う。
「真実を語る事が、結局は大勢の人々を守る事になると。そう言ったのは、確かに私だが」
「レオゲルド卿は……ミリエラさんを守るために、こうして危ない橋を渡って下さいましたわ」
シェルミーネは答えた。
「それに、薄々は勘付いておられたのではなくて? 私の目的など」
「アイリ・カナン殿下に関わりある事であろうな、とは思っていた」
レオゲルドは言った。
「……現場を、いくら調べ直しても。リアンナ・ラウディース殺害は、アイリ・カナンによる正当防衛の結果としか思えぬところがあった。だが私は結局、それを突き詰めて捜査する事が出来なかった。やはり花嫁選びの祭典を勝ち抜いた平民娘と、アラム王子との婚礼を見たかったからな……1人の悪役令嬢に、汚らしいものを全て押し被せる事で、あの時は皆が幸せになれたのだ」
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「アドランの帝国陵墓には」
国王エリオール・シオン・ヴィスケーノが、つまらなそうに言った。
「ヴェノーラ・ゲントリウスとやらいう魔女が眠っていて、いずれ目覚めるのだろう? それは、いつだ」
「い……今しばしの、ご猶予を。陛下……」
サリック・トーランドは、そう応えて頭を下げる事しか出来なかった。
レオゲルド・ディラン伯爵邸からの、帰り道。
エリオール王とサリック、それにバレリア・コルベム夫人の3人で、馬車に揺られているところである。
ミリエラ・コルベムに付属していた者たちは、各々の足で帰路についた。
バレリア夫人は俯き加減のまま、不機嫌そうに黙り込んでいる。
あてが外れた、というところであろう。
国王の威を借りて無理を押し通し、娘ミリエラを奪い返す。そんなつもりであったのだろうが、エリオール王はバレリアに助け船を出そうともしなかった。
所詮この女は、大勢の男たちに対して偉そうに振る舞いたいだけなのだ。
そのために、男であるエリオールの威を借りんとしている。
黒薔薇党に最も不必要な人材だ、とサリックは思う。
だが彼女の娘、ミリエラ・コルベムは。
あの少女には、大勢の人々を惹き寄せる何かがある。大勢の人々を信奉させる、何かがある。
大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウスの生まれ変わりを名乗らせ、擁立するにふさわしい存在だ。
だが。エリオール王は、生まれ変わりではなく本人の復活を望んでいる。
ヴェノーラ・ゲントリウスが、アドラン地方の帝国陵墓に、己の復活の手立てを残した、という伝説は確かにあるのだ。
それをエリオールが、本当に信じているのかどうかは、わからない。
「帝国時代の怪物が蘇って、この糞溜めのような国を滅ぼしてくれるのではないのか?」
エリオール王が、暗く笑う。
「それとも何か。結局のところ、大昔の偉人の名前を掲げて今の体制を否定したいだけか? まあ、それならそれで構わん。早いところ、叛乱でも引き起こしてみてはどうだ。かのボーゼル・ゴルマーのように」
「は、はあ……」
サリックは、曖昧な声を出した。
黒薔薇党に、ボーゼル・ゴルマーのような軍事力はない。
だが、国王がいる。
弟であるベレオヌス公爵や、宰相ログレム・ゴルディアックに政治的実権を奪われたまま、とは言え国王である。
この国王が何故、黒薔薇党などという、無力な旧帝国系貴族の集まりに助力をする気になったのか。それは、わからない。
弟ベレオヌスに抗するための勢力を求めているのか、とサリックは最初は思っていたのだが。
弟や宰相を相手に権力争いをする気力を、この国王は失っている。
やはり10年前、愛妻クランディア王妃を亡くしたのが原因なのか。
確かに、息子夫婦であるアラム王子とアイリ妃に劣らぬほど、仲の良い夫妻ではあった。少なくとも、外からはそう見えた。
突然、馬車が止まった。御者の悲鳴が聞こえた。
俯いていたバレリアが、顔を上げて青ざめる。
「何事……」
サリックは、馬車の外へ出た。
黒薔薇党という、存在をあまり公に出来ぬ組織の構成員が、国王を同行させている。人目のある場所を通る事は出来ない。
王都の、人通りが少ない区画である。
馬車は、取り囲まれていた。
黒い衣服に身を包み、首から上にも覆面を巻き付けた男たち。
全員、短めの剣を抜き構え、一言も口を利かない。
殺す。それだけが、この男たちの目的なのだ。
御者は、すでに死んでいた。血染めの屍が、手綱を握ったまま硬直し始めている。
「……ベレオヌスの、手の者どもか」
エリオールは、苦笑していた。
「ふん。今の私に……殺すだけの価値を、見出してくれるとはな」
そんな言葉に何か応える事もなく、男たちが動いた。
一瞬後にはサリックもバレリアも、国王もろとも切り刻まれている。
悲鳴を上げる暇すらない、と思えた、その時。
男たちの方が、切り刻まれていた。
生首が、手足が、黒い布切れを貼り付けた肉片が、それに臓物が、路上に大量にぶちまけられる。
それらを、美味そうに食らっているものたちがいた。
筋張った細い身体は、背中から皮膜の翼を広げ、四肢の先端に短剣のような鉤爪を生やしている。
その鉤爪で、男たちを切り刻んだのだ。
切り刻んだ人体を、這いつくばって啜り、咀嚼し、路面を舐め回すように喰らい尽くしつつある怪物たち。4体いる。
それらとは別に、人影がひとつ。
「下級の魔物は楽でいいです。召喚の代償が、人間の肉だけで済みますから……適当に呼び出して、ハイそこの人間食べちゃっていいよー、で簡単にさよなら出来ますから」
白装束の、若い女だった。
純白のマントで細身を包み、フードを脱いだところである。
茶色の髪が、軽やかに溢れ出した。
「心配ご無用、あなた方を魔物の餌にするつもりはありません。今のところは、ね」
目立たぬ顔立ちだが、美しいとは言えるか。年齢は20歳前後であろう。
何者、という問いかけが、サリックの口の中で滞った。恐怖で、舌が回らない。
「黒薔薇党の方々、それに……国王陛下で、いらっしゃいますね? 私、マローヌ・レネクと申します。ご覧の通り、召喚術をいささか嗜んでおりまして」
翼ある怪物たちは、ぶちまけられた屍を完食し、消え失せていた。
路面には、血の汚れが残っているだけだ。
赤黒く汚れた路上で、マローヌ・レネクはしとやかに跪いた。
「ある者の使いとして、参りました。その者を統率者とする私どもも、あなた方と同じく……ヴェノーラ・ゲントリウス陛下の偉大なる復活と御再臨を、悲願としております」




