第32話
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訓練用の、刃引きがされた長剣である。
それでも、直撃すれば、負傷では済まない場合がある。
死んでしまえば、それまでの事。
戦闘訓練とは、そういうものだ。
刃引きのされた長剣を左右2本、立て続けに、ガロム・ザグは叩き付けていった。
日頃、牙剣で、そうしているように。
レオゲルド・ディラン伯爵が、1歩だけ後退した。
ガロムの攻撃は、それだけで豪快に空を切った。左右、立て続けの空振りである。
そこへ、刺突が来た。
同じく、刃を鈍らせた訓練用の剣である。
それでも目を抉る程度は容易いであろう切っ先が、ガロムを襲う。
レオゲルドのように、1歩下がるだけで回避を成功させる、などという事は出来なかった。
ガロムは、大きく後方へ跳躍していた。回避と言うより、逃亡である。
それでも、レオゲルドの切っ先を避ける事は出来た。
避けた切っ先が、しかし即座にまた突き込まれて来る。
着地と同時に、ガロムは左の剣を振るった。防御の形。レオゲルドの剣を受け流す。
受け流されても、しかしレオゲルドは体勢を全く崩さない。
ガロムが右の剣で反撃を打ち込む隙が、全くない。
不動の体幹を維持したまま、レオゲルドは踏み込んで来る。
斬撃と刺突の中間のような、小刻みな剣閃が、連続してガロムに降り注いだ。
2本の剣を両方とも、ガロムは防御に用いるしかなかった。
1本の剣と2つの刃がぶつかり合い、焦げ臭い火花を散らす。
1つの長剣を、レオゲルドは全身で操っていた。
下半身の踏み込みと、上半身による剣捌きが、完璧に連動している。あまりにも理に適った動きである。
(……これが、近衛騎士……正統派の剣……)
正確無比な剣撃の嵐と、金属的な焦げ臭さを発する火花に圧されながら、ガロムは内心、息を呑んだ。
(……これが、王国中央軍……正規の軍人……だが俺とて!)
最強の王国地方軍、グラーク家の兵士。
それは、言葉にして叫ぶ誇りではなかった。胸の内で燃やすものだ。
防戦一方のまま、ガロムは無理矢理に踏み込んだ。
防御そのもので、押し潰す。そんな勢いだ。
「うおおおおおおおッ!」
腹の底から、咆哮が迸る。
3本の剣が激しく交錯し、2本と1本が激突する。
3本とも、折れて飛んだ。
「……見事」
折れた剣を片手に、レオゲルドは言った。
「うっかり命を奪ってしまったとて、恨むまいぞ……と、そのようなつもりであったのだがな」
「武器が、失われた……」
ガロムの両手でも、刀身は根元の一部しか残っていない。
「……ならば後は、徒手空拳の組み打ちしかないと思いますが」
「やめておこう。そちらは、あまり自信がない」
レオゲルドは苦笑した。
折れた刀身が3つ、地面に突き刺さっている。
使用人が数名、現れて、それらを手際よく片付ける。
夕刻。レオゲルド・ディラン伯爵の私邸である。
篝火の焚かれた庭園で、剣士2人は向かい合っている。
折れた長剣を使用人たちに手渡し、ガロムとレオゲルドは互いに一礼した。
「良き腕試しであったな、ガロム・ザグ。おぬしほどの戦士、王国正規軍にも、そうはおらぬ」
「自分は……貴方には、勝てると思っていました」
正直に、ガロムは無念を告げた。
「本物の、王国騎士の力……思い知らされました」
「私より強い者など、近衛騎士団にはいくらでもいる」
言いつつレオゲルドは、ニヤリと笑ったようだ。
ここ王都で、暴力的に何かをするのは控えておけ。
そう警告されたのだ、とガロムは思った。
この人物の子息ブレック・ディランが現在、グラーク家に身を寄せている。
彼も非凡なる戦士ではあるが、まだ父親には及ばない、とガロムは見た。
「おぬしの二刀流、実に見事なものだ」
レオゲルドが言った。
「亡き、シグルム・ライアット侯爵を思わせる……ふふふ。さすがに、かの御仁には及ばぬかな。まだ」
「お名前のみ、存じ上げております」
シグルム・ライアット侯爵。
ガロムと同じく、左右2本の剣を振るう戦士であったという。
子息メレス・ライアット侯爵は、亡き父親に関し、多くを語ってはくれなかった。
すっかり暗くなってしまった空を、レオゲルドは見上げた。
「シグルム侯が、御存命であれば……我ら旧帝国貴族。ここまでの体たらくを晒す事も、なかったであろうに……」
「……体たらく、なのですか。旧帝国貴族の方々は」
「おぬしとシェルミーネ嬢がな、クルバート伯爵の身柄を確保してくれた。それは良い。だがな、あのような者たちまで釣り上げてくれるとは思わなかった……あやつらを見れば、わかるであろう? あれこそが旧帝国系貴族の現状よ」
帝国時代最後の支配者、大皇妃ヴェノーラ・ゲントリウスの復活・再臨を唱える貴族たち。
彼らはどういうわけか、少女ミリエラ・コルベムを聖女として崇め祭り上げている。
今頃も、この邸宅のどこかで、不穏な集会を開いているところであろうか。
「旧帝国系貴族などと一括りに扱われてしまう者たちの中でも、己が世の春を謳歌しているのは、ゴルディアック家を筆頭とする一部の派閥のみ。私のように上手く世渡りをして、そこそこの暮らしぶりを確保出来た者もいる。他は、あのような有り様でな……落魄し、貴族としての生活もままならぬ。古の大皇妃にすがりつくしか、なくなってしまった者たちだ。まったく、どう扱えば良いものやら」
溜め込んでいる、とガロムは思った。
このレオゲルド・ディランという人物、誰かに話してしまいたい事を、どうやら色々と心のうちに溜め込んでいる。
アイリ・カナン・ヴィスケーノ王太子妃殺害の件に関しても、何か溜め込んでいるのではないか。
直接の犯人はもう、この世にいない。
ザーベック・ガルファ。恐るべき殺し屋であった。
生かして捕縛する事が、ガロムには出来なかった。
あの男は、凶器でしかない。
凶器を振るってアイリ・カナンを殺害した何者かが、この王都に、王国の中枢近辺に、いるはずなのだ。
王家や宰相とも繋がりを持つというレオゲルド・ディラン伯爵から、その何者かへと繋がる何かを手繰り寄せる。
それが、ガロムの主シェルミーネ・グラークの、さしあたっての目的である。
慎重に、ゆかねばならない、とガロムは思った。
相手は近衛騎士、正規の軍人である。口が軽いはずはない。
だが、溜め込んでいるのだ。
「戦士の端くれ、として……自分も、一代の英傑であられたというシグルム・ライアット侯爵には、畏れ多くも興味があります」
故人を、ガロムは利用する事にした。
「非業の死……謎多き御最期であった、と聞いておりますが」
「…………毒殺だ」
レオゲルドは言った。
「シグルム侯の屍、とされたものを私は検分した。腐敗が異常に進み、人物の原形をとどめてはいなかった……あれは、毒による腐敗だ」
屍の検分。
そのような職務も、近衛騎士団の管轄であるようだった。
リアンナ・ラウディースの屍を検分し、「自分が彼女を殺した」と言い張るシェルミーネの嘘を暴いたのも、このレオゲルド伯爵である。
グラーク家の関係者としては、感謝をするべきなのか、とガロムは思う。
「矢が、突き刺さっていた」
一瞬。レオゲルドが何を言っているのか、ガロムはわからなかった。
「シグルム・ライアット侯爵の腐乱死体には、短い矢が突き刺さっていたのだ」
「……毒矢、と?」
「間違いあるまい」
毒。矢。
何かが繋がった、ようにガロムは思った。
矢を使う殺し屋が、確かにいたのだ。
毒を、持って来るべきだった。
あの時ザーベック・ガルファは、ガロムと戦いながら、確かにそう言った。
あの男の本領は、剣よりも弓矢。
アイリ・カナンの命を奪ったのも、ブレック・ディランを負傷させたのも、ザーベックの放つ矢であった。
だからガロムは最初の一撃で、ザーベックの弓を叩き斬った。
あれが成功していなかったら。殺されていたのは、ガロムの方であっただろう。
毒矢など使われていたら、本当に勝ち目はなかった。
手強い標的は、毒矢で仕留める。それが、あの男のやり方であったとしたら。
シグルム・ライアット侯爵は、ガロムを遥かに上回る剣士であったのだろう。
だが。あの男に、物陰から毒矢で狙われたら。
いや。それよりも1つ、確認すべき事があるのではないか。
「人物の原形をとどめていなかった、とレオゲルド伯爵はおっしゃった……その屍は、本当に」
「私はな、ガロム殿。その手の希望は一切、持たぬ事にしているのだよ」
重く、暗く、レオゲルドは微笑んだ。
「それが実はシグルム・ライアット侯爵の屍ではなかったとして。生きているはずのシグルム侯が何故、あれから今に至るまで姿を見せていないのか、という話になってしまう」
「……確かに」
ガロムも、夜空を見上げた。
死んだ人間の顔が、空に浮かぶわけはない。
それでもガロムは、語りかけていた。
(何でも屋のザーベック・ガルファ……貴様、何もかもを墓の中へ持って行ってしまったな? まあ、墓に送り込んだのは俺だが……事によると、墓暴きまでしなきゃならなくなるかも知れんぞ)




